八、めおとの鬼

 三途の河のほとりにある

 衣領樹えりょうじゅという木の下では、

 奪衣婆だつえばという名の老婆の鬼が、

 河原を行く人を捕まえて、

 なにやら大声で喚いていた。


「ほら、とっとと起きな! 

 こっちは忙しいんだから、

 さっさと着ているのを脱ぐんだよ!

 脱いだら、そっちの爺に渡す。

 ああもう、なにぐずぐずしているんだい!

 さっさとおし!」


 奪衣婆は、マタヨシの姿を見つけると、

 目を丸くして言った。


「――あら?

 あんたは起きたのかい。

 早起きとは、珍しいねえ?

 まあ、いいからお聞きよ。

 早起きは三文の得って言うだろ? 

 近頃じゃあ、僧侶だって、

 眠ったままやってくる者があるくらいだ。

 ほんとにもう、情けない世の中に

 なっちまったもんだねえ?」

 

 そのわきでは、懸衣翁けんえおうという鬼が、

 マタヨシの衣を衣領樹に懸けて、

 何やら調べていたが、

 マタヨシの衣から、一枚の銅銭が

 地面に転がり落ちたのを見ると、

 それを拾って、

 ごくんと飲み込んでしまった。


「ちょっと、なにやってんだい、あんた!

 銅銭を食ったらだめじゃないか」


「あいや、すまん」


 人の齢にして、八十歳の

 爺の鬼は、長い舌を出して、

 しばらく悶絶していたが、

 やがて胃の中から

 銅銭をぺっと吐き出した。


不味まずい」


「まったく、余計なことばっかりして。

 腹を壊しても、面倒見てやんないからね」


 婆は、ぴかぴかになった銅銭を、

 拾って向こうの地面に投げた。

 

 衣領樹の根元には、銅銭の山ができている。


 マタヨシは思った。


『ここで金の使い道なんてあるのか?』


 すると、婆が言った。


「くれるもんは、なんでも

 もらうのがうちの流儀さ。

 紙のお金? 

 そんなもん役に立つかね。

 ぜんぶ爺さんの胃袋の中だよ。

 ああ見えて、たいへんな悪食だから、

 なんでも食っちまうさ」

 

 どうやら、マタヨシが声に出さなくても、

 奪衣婆には、彼の考えていることが、

 なんとなくわかるらしい。


『――これが神通力というものか』


 マタヨシがひそかに感心していると、

 突然、爺が大声をあげた。


「衣を懸けて幾年月いくとしつき!!」


『――!!?』


 マタヨシが呆気にとられていると、

 婆が爺を叱って言った。


「なに言ってんだい、ばか。

 急に大声を出すんじゃないよ!

 びっくりするじゃないか」


 婆はマタヨシに言った。


「いやね、前にここを通った詩人に、

 詠んでもらった詩なんだけど、

 爺さん、ばかだから、

 下の句を忘れちまってるのさ。

 まったく、しょうもない爺さんだよ」


 マタヨシは、

 あなたはここで何をしているのかと聞いた。


 婆は言った。


「うちらはただ寝た子を起こして、

 変な虫がついてないか、

 確かめてるだけさ。

 人の罪を裁けるのは、

 閻魔大王様だけだよ。

 あたしらのような端役が、

 口出しできることじゃないさね」

 

 マタヨシは、

 おれのおやじはどこかと聞いた。


「あんたのおやじなんて、

 あたしが知るもんかね。

 死んだ者は必ずここを通るんだから、

 通ったんじゃないのかい? 


 あんたもおかしなこと考えるねえ。

 親孝行なんてのは、

 親が生きてるうちにするもんさ。

 後でやっとけばよかったと後悔しても、

 遅すぎるってもんさね。

 くよくよしてる暇があったら、

 顔でも洗ってしゃきっとしな。


 きちっと前を見て行けば、

 おのずと道は開けるもんさ」


 婆の言うことは、マタヨシの心に響いた。


 それにしても、三途の川のほとりで、

 妙な立ち話になったものだ。


 マタヨシは、

 後ろがつかえてるんじゃないかと心配した。


「えっ、後ろがつかえてるって?」


 婆はため息まじりに言った。


「まったく、休む暇もありゃしない。

 ほら、あんたはもう行きな。

 向こうに橋がかかってるのが見えるだろ。

 あの橋を渡った先が、いまから

 あんたが行くところさ」

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