第56話 席替え

 明日には終業式ということもあり、誰も彼もがはっきりと浮き足立っているという雰囲気の教室の中に、俺はいた。


 外は夏らしくかんかん照りで、遠くの景色が陽炎で歪んでいて、一層セミが元気よく鳴いているように聞こえる。


 クーラーの効いた教室でぐでっと机に突っ伏していると、机にコンっと音を立ててなにかが置かれた。


 目だけ動かしてそちらを見やると、俺をからかっているかのように炭酸のジュースの缶が水滴をつーっと一滴垂らしていた。

 

「暑いね、理玖」


 ぐでっとした体勢のまま缶ジュースを置いた人物を見上げると、天使の微笑みとしか形容出来ない笑みがこっちを見下ろしている。

 

 本当に男なのかと疑いたくなるような可憐な顔に、女子顔負けのさらりとしたキューティクルのショートカット。


 こいつを男として世に産み落としてしまったのは神がこの世でおかした最も大きい愚行の1つだと俺は常々思う。


「サンキュ、遥。お礼は婚約指輪でいいか?」


 遥こと小鳥遊遥に感謝の言葉とさりげないプロポーズを告げつつ、俺は身体を起こし、缶を握った。


「うん、よくないね。なに言ってるの?」


 指先と遥の言葉がひんやりとして気持ちがいい。


 俺の心からの言葉をしれっとなかったことにした遥が続けて口を開く。


「そう言えば、聞いた? 今日席替えがあるらしいよ」

「ゲッ、マジか。……めんどくせえ」

「え? めんどくさいってなにが?」

「なにがって……」


 このクラスで席替えというなんの変哲もないイベントがめんどくさいと思ってしまう理由、それは……。


「――席替えだと!? おいそれマジか遥!? マジ情報なのか!?」

「う、うん……。先生から聞いたし、間違いないけど」

「おい聞いたかてめえら! 今日は席替えだぞォ!」

「「「FOOOOOOOO!!!!」」」

「こういうバカが沸いて出てうるさいからだよ」


 俺たちの会話を聞いて駆け寄ってきた180近い大男が教室中に響き渡る大声で情報を伝達すると、それを聞いた野郎どもが沸いた。


 俺はため息をつき、180近い大男で、一応は俺の悪友でもある桐島和仁を呆れた表情で見つめる。


「お前ら席替え程度でよくそんなにはしゃげるよな」

「ケッ。勝ち組のお前には席替えの重要性が分からねえみてえだな可哀想に」

「前半で勝ち組って言ってるのに後半で哀れんで矛盾してるあたり今日も最高に和仁だな可哀想に」


 哀れみの目を向けて小馬鹿にした態度を取ってくる和仁に俺もまた哀れみの目を投げ返した。


 そんな俺の様子をスルーした和仁が机をダンッと力強く叩き、捲し立てるように説明し始める。


「いいか!? 席替えってのは、ロマンなんだよ! くじ運次第によっては、学期を美少女の横顔、もしくは背中を眺めることが出来る特権が手に入るんだよ! これがロマンと言わずしてなんと言う!」

「あえて言うならモテない男だろうな」


 不躾に女子の横顔や後ろ姿を眺め続けるのはもはや非モテを通り越してただの変態だろう。

 というか今の発言はクラスの女子も聞いていて、ドン引きされて遠巻きにひそひそされてるのに気が付くべきだと思う。


 恐らくこいつの脳内では女子が遠巻きに自分のことを格好いいと言っているのだと変換されているのかもしれない。


 俺がこれみよがしにため息をついていると、俺たちの話を聞いていたクラスメイトの野郎どもが便乗するように口々に席替えについて語り始める。


「ふっ、俺はこの日の為に気になってる女子の情報をコツコツ集めてその子が欲しがってるプレゼントをサプライズであげたりして善行を積んできたんだ。美少女の近くという栄光を手にするのは俺に決まってる」

