第51話 偽彼女と約束の日

「……マジかよ」


 テストの全日程が終わり、俺はるなと一緒にるなのお爺さんが指定した店の前に、リムジンから降り立った。


 天気は梅雨に入ったせいで生憎の雨模様で、傘を差しつつ見上げている先には、テレビなんかで見たことがある、老舗の高級日本料理店。


 本来なら、俺なんかが一生かかっても、足を踏み入れることなんて無いだろう。そんな店で、今日の顔合わせは行われるという。


「え、本当にここ? 間違えてたりしない?」


「はい。お爺ちゃんが孫娘の彼氏と会うのに普通のお店じゃ示しがつかないからって」


「間違いで合ってほしかった……!」


 俺、峰月家の人間からどういう風に思われてるんだろう……なんかとてつもない大物だと勘違いされてたりしてない? だとしたら今の学校指定の普通のブレザー姿見られた瞬間終わるぞ? 今から家帰って叔父さんのちゃんとしたスーツで補正かけといた方がよくない?


 るなは流石に落ち着いているというか、俺みたいに狼狽えてない。


 武器の類を持って四方八方から襲い掛かられる修羅場なら俺も慣れてるんだけどな。あれそっちの方が特殊じゃね?


「……よし、行くか」


 もう今日の顔合わせは始まってるんだ。


 いつまでも店の前で尻込みしてるとか、カッコ悪過ぎるしな。別に今から野生の熊と対峙するってわけじゃないんだ。緊張は必要だろうけど、ビビる必要はない。


 無意識の内に、喉を鳴らし、俺はるなと共に高級店の暖簾を潜る。


 るなが受付の人に予約していた事を告げると、まるで旅館の女将さんのように和の装いに身を包んだ人が、俺たちを案内し始めてくれた。


 途中で大きな池のある立派な庭が見える廊下を抜け、案内役の人の後ろをついて歩いて行き、最奥の部屋。


 その部屋の前で、案内役の人が立ち止まった。


 開けられた襖の向こうは、店の外見に違わない風格漂う和室だった。


「私たちの方が早く着いてしまったみたいですね」


「……そうだな」


 正直、そっちの方が助かる。


 最後に心の準備が出来る時間があるのだから。


 既に高そうな和室に足を踏み入れているだけなのに、俺の緊張はほぼほぼマックスレベルと言っても過言ではない。


 ひとまずネクタイを少しだけ緩め、俺は下座の方に腰を……いや、本当にこっちが下座だよな? これで上座だったら完全に打ち首待った無しだけど……。


 ええい、ままよ!


 葛藤はあったものの、俺は下座と思われる方に腰を落ち着けた。


「……今更なんだけどさ。るなのお爺さんってどんな人なんだ?」


「立場上厳しいことは厳しいですが、るなには優しい普通のお爺ちゃんですよ?」


「普通かー、それならやっぱ必要以上に緊張する必要はないのか?」


「はいっ。なので、理玖先輩はいつも通りで大丈夫です! そのままで十分魅力的ですからっ! きっとお爺ちゃんも理玖先輩のことを気に入ってくれるはず!」


「はは、ありがとな」


 るなもこう言ってくれてることだし、あまり肩肘を張らないようにしないとな。

 

 ふぅ、と息を吐き出して、改めて気持ちを切り替えていると、襖が開いて、案内役の人がまた顔を覗かせた。


「お相手様が到着されました」


 その言葉に、俺とるなは顔を見合わせる。


 遂に来たのか。大丈夫だ。慌てる必要は全くないんだから。落ち着いて、彼氏役を演じ切るんだ!


