第39話 ショートホームルーム前、偽彼女の襲来

「おはよう、理玖。今日は少し遅かったね」


「ああ、おはよう。まあ、るなと話しながら来たから

な」


「るなって……もしかして昨日の? もう名前で呼んでるの?」


「あー……ちょっと色々あってさ」


 きょとんとしながら小首を傾げる遥に、俺は曖昧に誤魔化すような苦笑を浮かべた。


 遥になら、るなとのことを話してもなにも問題はないだろうけど、そういうのはちゃんとるなに許可を取ってからやらないとダメだろうしな。


 それに、こんなところで偽とはいえ、るなと付き合いだしたなんて公言したら結果は目に見え過ぎている。


 そんなもん野放しにされている肉食獣に向かって肉塊を投げ込むようなもんだ。


「そうなんだ」


「ああ」


 多分、遥は俺が明らかになにかを誤魔化そうとしたのを雰囲気で察している。


 悪いな、るなに許可を取ったらちゃんと説明するから。


 特に踏み込んでこようとしない、遥の思慮深さに内心で頭を下げつつ、別の話題を口にしようとした時だった。


「——りーくせーんぱーいっ♪」


「うおっ!?」


 な、なんだ!? 腕に突然柔らかくて温かいなにかが!?


 反射的にそっちを見ると、俺は更に目を見開いた。


「る、るな!? なんでここに!?」


 そこにはさっき別れたばかりのるなが、満面の笑みでこっちを見上げてきていた。


「まだ少し時間ありましたし、会いたいの、我慢出来なくなってきちゃいました!」


「行動力!」


 それからるなが「えへへ、ぎゅーっ♪」と更に強く抱きついてきて、バニラのような甘い香りがより一層強くなる。


「わ、分かったから離れてくれ!」


「もぉ、そんなに照れなくてもいいじゃないですかぁ」


 違う、俺はただ照れてるんじゃないんだ……! 命の心配をしているだけなんだ……!


 るながくっついてきたことにより、教室の一角にはいつの間にか鉄パイプのような鈍器からカッターのような刃物まで、幅広い武装をしたクラスメイトたちが集い始めていた。


 俺がこのあとの逃走経路を脳内で思い描いていると、遥がおずおずと口を開く。


「え、えっと……峰月さん、でよかったよね?」


「はいっ、峰月るなですっ。よろしくお願いします!」


「うん、よろしくね。僕は小鳥遊遥。それで、峰月さん」


「なんですか?」


「昨日の今日でずいぶん理玖と距離が近づいたみたいだけど、2人は今どういう関係なの?」


 るなが密着している部分を訝るようにしながら、遥が問うてきた。


 遥には昨日、告白の返事は考えた上で断るって答えたし、振られてるなら今の距離感はおかしいって思ったんだろうな。


 聞かれたるなは僅かに頬を赤く染め、チラリと俺の方を見上げて、遥に向かってにっこりと可愛らしい照れたようなはにかみを浮かべた。


「——るなたち、結婚を前提にお付き合いを始めたんですっ」


 昨日に引き続き落とされた特大の爆弾に、騒がしかったはずの教室が一気に静まり返った。


 ……うん? けっこん? ……結婚!? 


「ちょっ、るなさん!? そんな話だったっけ!?」


「はいっ♪ 理玖先輩、昨日言ってくれたじゃないですか。告白の返事を待ってる間、恥ずかしくなって瞳を潤ませていたるなをぎゅっと強く抱きしめて、耳元で囁くように、結婚しようって!」


「その俺俺が知らないんだけど!?」


 るなの中のイマジナリー理玖くんがとんでもないキザ野郎にされてる!?


