第49話 分からず屋

 ホテル近辺から歩くこと10数分程度。俺はマンションの前に帰って来た。


 しかし、マンションには入らずに、隣に建っているそこそこ立派な一軒家、陽菜の実家に向かって足を進める。


「……なんと言うか、陽菜ってるな程じゃないけど、結構裕福な家庭だよな」


 目の前に建つ幼い頃から見慣れた建物を見て、今更ながら、そう思わずにはいられなかった。


 一応行く前に何度か陽菜に連絡を入れたんだけど、そのどれもに既読すら付いていない。


 ……意図的に無視されてるとかじゃないだろうな? もしそうだった場合、会いに来たのは悪手中の悪手になるんだけど。


 謎の緊張感に苛まれながら、俺は高嶋家のインターフォンを押した。


『はい? どちら様ですか?』


 この声は、凛か。


「凛、俺だ。理玖だ」


『理玖兄ちゃん? ちょっと待っててくださいっす』


 待つ、というアクションが発生しない内に、玄関の扉が開いて、中から凛が顔を覗かせた。


「どうしたんすか?」


「ちょっと遊びに出掛けてたから、お土産買って来たんだよ」


「えっ、マジっすか! あざっす!」


 ひゃっほい、とテンション高く俺の手から紙袋を1つ受け取った凛に続いて、俺も玄関を潜る。


「言っとくけど、お前だけへのお土産じゃないからな? 高嶋家全体へのやつだから、あまり食い過ぎないようにな」


 早速中身を見ようとする凛に苦笑しながら、靴を揃えた。


「分かってるっすよ。……って、これリィズニーのやつじゃないっすか。まさか1人で行ったんすか?」


「誰がそんな悲しいことするか馬鹿野郎。普通に彼女とだ。ところで蘭と陽菜は?」


「蘭は風呂で姉ちゃんは部屋っす。多分この時間だし勉強してると思うんすけど……って彼女ォ!?」


 普通に会話が進行したと思ったら何拍も遅れてから反応してきやがった。


 うるさ過ぎて顔顰めていると、凛が物凄い形相で詰め寄ってくる。


「ど、どどどど、どういう事っすか!? 理玖兄ちゃんに彼女なんて、俺聞いてないんすけど!?」


「言ってないからな。わざわざお前に言いに来ないだろ」


「ってか、もしかして姉ちゃんが急に同棲を止めたのってそれが原因だったり……?」


「まあ、な。けど、あくまで一時的な付き合いだから。落ち着いたら陽菜もこっちに戻って来るって話だぞ」


「……一時的な彼女ってなんなんすか?」


「知るか。そんなもん俺が聞きたい」


 今から1から説明してたら時間かかるしな。凛には悪いけど、ざっくり流させてもらおう。


「……ちなみに彼女が出来たこと、姉ちゃんは納得してるんすよね?」


「すっげえ機嫌悪かったけどな」


「……そりゃそうだ」


 凛が訳を知っている風に神妙な顔をして頷いた。


 あれ? もしかして陽菜の機嫌が悪かった理由分からないのって俺だけだったりする?


「でも、同棲の解消を受け入れたのは陽菜たちだぞ? 俺はむしろ反対した側だ」


「そうなんすか? って、一時的にとはいえ、彼女が出来た事、蘭とかには言ってないっすよね?」


「ああ。言ってないけど……それがどうした?」


「死んでも言わないでくださいっす。もしバレたらあとがめんどくさ——」


「なにがめんどくさいのよ」


「ぎゃぁぁぁぁあああああッ!? 出たぁぁぁぁああうぐッ!?」


「うるさい叫ぶな近所迷惑」


 突然現れた蘭に驚いた凛が叫び声を上げると同時に蘭が凛の脇腹に肘鉄をかます。


 肘鉄をもらった凛は脇腹を抑え、その場で蹲った。


「なにすんだテメェ……ッ!」


「うるさい奴が悪いのよ。で、なにを知られたら面倒だって?」


「……回答を拒否させてもらあだだだだ!?」


「踏むわよ」


「踏んだあとに言うんじゃねえよ!? 言っとくけど、これはお前の為なんだからな!?」


「……理玖、言いなさい。凛がどうなってもいいのかしら?」


「あーうん割と」


「理玖兄ちゃん!?」


 だってお前身体の頑丈さなら俺以上じゃん。俺は逃げ慣れてるだけで、打たれ強いわけじゃないし。


「あ、蘭。お土産そこに置いといたから」


「そ。ありがと」


「じゃ、俺は陽菜のとこに行くから」

 