 ごくりと、喉を鳴らし、るなのお爺さんが部屋に入って来るのを待ち構えていると、


「――どうやら待たせてしまったようだな」


 まるで地の底を這うような、迫力のある低い声が響き、部屋がズゥンッと揺れたような気がした。


 部屋に姿を現した和服姿の老人は、こっちをジロリと睨み、


「久しいな。るな。元気にしていたか?」


「……はい。お爺ちゃんこそ、元気そうでなによりです」


「健康には気を遣っているからな。……それで、そっちにいるのが話に聞いていたるなの彼氏か」


 声の矛先が俺の方に向く。


 すぐに返事をして、名乗るべきなんだろうけど、俺は驚き、というより衝撃的過ぎて固まってしまっていた。


 ……どうしよう。――熊みたいな人が来ちゃったんだけど。


 明らかに老人とは思えない程、筋骨隆々で大きな体躯。その風貌に、俺は完全に委縮してしまっていた。


「は、初めまして! お孫さんとお付き合いさせてもらっています! た、橘理玖と申します!」


 それでもどうにか口を開き、挨拶をすると、お爺さんは「うむ」と頷き、俺たちの対面に腰を落ち着ける。


 どこが優しい普通のお爺さんだ!? 完全に「破ァッ!」とか「ぬゥンッ!」とか言って衝撃波を飛ばせる系の人類にしか見えないんだけど!?


「そんなに硬くならずとも、リラックスしてくれてよい。堅苦しいのは苦手だからな」


「い、いえ! 今日は大切なお孫さんと付き合わせてもらっているという顔合わせの場ですので!」


「む。そうか」


 というかリラックスなんて出来る筈がない。なにか粗相でもしようものなら、「消え失せいッ!」とか言われて確実に消し飛ばされる。


「……儂は峰月家元当主。峰月龍弦ほうづきりゅうげんと申す。家督は息子に譲っておる故、今はただの隠居した爺だ。今日は時間を取らせてしまい、すまぬな」


「い、いえ。僕はただの学生で、時間ならあります。むしろ、時間を使わせてしまって申し訳ないです」


 名前まで厳ついのかよ! 


 眼光が鋭すぎて、目を逸らしたいところだったけど、どうにか逸らさないようにして、頭を下げる。


 すると、るなのお爺さん(長いから心の中でのみ龍弦さんと呼ばせてもらおう)が「ほう」と感心したような声を漏らした。


「儂の目を見て、視線を逸らさない者は久しぶりだ。中々気骨がある男らしいな。流石はるなが見込んだ男だ」


「は、はは……きょ、恐縮です……」


 龍弦さんは機嫌を良くしたのか、にやりと凄みのある笑みを浮かべる。


 いい方に捉えてるみたいだけど違うんです、目を逸らしたら「儂から目を逸らす軟弱者にるなの相手を任せる訳にはいかん。消え去れいッ!」みたいな感じで眼光だけで首飛ばされそうで怖くて逸らせないだけなんです。


「当然ですよっ! 理玖先輩は世界一カッコいい、るなの自慢の彼氏なんですから!」


「……ふむ、そうか。ならば、敬意を込めて理玖君と呼ばせてもらうぞ。儂の事も龍弦でよい」


「は、はい! ありがとうございます!」


 どうやら、俺は龍弦さんに気に入られたと見てもいいらしい。


 これでどうにか、第一段階が突破したってところか? 初っ端から話す価値無しと見られるような展開を避けられてよかった。


 そうなったら、これまで準備してきた事が一瞬で無に帰してしまうことになるからな。


「じゃ、じゃあるなと先輩のことを認めてくれるんですよね!? それならお父さんたちにお見合い相手の斡旋をやめるように言ってください! るなにはもう、理玖先輩っていうお爺ちゃんも認めた彼氏がいるんだって伝えてください!」


「……それは出来ん」


 るなの言う通り、それで終わってくれるなら、どれだけ楽なことか。ただ、やっぱりと言うべきか、龍弦さんは首を横に振った。


 それはそうだ。そんな簡単に済むのなら、単にるながちゃんと好きな人と結ばれたいと端から龍弦さんに言えば終わっている話だ。


 それが出来ないからこそ、るなは偽彼氏を立てるという手法を取ったのだから。


「どうしてですか!?」


「今はまだ、理玖君が信用に足る相手だと判断したのみよ。るなの相手として儂が認めたかどうかはまた別の問題だ」


「だったら、どうやったら認めてくれるんですか!?」


「……そうだな」


 呟いた龍弦さんは目を閉じ、なにかを思案し始める。


 1秒、2秒と時間が過ぎていく中、張り詰めていく緊張感に、無意識の内に喉がなった。


 多分、30秒くらい経過した時、龍弦さんがゆっくりと目を開き、俺とるなを交互に見てくる。


「2人には――」


 なにが来るんだ? ……いや、どれだけ厳しい条件だろうと、やるしかないんだ。


 俺はどんな無茶な条件を突き付けられてもいいように、姿勢を正し、お腹の中心に力を入れ、


「――儂の前でイチャイチャしてもらう」


 ……。


 …………。


 ………………。


 ……………………ん?