 教室中の注目を集めながら、俺は頭を抱えた。


 それを合図にしたかのように、教室内が今しがた提供された特大のゴシップの話で盛り上がり始めてしまう。


「るな、そういう冗談はやめてくれると助かる……」


「ごめんなさい、つい。あ、付き合っているのは本当ですからねっ」


「……そうなんだ」


 一応、言葉では納得した風にしている遥だが、あとできちんと説明してもらうと目が語っていた。


 遥を敵に回すのは怖いのでしっかりと頷き返す。


「で、そろそろ本当に離れてほしいんだけど」


「……もう少し、ダメ、ですか……?」


「うぐっ……」


 潤んだ瞳に上目遣い。


 その庇護欲を掻き立てる小動物めいた動作に、俺はつい負けそうになってしまうが、頭を振って弱い心を追い出した。


「だ、駄目だ! とにかく離れてくれ!」


「むーっ……分かりました。これで嫌われたら元も子もないですからね」


 するりとるなが離れ、右腕から温かさも柔らかさも消え、ホッと息を吐き出す。


 不満気に俺を見上げてくるるなに、俺は苦笑を零した。


「ほら、もう時間だろ? 早く行かないと間に合わなくなるぞ」


「……はーい」


 いっそ清々しいまでに渋々な返事だなぁ、おい。


 肩を落としてこれまた渋々といった感じに教室の外に向かって、るなが歩き出す。


 と、思ったらくるりと踵を返して、またこっちを向いてきた。


「理玖先輩、また休み時間に来てもいいですか?」


「……好きにしてくれ、彼女殿」


 苦笑しながら言うと、るながぱあっと表情を綻ばせる。


 はいっ、といい返事が返ってきたと思ったら、さっきまでのとぼとぼ歩きが嘘だったかのように、スキップをしそうなほどご機嫌に今度こそ教室から去って行った。


「……なんか、すごい子だね」


「そうだな。まあ、ちょっと強引で行動力がありすぎるだけで、悪いやつじゃない、と思う」


 そう断言出来るほど、付き合いがあるわけじゃないんだけどな。


 まあ、さっきの落ち込んだと思ったらもう笑ってたり、表情がころころ変わるのは見てて飽きない。


「で、遥。相談があるんだけど」


「なに?」


 俺は教室の一角を顎で指し示した。


 そこでは——。


「——やっぱり紐無しバンジーじゃないか?」


「OK。それでいこう。処刑方法は決まったが、死体の処理はどうする?」


「聞いた話じゃ近くの山に野良犬が住み着いてるらしいぞ」


 武装した集団が俺を亡き者にする為の物騒過ぎる会議が行われていた。


「俺はこれからあいつらに襲われるわけだけど、どうすれば回避出来ると思う?」


「あ、あはは……」


 遠い目をしながら尋ねても返ってくるのは困り顔と乾いた笑いだけだった。


 俺がこのあとの逃走劇に備えてネクタイを緩めていると、


「——まあ待て、お前ら」

 

 今にも飛びかかって来そうな連中に対し、冷静に諭すような声が響いた。


 ……和仁?


 声の主の正体は、いつもなら既に真っ先に飛びかかって来ているはずの和仁だった。


「なんで止めるんだよ桐島さん! まさか橘の野郎を許すって言うのか!? いつもならもう不意打ちの1つでもかましてるゲス王のあんたが!?」


「そうですよ桐島さん! 汚い手でも容赦なく使い、周りから蔑まれ、恐れられ、キングオブカスと呼ばれてるあんたはどこに行っちゃったんだよ!」


「見せてくれよレックズ! いつもみたいに高笑いしながら率先してイケメン彼女持ちに襲いかかってる姿をよぉ!」


「お前ら全員表出ろや」


 すげえ。人望があるんだかないんだかよく分からん。


 味方からすらもゲスだのカスだのクズだの全部王の名を冠するあだ名付けられてるのかよ。

 

 多分だけど、レックズってのはラテン語で王って意味のレックスとクズを混ぜ合わせた造語なんだろう。


 その発想力を俺を襲うんじゃなくもっと別の部分に活かしてほしいところだ。

 

「とにかく、一旦落ち着け。別に理玖の野郎を許すわけじゃねえから。——俺が言いたいのは……」


 そこで、和仁は野郎どもの注目を集めるように言葉を切った。


 そして、らしくなくにこりと晴れやかな笑みを浮かべ、


「——それだと即死してすぐに楽になる可能性があるから、もっと苦しみを味わわせてからバンジーさせようぜってことだ」


「「「流石桐島さんだぜぇ!!!」」」


 爽やかな顔をして言うことじゃない。


 俺がいるというのに俺の処刑方法について再び盛り上がり始めた和仁たちは俺の処刑方法について盛り上がり始めた。


 ……今の内に逃げちまおうか。


 袋叩きだの火炙りだの、過激ワードが聞こえてくる中、俺は教室の出入り口に視線を向ける。


「……あ」


 その途中で、有彩と陽菜と、ついでに柏木の姿が目に入った。


 有彩は柏木になにかを問い詰められているようだ。


 多分だけど、俺が付き合ってる云々のことについて聞かれているんだろう。


 有彩は答えに困るように曖昧に笑って誤魔化しているみたいだった。


 陽菜はと言えば、有彩の机の横にしゃがみ込み、有彩の机の上に教科書とノートを開いて勉強をしていた。


 きっと有彩に勉強を教えてもらっているんだろう。


「……ん?」


「どうしたの、理玖?」


「いや、陽菜に違和感を感じたんだけど……」


 見ている分にはさっきから時折、有彩に話しかけているだけで大きな変化は見えない。


 だけど、ほんの一瞬、余裕がないように映ってしまった。


 なんでなのかは俺にも分からない。


 ついでに言えば、意識的にこっちを見ないようにしているようにも感じる。


 まあ、それはあくまで感覚と言うか、確たる証拠はないのでこじつけレベルでしかないんだけど。


「……気のせいじゃない? 勉強頑張ってるだけに見えるよ?」


「……ああ、そうかもな」


 引っかかるものは覚えたけど、それを確認する手段はない。


 結局、そのあとすぐに先生が入ってきたので、俺は襲われることはなかったのだった。

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