第53話 あなたに贈る特別を

「――陽菜ッ!」


 飛び込むような勢いで、病室の中に入る。


 部屋の中には、有彩と陽菜の2人だけだった。


 雨に降られながら学校近くの駅から全力で走って来たせいで、汗とか雨水で服が湿っていて気持ちが悪い。


 けど、そんなことは驚いて目を丸くしている陽菜の姿を見た瞬間、すぐにどうでもよくなった。


 ……よかった。倒れたって聞いたから、今も意識が無いんじゃないかって思ってたけど、目は覚めてるみたいで安心した。


「りっくん、どうして……」


「有彩から電話があったからな」


 俺は汗なのか雨なのか分からないけど、顎から滴り落ちそうな水を袖で拭いながら、陽菜に少し近づく。


「そうじゃなくて! あたしたち、ケンカ中だよね?」


「ああ、そうだな」


 あと3歩。


「あたしに怒ってるよね?」


「当たり前だろ」


 あと2歩。


「無理して倒れて言わんこっちゃないって思ってるでしょ?」


「思ってるよ」


 あと1歩。


「……だったら、どうして来てくれたの? あたしの事なんて放っておけば……」


 陽菜が悲しげに、自嘲気味に目を伏せた。


「――仕方ないだろ。そんな事よりも、陽菜の事が心配だったんだから」


 陽菜が顔を上げて、目を僅かに見開いた。


 やがて、その瞳から大粒の涙が溢れていく。


「ごめんっ……! りっくん……っ! 八つ当たりしてごめん……っ! 心配かけて、迷惑かけて……ごめんなさい……っ!」


「ああ。許した」


 微笑みながら、俺は陽菜の頭にポンと手のひらを乗せる。


「りっくん……っ! りっくん……っ!」


 陽菜が涙を流しながら、俺の腹部あたりに頭を押し付けて、泣きじゃくり始めた。


 残り0歩。俺たちを隔てていた壁は、今、完全に消え去った。


 しばらくの間、泣きじゃくっている陽菜の頭を優しく撫で続けて、陽菜が泣き止むのを待つ。


「私、飲み物でも買って来ますね」


「ああ、頼めるか?」


 微笑みながら俺たちを見守っていた有彩が、途中で気の利いた申し出をしてくれる。


 店を飛び出して駅まで走ったのと、駅から走って来たので、喉が渇いていたから、すげえ助かる。


 多分だけど、有彩は飲み物を買いに行く以外に、俺と陽菜に気を遣って2人にしてくれたんだと思う。


 俺はこれから、陽菜と話さないといけないから。

 

「……ん。ごめん。もう大丈夫」


 有彩が病室を出て行ってすぐに、陽菜は顔を上げて、鼻をすんっと鳴らした。


「そっか」


 短く返し、俺はベッドの横の椅子に腰を落ち着けた。


「……で、なにをそんなに焦ってたんだよ? 理由、聞かせてくれよ」


 結局のところ、俺は陽菜がなにに駆られてあんな風に無茶をしたのかが分かっていない。


「それは……」


 陽菜は俺の問いかけに、少しだけ考える素振りを見せる。多分だけど、言葉を選んでる感じだ。


「……特別なものが欲しかったの」


「特別なもの?」


 陽菜の口から紡がれた音に、俺は首を傾げた。


 聞いておいてなんだけど、その言葉が指している意味が、俺にはパッと浮かんでこない。


「うん」


「どういう事だ?」


「……有彩もるなちゃんも、なにか特別なものを持ってるんだよ。小説だったり、行動力だったり」


「ああ、なるほどな」


 例に挙げられたその2つに、俺はようやく腑に落ちた。


 小説と行動力ではベクトルが違うけど、その2つは言ってしまえば、有彩とるなのステータスみたいなものだと思う。


 どっちも手に入れようとして簡単に手に入るものでもないし、個人差もある。


 要は、そういう人から見て特殊なものだったり、秀でているものだったりの事を陽菜は言っているんだろう。


「比べて、あたしにはなにもないの。どこを取っても、どこの学校にも1人はいるレベルの、普通の高校生」


「だから、なにか自分だけの特別なものが欲しくなった?」


 聞き返すと、陽菜はこくりと頷いた。


「だから、とにかく色々頑張ってみようと思ったんだ。無茶しても、特別なものがすぐに手に入る訳ないって分かってたのに。なんだか焦っちゃって」


 その結果がこれ、と言わんばかりに、陽菜は自分の身体を自嘲気味に笑って見下ろす。


 そんな陽菜を見た俺は、


「――陽菜は俺にとって特別な女の子だ」


 気が付いたらそう口走っていた。


「え? ……ええ!? そ、それってどういう……!?」


「落ち着けよ。安静にしろって言われてるんだろ? 今からちゃんと話すから」


 大声を上げて、顔をぼんっと赤くした陽菜に俺は苦笑を零した。


 気が付いたら口走っていたのは確かだけど、俺が陽菜を特別だと思っている事は悲しんでいる陽菜を元気付ける為のその場凌ぎの言葉なんかじゃない。


「……父さんと母さんが亡くなった時の事、覚えてるよな」


「……う、うん」


 思い出したくはないけど、思い出そうと思えば、あの時の事は、いつでも明確に思い出す事が出来てしまう。


「しばらく塞ぎ込んで、学校じゃ先生も友達も、当たり前なんだけど皆が俺を腫れ物扱いでさ。家に帰っても1人で、誰もいなくて、毎日がすっげー辛かったんだよ」


「……うん」


「でも、そんな中、陽菜が……陽菜だけが、いつも俺の傍にい続けてくれて、変わらない態度と笑顔でいてくれて、俺、すげー救われてたんだよ」


 陰気臭くなって、暗くて不愛想になった俺の傍で、陽菜はいつも笑ってくれていた。

 

 放っておいてくれなんて言って、自暴自棄になって、割と強めに遠ざけようとした事もあって、自分から1人になろうとした事だってあった。


 だけど陽菜は、俺を見限らずに、「もー仕方ないなー」なんて言って、やっぱり笑って、俺から離れて行く事はなかった。


 きっと、陽菜がいなかったら、今の俺はいないし、絶対に途中で折れていたはずだ。


「だから、俺にとって陽菜は特別なんだ。俺を今までずっと支え続けてくれたのは他の誰でもない、陽菜だ」


「……うん」


「多分、陽菜の望んでるような言葉じゃないんだろうけどさ。……そんな特別じゃ、駄目か?」


 目の前にいる、大切な幼馴染に、柔らかく笑いかける。


 すると、陽菜は、くしゃりと笑い返してくれる。


「駄目じゃ……ない……っ! え、へへ……こんなに嬉しいの、初めてなのに、涙が止まらないの……! おかしい、な……!」


 ポロポロと、陽菜は大粒の涙を零しながら、陽菜は笑い続けている。


 俺が大好きで、大切な、陽菜の笑顔だ。


 陽菜が「嬉しい」と繰り返しながら笑うのを、俺はしばらくの間、見守り続けたのだった。

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