「……あの、失礼ですけど、もう1度言ってもらってもいいでしょうか。今、聞き間違えじゃなければ、イチャイチャしてもらうって聞こえたような気がして」


「儂はそう言ったつもりだが?」


 そっかー、イチャイチャかー。


「……ってイチャイチャ!?」


 予想外の条件過ぎて思わず面食らってしまった。


「どうした? そんなに驚くような事か?」


「驚きますよ! まさかこの場でそんな条件突き付けられるだなんて思いもしてないですし! ちなみに一体どういうお考えでその条件になったのか、お聞きしても……?」


「なにを言う。2人の関係を認めさせたいのなら、儂の前でイチャつくのが1番手っ取り早かろう。これ以上ないぐらいに合理的な考えだと思うが?」


 そ、そうか……? そう言われればそんな気もしてきて……いややっぱおかしいだろ!? まさかとは思うけど、この爺さん、もっともらしいことを言ってただ自分がイチャついてるのを見たいだけなんじゃないか?


 い、いやいや、まさか。こんな厳つい見た目の人がそんな俗っぽい事を考えてるわけが……!


 緊張感も龍弦さんに対する委縮もすっかり吹き飛んでしまっている俺の横で、るなが目を輝かせた。


「そんな事でいいんですか!? だったら簡単な事です! いつも2人でやってる事なんですから!」


「い、いやいやいや! 落ち着け! 確かにいつもやってる事だけど、それを至近距離で見物されるのも――」


「まさか出来ぬと言うのか?」


「全身全霊でイチャつかせて頂きます!」


 駄目だ! この眼光の前で嫌だなんて口が裂けても絶対に言えねえ! ああもうやったらあ!


 俺はるなと目を合わせ、頷き合った。


「――このあとのデート、楽しみですねっ♡ まいだーりん♡」


 うっかり吹き出さなかった俺を褒めてやりたい。


「そ、そうだなーマイスイートハニー。君の行きたい所なら、僕がどこにだって連れて行ってあげるよ」


 更には咄嗟に合わせた俺を誰か褒めてほしい。


 というかるなさん!? 君俺のことそんな呼び方してなかったよね!? 明らかにイチャつきを見せつけようとして肩に力入りまくって誇張してるよね!? いつもそんな甘ったるい声してないもんな!?


「えー? そう言われると色々行きたい所があるんですけどー、1番はぁ……」


 そこでるなが俺をチラッと上目遣いで見つめ、頬を赤らめながら、両手を頬に添えた。


「――だーりんのところにお嫁さんに行きたいなー♡ きゃっ♡」


「ははは、こいつぅー。可愛いこと言ってくれるじゃないかー、ははははは」


 ……俺、マジでなにやってるんだろ。


 ふと我に返った俺に、羞恥とか虚無感が押し寄せてきた。


 そもそもこんな茶番のようなイチャつきで龍弦さんが納得してくれる訳が……。


 俺は龍弦さんの様子を横目で盗み見る。


「……良き」


 もしや今のでご満悦!? 嘘だろ!? チョロくね!?


 うむうむと頷いている龍弦さんに、俺は今までの委縮はどこにいったのやら、内心で驚愕しながらツッコミを入れてしまう。


 るながガッツポーズをしているあたり、マジでこれでいいらしい。俺の感覚が変なんだろうか。


「どうですかお爺ちゃん! るなと先輩は見ての通りラブラブなんです! これで満足してもらえますよね!?」


「……実は2人が本当に付き合っているのかどうか疑っておったのだが、その仲睦まじい様子を見せられたらもはや疑う余地はあるまい」


 すみません疑う余地しかないと思います。


「それならっ!」


「だがまだだ。まだ認める訳にはいかん」


「そんなっ!?」


「慌てるでない、るなよ。そんなに心配せずとも、次の条件で最後だ。それさえ達成すれば、儂も大人しく認めることを約束しよう」


 最後の条件、か。通りで、今のイチャつきもどきでクリア出来るなんて簡単過ぎると思ったんだ。


 多分、最初から本命はこっちだったんだろうな。


「そ、それで……その条件とは?」


 俺が恐る恐る尋ねると、龍弦さんがゆっくりと口を開いていき、


「——儂の目の前で接吻してみせい」


「………………え?」


 出された条件に、俺は目が点になった。


 せっぷん、接吻? ……接吻、キス!?