「俺なんて近所の女子校の付近に最近不審者が出没してるらしいから誰に頼まれるわけでもなく、自主的に警備活動をしてるんだぜ? 今日は俺の日だろ」

「俺は常日頃からどんなに小さいものでもすかさず持ってあげることで優しくて頼れる男アピールしてたんだ。そろそろ溜めた運が解放される時だな」


 揃いも揃ってそんな気持ち悪いことしてたのかこいつら。


 周囲の女子に混じってドン引きしていると、とある1人、鈴木がそんな野郎どもの様子を見て小バカにしたように鼻で笑い、肩をオーバーに竦めながら「やれやれ」と呟いた。


「お前らそんなことで運が溜まると思ってるのか? バカも大概にしとけよ」

「あァ? お前そんなこと言って俺たちの中で1番成績低いだろうがよ!」

「じゃあお前はどんな徳を積んできたってんだよ!」


 鈴木にバカにされた野郎どもはいきり立つように鈴木へと詰め寄っていく。


 鈴木は余裕の笑みを崩さないまま、まったく似合わないキザな動作でチッチッと指を振ってみせてから、3本指を立てた。


「徳を積んだんじゃない。願をかけたんだ。……3ヶ月。これがなんの数字か分かるか?」

「あんだよもったいぶりやがって。3ヶ月? それがなんだってんだよ」

「……俺は3ヶ月の間、1度も発散してないんだよ」

「「「「「な、なにィィィィィィィィィィッ!?」」」」」


 鈴木の宣言に、思わず俺も和仁も野郎どもに混じって声を上げてしまう。


 性欲旺盛なうちのクラスの野郎が、3ヶ月も性欲を我慢出来たっていうのかよ……!


 発言の意味が分からなかったのであろう、遥は不思議そうに首を傾げているけど、そのままでいい。お前は一生ピュアなままでいてくれ。


 恐れおののく俺たちの視線を集める鈴木がふっと悟ったような笑みを浮かべていた。


「やべえよ、鈴木の野郎……! 覚悟が違いすぎる……!」

「ああ、さては相当名のある猛者と見た……!」

「全ては今日、この時の為に。悪いが、今日の栄誉は俺がいただくぜ」

「お前、すげえよ……! お前になら好条件の席を取られても心から祝福出来るぜ!」


 そうして、男女間で席替えへの温度差が如実に現れる中、時間は流れ、席替えは進み、女子の席順が決まった。


 その結果、ものすごく奇跡に近い偶然が黒板に書き記されていた。


「お、おいやべえよ、あの席……!」

「ああ……! なんだあの幸運全てを詰め込んだ席は……!」


 クラスメイトたちが言っていることは大げさに聞こえるけど、今回ばかりは俺もあいつらに同意せざるを得ない。


 俺たちの視線を一手に集める席、黒板に書かれた番号は、窓際の1番後ろの席、8番の席だ。


 窓際の後ろという好待遇の席に加え、男子が注目している理由は既にくじを引いて席が決まった女子の席にある。


 その席とは……。


「前には高嶋さん。右横には竜胆さん。ついでに右斜め前には柏木がいるなんてヤバすぎだろ……!」

「ああ。元から最高の席に加え、高嶋さんと竜胆さんとついでに柏木に囲まれた席なんて10年1度じゃ収まりきらないレベルの幸運だぞ……!」

「誰がついでだおいこら男子どもォ!」


 今言われた通り、前には陽菜、隣には有彩、ついでに斜め前にはついで扱いされて遺憾の声を上げ、自慢のポニーテールをぶんっと揺らしながら立ち上がる柏木鳴海が窓際の1番後ろの席を囲んでいる状態だった。


 ……窓際の席は惜しいけど、そもそも一緒の部屋に住んでいるんだし、席まで近くにならなくてもいいか。


 あの席になったら最後、鈍器のフルコースを味わうことになるだろうし、俺はあの席以外ならどこでもいい。


 そんなことを考えていると、誰が先陣を切るのかという膠着状態に陥った俺と遥以外の男子がにらみ合いをして、牽制をし合っていたんだけど、そんな中、鈴木がゆらりと立ち上がる。