 兄妹を置いて、俺は2階へと上がっていく。


『お土産って……これ、リィズニーの……? 理玖が? 1人で行ったのかしら』


『ちょっ!? お前めっちゃ手震えてるし目の焦点合ってなくね!? あーもう! お前も気付いてると思うし、隠しててもしょうがないから言うけど、実は理玖兄ちゃんに彼女が——』


『ッ……!』


 ——バダンッ!


『——らぁぁぁぁぁぁぁん!?』


 ……なに騒いでんだ? あいつら。


 まるで誰かが倒れたような音がして、気になりはしたけど、まさかお土産を渡しただけで誰かが倒れるような事態にはならないよな。


 どうせ凛が蘭に折檻されているんだと思い、俺は気にせずに2階へと上がった。


 階段を上がって、すぐの扉。そこが陽菜の部屋だ。


 俺は部屋の前に立って、軽く扉をノックした。


 幼馴染だからと言って、無断で立ち入るような真似はしない。


 ……。


 …………。


 ………………。


「……返事なし、っと」


 30秒程待ってみたけど、中からなにもリアクションが返って来なかった。


 仕方なし。


「入るぞー? 入るからなー?」


 念押しで声を掛けながら、扉を開くと、どこか懐かしく安心する香りがふわりと香った。


 温いミルクのような香り。陽菜の匂いだ。


 ああ、そうだ。薄い黄色を基調とした部屋。これが陽菜の部屋だったよな。しばらく入ってなかったけど、こんな感じだったっけ。


 基本的に陽菜が俺の部屋に来て、ご飯作ってくれたりとか、高嶋家のダイニングで食事をしてたし、陽菜の部屋にはあまり入らなくなってたよな。


 そんな部屋の中、窓辺の机の前に陽菜はいた。


 黙々と、ノートに文字を書き連ねる音が響く。


 それほど静かな部屋にいるのに、俺のノックにも声を掛けたことにも、入って来た事にも気が付かない程、集中しているらしい。


 あ……いや、よく見たらイヤホンしてるな。音楽聞いてたのか。……それでも凄い集中力だけど。


 俺は苦笑しつつ、陽菜に近づく。


「おーい、陽菜ー」


「……」


 やっぱ声掛けるだけじゃ駄目か。


 肩を竦めながら、更に陽菜に近づいて、


「陽菜」


 ポンと肩を叩いた。


「わっひゃぁッ!?」


 驚いた陽菜は椅子ごと後ろに倒れ、


「おっぐぅッ!?」


 陽菜の後頭部が俺の鳩尾を穿った。


「……ッ! ……ッ!」


「わわっ!? り、りっくん!? ご、ごめん! 大丈夫!?」


 いってぇ……ッ!