 古めかしい表現だったせいで理解が追いつかなかったけど、ようやく頭の理解が追いついた。


「え!? ちょっ、ええ!? キスですか!?」


「うむ」


「いやうむじゃなくて!」


「なにか問題が? 恋人同士ならキスくらい余裕であろう」


「いや、僕たちはまだそういうのしたことないんですけど!?」


「なんじゃ、そうであったか。ならば、ここでファーストキスとやらを済ませてしまえばよい。お互いに好き合っておるのなら、なんら問題はなかろう? いずれは式を挙げ、大勢の前でする事になるのだから」


 いいのか!? あんたの孫のファーストキスを俺が目の前で奪うことになるのはいいのか!?


 頭を抱えたくなるのを必死で堪えて、るなを見やる。


「そ、そうだ! るなは!? るなは嫌だよな!? こんな人に見られる形でファーストキスを済ませるなんて!」


「え? 理玖先輩とキス出来るならるなは構いませんよ? むしろお爺ちゃんに更にるなたちの仲睦まじさを見せつけるだけで認めてもらえるなら願ったら叶ったりですっ」


 だぁちくしょうやる気満々だこいつ!


 るなはその言葉に嘘は無いと言わんばかりにこっちに向き直って両目を瞑った。


 え、ちょっ、マジで? 本当にやる展開!?


 頬を引き攣らせながら、チラリと龍弦さんを見ると、まるで俺たちがキスをする瞬間を絶対に逃さないと言わんばかりに瞬き1つすらせず、ガン見してきていた。


 そんなに孫がキスするシーンに興味深々なのか爺さん! というかやっぱこの人結構俗っぽいぞ!?


 俺は頬を引き攣らせたまま、目を瞑っているるなとこっちをガン見している龍弦さんとの間で視線を往復させる。


 やるしか、ないのか……?