「俺が1番手を切らせてもらう。異論はないな」


 謎の貫禄による圧で、順番を争っていた奴らは頷かざるを得ない。


 沈黙を肯定とした鈴木がどこか戦地に赴くような厳かさをまとって、教卓まで歩き、白い箱の中に手を突っ込む。


「……っ!」


 声の無い気合いと共に、鈴木が勢いよく手を引き抜き、その手に掴んだくじを天に掲げた。

 俺たちが固唾を呑んでその様子を見守っていると、鈴木がゆっくりと右下からくじを広げていき、にやりと口角を上げた。


「ふっ、どうやら神は俺に味方をしたみたいだな……!」

「な、なにィッ!? ま、まさかお前……!」


 これみよがしにこっちにくじを見せつけてくる鈴木が持った紙、右下だけめくられたそこからは、8番と思わしきカーブの部分が見えていた。


「マジかよ、あいつ! 引きやがったのか!」

「クソッ、普段ならそのくじは紐無しバンジーからの鈍器殴打のアタリくじだってのに、あいつの願かけのせいで祝福せざるを得ねえ!」


 それはハズレくじだろ。


 と、脳内でツッコミを入れていると、鈴木が勝ちを確信した高笑いを上げた。


「ふははははは! この為なら3ヶ月程度、造作もないこと! 神はやはり俺を見ていたということだなふははははは!」


 すっかり気分を良くした鈴木がゆっくりと紙をめくり進めていくと、そこに姿を見せた番号を見た途端、鈴木はフリーズした。


「……おい、あれ、3番じゃね?」

「ああ。だな」


 どうやら、右下のカーブ下部分だけ見えていたせいで3を8と勘違いしてしまったらしい。

 しかも、3番は窓際の対角の廊下側の1番前だ。


 鈴木がフリーズしたままの姿を見た男子一同は、あまりのいたたまれなさに声を失ってしまった。


「……とりあえず、今日俺ん家来るか? オススメの本貸してやるよ」

「俺もオススメの動画教えてやるよ」


 見事にに見放された鈴木に、慰めの言葉が降り注ぐ。


 とはいえ、ずっとそうしているわけにもいかないので、とりあえずがそれぞれがくじを引きにいき、結局8番は出ないまま、とうとう俺の番がやってきた。


 俺は別にどこの席でもいいので、特に気負わずにくじを取り出して、その場で中を開き、


「……あ」


 そこに書かれた数字に、思わず小さく声を上げてしまう。


 その空気を察知した野郎どもが、各々武器を取り出して、手入れをし始めた。


 ここまで言ってしまえば、俺が8番を引いてしまったということはお分かりだろう。


 すっかりと大人しくなった野郎どもが武器の手入れをする中、全員がくじを引き終わり、実際に席を移動することになった。


「2学期の間、よろしくね。りっくん」

「……ああ」

「それにしても凄い偶然ですよね。全員がこんなに近くになるなんて」

「……ああ」


 遥も有彩の隣と、俺と仲のいい人物がこの教室の窓際の角に固定される形となった奇跡染みた席替えの結果の最中、俺は嬉しそうに話しかけてくる陽菜と有彩の言葉をひたすら「……ああ」と返すだけのbotと化していた。


 そうして、授業を終えるチャイムが鳴り響いた途端。


「「「「「レッツパーリィタァァァァァイム!!!!!」」」」」

「――さらばッ!」


 処刑開始のゴングを聞いた野郎どもが一斉に襲いかかってきたので、俺は迷わず窓から飛び出した。


 結局、俺は夏休みに入るまでこいつらに追い回される運命らしい。


 ちなみに、ここは2階だけど、それがなにか?

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なぜかクラスメイトと幼馴染との同棲生活をすることになってしまった件。 戸来 空朝 @ptt9029

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