 あまりの衝撃に俺は蹲ってしまう。


 無警戒で無防備な状態の鳩尾に頭突きを喰らったんだから、こうなるに決まってる。


 ただ、陽菜が倒れないように椅子を前に押してから蹲った俺を褒めてほしい。


 陽菜の声が頭上から聞こえてくる中、どうにか呼吸を整えてから、立ち上がった。


「ほ、本当にごめんね、りっくん……!」


「だ、大丈夫じゃないけど大丈夫だ。というか後ろから急に肩叩いた俺が悪かっただけだから、気にすんな」


 それに、もう少し位置が下なら頭突きが穿っていたのは鳩尾ではなく、理玖君の理玖君だっただろう。


 そうならなかっただけマシだと思うしかない。


「あれ? というか、なんでりっくんがあたしの部屋に?」


「お土産渡しに来たんだよ。何度も連絡入れたぞ」


「え、わ、本当だ。ごめん、全然気付かなかった……」


 まあ、あの集中力じゃ仕方ないよな。……意図的に無視されてるとかじゃなくてよかった。


「わ、クッキーとかもある。りっくん、リィズニー行ってたの?」


「ああ。なんかるなが行きたかったらしい」


「……へぇー。いいなあ。あたしも行きたかったなー。あ、りっくんもクッキー食べるよね? あたしなにか飲み物取って来ようか?」


「いや、いいからちょっと座ってくれ。ちょっと話もあるんだよ」


「話? それならなおさら飲み物いらない?」


 きょとんとする陽菜に「いいから」と断って、本題に入る。


「陽菜、最近なんか根を詰め過ぎてないか?」


「……あーっと。話ってそのことかー……」


 気まずそうにしているあたり、自覚はあるらしい。


「蘭も心配してたぞ。俺もなんか変だなとは思ってたけど」


「蘭はああ見えて心配性だからね。ちょっと大げさに言ってるだけだよ。特に今なんてテスト前だし。もう来年は受験だしね」


「そんな必死にやるほど普段から成績悪いわけじゃないだろ」


「えーっと、それは……す、少しでも成績を上げて志望校の選択肢を増やしておこうと思って?」


「なんで疑問系?」


 明らかになにか隠してやがる。


「それならなんでテスト週間なのに毎日バイトのシフト入れてるんだよ。おかしくないか?」


「な、夏休み前だし今の内にバイト代稼いでおこうと思って!」


「体育とかだって、いつもあんなに肩に力入ってないだろ?」


「クラスの皆で優勝狙おうって話になってるからね! 手は抜けないんだよ!」


「はあ……単刀直入に聞くけどお前、最近何時間くらい寝てる?」


「……5時間くらいかなー?」


「本当は?」


「……」


「陽菜」


「……大体2時間くらい」 


 バツが悪そうに視線を逸らす陽菜に、思わずため息が漏れる。


 マジかこいつ。それをここ1週間毎日って……根を詰めてるなんてレベルじゃないぞ。

 

「とにかくもう今日は休め。いくらなんでもやり過ぎだ」


「だ、大丈夫だって! ほら、あたし元気が取り柄だから!」


「駄目だ。もう寝とけ」


「……大丈夫だって言ってるよね?」


「寝ろ」


「やだ」


 ムッとお互いに睨み合う。


 そこにはもう、さっきまでのじゃれ合いのような雰囲気はなく、ドロドロとした嫌な雰囲気になっていた。


「なんでそんな意地になってるんだよ」


「別に意地になんかなってない」


「なってるだろ」


「なってないってば!」


 徐々に声も大きくなっていって、お互いにどんどんヒートアップしていく。


 こうなったらもう、止まれない。


「別に1日休んだ程度でやってきたことが無駄になるわけじゃないだろ! いいから今日はもう寝とけって! 明らかに無理してるだろうが!」


「無理じゃないって言ってるじゃん! あたしがどんな気持ちでなんの為に頑張ってるかも分からないのに、そんなに簡単に言わないでよ!」


「当たり前だ! 言ってくれなきゃなにも分からねえだろうが!」


「っ……! もういい! りっくんなんて知らない! 出て行ってよ! あたし勉強するから!」


「あーそうか勝手にしろ! あとで後悔しても知らないからな!」


 この分からず屋が! 


 俺は足音も荒く、陽菜の部屋から出て行くと、


「あっ、理玖兄ちゃん……その……」


 階段の所から、こっちを気まずそうに窺っている凛がいた。


 まあ、そりゃあんな大声で言い合えば聞こえてるに決まってるよな。


 凛が俺の顔を見て少しビクリとしたことからも、俺が今、どんなに険しい表情をしているのか見当が付いてしまう。


「……悪いな。驚かせて」


「だ、大丈夫っす。あの、母さんが理玖兄ちゃんも良かったら晩飯一緒にどうかって――」


「……悪い。今、誰かと顔を突き合わせて話せそうにないから。おじさんとおばさんに大声出してすみませんでしたって伝えといてくれるか?」


「あ……はいっす……」


 通り過ぎ様に、凛の頭にポンと手を乗せてから、俺はふらふらと階段を下りていく。


 胸にはもやもやしたものが積もっていて、色んな感情が渦巻いていた。


 それは陽菜へのムカつきも大きいけど、それ以上に……。

 

「……陽菜があんなに感情的に怒るの、初めて見たな」


 そこまで陽菜を怒らせてしまったという、自分に対する憤りと失望も大きかった。


 ぽつりと呟いた俺は、気が付いたら、自分の部屋のベッドの上に倒れ込んでいたのだった。

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