 この状況にもはや逃げ場は無く、俺は腹を括り、恐る恐る、るなの両肩に手を置いた。


 るなは一瞬ビクリと身を竦ませたものの、んっと唇をちょこんと突き出してくる。


「……っ!」


 その突き出された瑞々しくて柔らかそうな薄い桜色に目が吸い寄せられる。


 俺の喉が、今日何度目か分からないけど、また無意識に鳴った。


 ゆっくりとゆっくりと、るなの顔に自分の顔を近づけていき、目を閉じて——。


「……やっぱり出来ません」


 グッと力を込め、るなの両肩を優しく遠ざけた。


「何故だ?」


「……こんな大事な事を、ただ嘘を突き通すだけの為にする訳にはいかないからです」


「理玖先輩っ!」


 るなが縋るような目を向けてくるけど、俺はあえてその視線から目を逸らし、龍弦さんの方に身体を向け直した。


「嘘?」


「……僕と、いや、俺とるなは本当は付き合ってなんかいません。だから、キスをすることは出来ません」


 一人称を俺に戻したのは、もうこれ以上自分を偽らないという自分なりのけじめだ。


「騙していて申し訳ありませんでした」


 土下座に近い体勢で、俺は頭を下げた。


 頭の上から、重苦しい沈黙が降ってきて、色々と押し潰されそうだ。


「るな、今の話は本当か?」


「……………………はい」


 泣きそうなるなの声が耳朶を打つ。


 ごめん、るな。本当に、ごめん。


 きっと謝っても許してもらえない。都合のいい事を言ってるのは分かってる。


 だけど、この嘘を突き通す為だけにキスをしてたら、俺は絶対後悔してた。


 ギリ、と奥歯を噛み締め、また沈黙を保ち始めた龍弦さんの言葉を待っていると、


「合格だ」


 思いもよらない言葉が降ってきた。


「「え?」」


 ガバッと顔を上げれば、そこには俺が想定していた険しい顔ではなく、朗らかな笑みを浮かべている龍弦さん。


「あの、合格って……?」


「理玖君とるなが付き合っていない事なんて、儂は最初から気付いておったよ」


「え!? ど、どういうことですか!? お爺ちゃん!」


「どうもこうもあるか。るながお見合いの斡旋に不満を持っていることは知っておったし、男の陰も無かったのに急に彼氏が出来たなんて話が来たら疑うに決まっておろう」


「う……」


「そもそも、よもや本当にあんなイチャつきで儂の目を誤魔化せると思ってた訳ではないだろう」


「……そりゃそうですよね」


 よかった。節穴耄碌もうろく爺さんじゃなかったのか。


「それで、結局合格ってどういう……」


「単純な話、儂が理玖君を気に入ったというだけの話だ。お主になら、るなを本当に任せてもよかろう」


「……と、いうことは?」


「うむ。るなのお見合い相手の斡旋は儂が止めさせよう。るなにはもう立派な相手がいると伝えてな」


「や、や、や、やったぁっ!」


「うおっ!?」


 感極まったるなが横から抱き付いてきて、警戒してなかった俺はそのまま畳に倒されてしまう。


「やりましたよ理玖先輩! やったやったやったぁ!」


「わ、分かったから落ち着け! 当たってるから! 色んなものが当たってるから!」


「当ててるんですよぉ! 理玖先輩になら構いません! なんならこの場で抱かれても本望です!」


「いやお爺さんめっちゃガン見してるから! 発言には気を付けて!?」


「許可する。存分にイチャつくがよい」


「龍弦さん!?」


 まさかの(いい匂い)身内からOKが(柔らかい)出ちゃったんだけど!? どちらかと言えば(おっぱい)俺は止めて欲し……あークソッ! 思考の所々にノイズがッ! 


 どうにかるなを引き剥がし、呼吸を整える。


「というか、嘘だって分かってたならなんでイチャつけとか言ったんですか」


「儂なりの戯れだ。許せ」


 お茶目が過ぎる……!


「あともう1つ聞きたいんですけど、いいですか?」


「なんだ?」


「もし本当にキスしてたら、どうなってました?」


「首を切っていただろうな」


 今日ほど自分の理性に感謝することは、多分この先一生ないと思う。


 あっぶねぇ……! よく欲に流されずに踏み止まったぞ、俺……!


 命の危険を乗り越えられて、ホッと胸を撫で下ろしていると、突然部屋にスマホの着信音が鳴り響いた。

 

