四章 - 最後にはあるべきところに収まる6

 個展開催を明後日に控えた日の朝、志穂はレジデンススタッフに作品の最終説明をしていた。アルコのことがあって、スタッフがかなり頻繁に設置を見に来るようになった。インストールはほぼ完了。明日もう一度、会場を時間かけて歩き回り、細かい調整をするつもりでいる。

 会場入り口には個展タイトルとバナー、それに案内ハガキが積み上げられている。志穂はハガキを手に取ってからもう一度会場に入った。広い会場に色のあふれた自分のインスタレーションが垂れ下がっている。髪だ。カラフルで自由な髪の毛。

 作品に近づき、紙に手を触れ、小さく祈るような言葉を作品にかける。自分の代わりに来る人に思いを伝えて欲しいということ。それと、生まれてきてくれたことに対する感謝。

 会場をもう一度自分でも掃除し、会場内を歩き回りながら細かい調整を繰り返していく。最後の展覧会として、納得いく作品ができた、と志穂は思った。


 翌日の朝、志穂が個展会場の扉を開けると、目に入ったのは赤いスプレーでめちゃくちゃにされた作品の姿だった。


 志穂はスタッフを呼んで一緒に会場に入る。会場の床や壁、作品自体にも日本語で「死ね」の文字が書き散らかされていた。

「念のためですが、志穂さんがやったわけではないですよね」

「まさか、自分でこんなこと…、するわけないです」


 志穂は取り乱すこともなく、ただ、真っ赤に汚された最後の作品を見ていた。異常な疲れで重たげに息を吐くと、志穂は自分が涙を流していることに気づいた。涙は止まる気配を見せないが、心の中はただ空虚で、悲しいという感情は浮かんでこなかった。


 志穂とスタッフはアルコの部屋に向かう。書かれているのが日本語なのと、展示中止になって以来、アルコの姿が見えないことが気になっていた。

 部屋をノックするが返事がない。呼びかけても反応がなかった。

「いないのかな…」

 志穂はスタッフから渡されたティッシュで涙を押さえつつ、つぶやく。スタッフが事務所から合い鍵をもってきて部屋を開けると、赤いスプレーで書かれたDeathという文字が目に飛び込んできた。部屋中、いたるところに書き散らされている。

室内にはアルコの荷物はなく、部屋の中央に三脚に立てたビデオカメラが設置されていた。

「なんでしょう、これ」

「ビデオかな」

「動いてるみたいですね」

 カメラの薄い画面に録画中と書かれている。

「これ、配信されてるかも」

 志穂はアルコの動画サイトを携帯で開く。そこにはこの部屋と自分たちが写し出されていた。コメント欄に次々とコメントが入っていく。

「誰か来た」

「おっ、やっと始まる?」

「さて今度はどんな芸を見せてくれるんでしょう」

「アート! アート!」

「このチャンネル、マジやばいから覚悟しといたほうがいい」

「真の芸術が見たくてきました」

「アートとか分かんないけど、ここだけは楽しみ」

「アート! アート!」

「芸術だから爆発とかするんじゃね」

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