「……む。すまぬ。儂だ」


 断りを入れた龍弦さんは、懐からスマホを取り出して、耳元に当てた。


 なんか、普通にスマホとか使うんだな。この人。見た目的に完全に機械に弱い系か力加減が分からずにスマホを握り潰す系の人なのに。


 そのまま龍弦さんの電話が終わるのを待っていると、「分かった」を最後に、龍弦さんが電話を切った。


「……すまぬ。外せない用事が出来てしまったので、儂はもう出ねばいけなくなった」


「まあ、お爺ちゃんは忙しい人ですからね。仕方ないですよ」


「もっと理玖君とも話したかったのだがな。本当にすまない」


「いえ、俺の事は気にしないでください」


「当然、ここの支払いは儂が持つことになっているから、2人はゆっくりと食事でも済ませてくれい」


「ありがとうございます」


 お礼を言うと、龍弦さんは満足そうに頷きながら、立ち上がって部屋を出て行こうとして、


「るな」


 その直前で足を止めて、るなの名前を呼んだ。


「はい」


「儂も理玖君の事が気に入ったのはさっき話したと思うが」


「はい」


「全力で惚れた男をモノにしてみせよ。必要なら、儂も助力する」


「はいっ! ありがとうございますっ! 頑張りますっ!」


 俺にとってとんでもない爆弾を残し、龍弦さんは去って行った。


 ……峰月家が総力挙げて俺を落としに来るの? 流石に過剰戦力が過ぎやしない? るなの目的が達成されて喜ばしいのに、素直に喜びづらいんだけど……。


 今以上の猛アタックに、耐え切れるか分からないぞ? さっきはどうにか踏み止まったけど、毎回理性が勝つなんて断言は出来ないんだから。


 これから先の事を思い浮かべ、冷や汗を流していると、るなが俺の方に身体を向けた。


「理玖先輩。まずはありがとうございました。先輩のお陰で、晴れてるなは大好きな人と恋愛してもいいというお許しも頂けました」


「あ、ああ。俺は俺の責任を取っただけだし、主に頑張ったのはるなだろ? 俺は大した事してないと思うし」


「そんなことありませんよ。理玖先輩はるなのヒーローですっ」


「や、流石にそれは大げさだろ」


 面と向かってヒーローと言われ、なんだか面映くなってしまう。


「それで、見ての通り、お許しも頂けましたし、るなはこれから全力で理玖先輩を落としに行こうと思います」


「……て、手加減してくれてもいいぞ?」


 やめて! にっこりと笑わないで! 峰月家の全面協力を得たるなの猛攻なんて怖過ぎるから!


「お爺ちゃんはああ言ってくれましたけど、るなは峰月家の力を借りるつもりはありません」


「え?」


 せっかく龍弦さんが協力してくれるって言ってるのにのか? や、俺にとってはありがたい話なんだけど、本当にいいのか?


 きょとんとしていると、るなが胸元で拳をきゅっと握り締める。


「この件に関しては、るながどうにかしないといけない事だと思います。るなが頑張って、頑張って、とにかく頑張って、それで、理玖先輩に、るなの事を好きになってもらいたいんです」

 

 あまりにもいじらしいことを言われ、胸の奥がきゅっと締め付けられる感覚に陥る。


 瞳を潤ませて、俺を見上げるるなから、目が離せなくなっていく。


「これはその第1歩です。——るなは、理玖先輩の事が好きです。だから、るなの本当の彼氏になってください」


「……っ!」


 告げられた想いに、俺は息を呑んだ。


 今までだって、好きだって何度も言われていた。けど、今回はそれとは違う。


 るなの身体は小さく震えているし、今までのように軽く受け流すには、想いが込められ過ぎている。


 だから、どんなにも魅力的に映った。


 今まで言われてきた好きよりも、心に響き、理性がぐらついていくのが、傾いていくのが分かる。


 俺は、俺自身は、るなの事をどう思っているんだろうか。


 るなといると、振り回される事ばかりで、大変な事は間違いない。けれど、楽しい事も間違いない。


 偽彼氏だった時の思い出が、頭の中を駆け巡る。


「俺は——」


 自分でも感情の整理が付かないままに、口を開こうとして、


 ——ポケットに入れたスマホがブブッと音を立てて震え始めた。


 こんな時に、誰だ……?


 話を続ける為に、スマホの電源を落とそうとポケットから取り出して、画面を見た俺は固まった。


「……有彩?」


 どうして、このタイミングで有彩から電話が?


 今日の事は有彩にも、連絡しなくても今、俺に連絡をしてこないであろう陽菜にも一応伝えてある。


 その時、有彩は邪魔になったらいけないからと、連絡はしないようにすると言っていた。


 だったら、どうして今、かかってくる……?


 言いようもない嫌な予感が身体中を支配していく。


 スマホを握り締めたまま、るなを見ると、るなはこくりと頷いた。


 多分、電話に出ても大丈夫だという合図。


 頷き返し、俺は通話のボタンをタップした。


「有彩? どうしたんだ——」


『り、理玖くん! 陽菜ちゃんが……! 陽菜ちゃんが……っ! 倒れて病院に……!』


「……っ!? 陽菜が!? どういう事だ!? 大丈夫なのか!?」


 耳元で響く有彩の泣いているような声に、捲し立てるように聞き返す。


『わ、分かりません……! テスト終わってから、陽菜が体調が悪そうにしてたのに気付いて。家まで送ろうとしたら、目の前で倒れて……! 今、私も病院に……!』


「どこの病院だ!?」


『学校近くの……!』


「分かった、すぐに俺も行く!」


 言うや否や、通話を切った俺はスマホを乱暴にポケットに捩じ込み、置いていた自分の鞄を引っ掴んだ。


「るな、悪い!」


 それから、るなの返事も待たずに俺は駆け出した。

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