第36話 橘家、ハンバーグの乱

「ただいまー」


「お帰りー、りっくん」


 リビングに入ると、ソファに身体を沈めた陽菜となにか香ばしい匂いが俺を出迎えてくれた。

 匂いの正体はテーブルの上にある皿に盛られたハンバーグ。

 やけに数が多いような気もするけど、いやおう無しに食欲がそそられる。

 

「お帰りなさい。理玖くん」


「ただいま、陽菜、有彩。……それ、なに作ってるんだ?」


 ハンバーグとサラダ、それにご飯。テーブルの上にはもう必要なものは揃っているように見える。

 それなのに、キッチンに立っている有彩はフライパンでまだなにかを作っているみたいだった。


「ハンバーグにかけるソースですよ。もうちょっとで出来るので待っててください」


 ならその間に着替えてくるか。

 俺は漂っている香ばしい匂いにどこか後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、自分の部屋に戻る。

 

 にしてもちょっと拍子抜けだな。

 2人の目の前で無理矢理連れ去られたんだし、問い詰められるかと思ったのに。

 まあこれならるなと偽の関係とはいえ付き合うことになったこととその経緯をスムーズに説明出来そうだ。


「さあ、出来ましたよ」


「わーい! ほらりっくんも早く早くー!」


 陽菜が椅子に座り、目の前で有彩がソースをかけていく。

 ハンバーグの山を流れ落ちていく濃い色のソースに、つい生唾を飲み込んだ。

 少しばかり早歩きで俺も席に着き……。


「いただきまーす!」


「いただきます」


「――おうちょっと待てや」


 食事を始めようとする2人を制止した。

 

「どうしたの? りっくん」


「どうしたのじゃねえんだよ。なんで俺の前にきゅうりの漬物とたくあんと白米しかないわけ?」


「どうしてだと、思いますか?」


「自分の胸に聞いてみたらどう?」


 にっこりと笑う2人の圧に、俺はそっと胸に手を当てざるを得なかった。

 ……ふむ、なるほどな。


「どう? なにか分かった?」


「いや、分からん。ただ自分の生を再確認出来ただけだったな」


「――有彩」


「はい、陽菜ちゃん」


 陽菜の合図で有彩が俺の前のたくあんをスッと自分たちの前にスライドさせる。


「で、どうしてだと思う?」


 再びにこりと笑う陽菜。

 マズい、解答権があと2回しかない。


「いやマジで分からないんだって! お前らなんでそんな怒ってるの!?」


 どう考えても謎の兵糧攻めの理由は思い当たらない。

 

「るなちゃんと一体なにを話していたんですか!?」


「さあ全部話して! 全部! 今すぐに!」


「待て待て待て!? それが理由でこんな真似を!? それで俺が罰を受けなきゃいけないのはおかしいだろ! ってわけで俺もハンバーグ食うからな」


 俺は箸を伸ばす。


「ああ、理玖くん。言い忘れていました。――そのハンバーグの中には陽菜ちゃんが作ったものが1つだけ紛れ込んでいますので」


 なんて真似を。

 俺は箸を引っ込めた。


「正気かお前ら!? そんなことしたら自分たちだって!」


「ああ、それは大丈夫ですよ?」


「あたし自分が作ったやつはちゃんと覚えてるから」


「汚え!? おい陽菜! お前自分の料理をこんな使い方されていいのかよ!?」


「りっくん、人は時として大事なものを犠牲にしてでも動かないといけない時があるんだよ」


「ちなみに発案者は陽菜ちゃんですよ?」


「まさかの本人考案!?」


 一体なにがこいつらをそこまで駆り立ててるんだよ!


「ちゃんと話すから待て! 実はるなと付き合うことに……」


「――陽菜ちゃん」


「はいりっくん口開けてー」


「お願いだから話を聞いて!?」


 けど今のは確かに俺が切り出し方を間違えた。

 箸を片手に持った陽菜から転がるようにして距離を取る。


「俺は事情があってるなの偽物の彼氏をすることになったんだよ」


「事情?」


「偽物、ですか?」


 俺は車の中でるなと話したことをかいつまんで説明していく。

 

「そんなことが……」


「ああ、俺も驚いた」


 まさか偶然ぶつかりそうになっただけなのに、こんなことになるなんてな。 

 テストが終わるまでとはいえ、本当に大丈夫なのか?

 不安もあるけど、引き受けてしまった以上やるしかないよな。


「ふーん……へえ……ふーん……?」


「なんだよ陽菜」


「べっつにー?」


 うわっ、機嫌悪っ。

 

「お、俺は自分の責任を取ろうとだな?」


「分かってるってば。りっくんは昔からそうだしね」


 そう言いつつ、陽菜はぶすっとしたままそっぽを向いてしまった。

 経験上、こういう時は俺がなにを言っても本人の中で納得しきれないと無駄だ。

 陽菜は滅多に怒らないけど、1度怒らせてしまえば静かに怒り続けるタイプ。

 下手に刺激しないに越したことはない。


「なあもういいだろ? 俺は言うべきこと全部言ったぞ。冷める前に食べようぜ」


「そうですね。理玖くんの分の取り皿取ってきますね」


 有彩はそう言って、棚の方へ。

 一応納得してくれたって見てもいいのかもしれない。

 問題はやっぱり陽菜の方か。

 唇をちょこんと突き出したまま、明らかに不機嫌。

 なにをそんなに怒っているのか、よく分からないけど……陽菜が怒る時には必ずある条件がある。


 ――それは、相手が100%悪いってこと。

  

 陽菜は少しでも自分に問題があると、自分も悪いところがあったけど、そっちのそれはどうなのって感じで一方的に責めることはせずに話し合いで解決しようとする。

 だから今はまだ、陽菜の中でなにかが天秤にかかっていると考えてもいいのだろう。

 

「…………あれ?」


 黙り込んでいた陽菜が急に声を上げた。


「どうした?」


「いや、あのね……あたしが作ったハンバーグって、どれだったかなーって……」


「「え?」」


 カシャンっと棚の方で音がした。

 有彩が皿を落としたらしい。

 

「おい有彩、大丈夫か?」


「は、はい。割れてはいないので。すみません、手が滑ってしまいました」


 陽菜が放った言葉に対する動揺よりも、有彩が皿を落としたことで割れてケガをしてないかという心配が勝って、身体が動いた。

 正直それがなかったらもっと硬直してたと思う。

 いや、落ち着いている場合じゃない。


「これどうすんだよ!?」


 この件に関しては俺は完全にとばっちり。

 事態を招いたのは俺なんだけど、これで俺が責任を負わないといけないのはどう考えてもおかしいだろう。

 とはいえ、間違って誰かが食べてしまうのは絶対に避けなければならないわけで。

 

「陽菜が作ったのなら形とかで見抜けないか?」


「それが今回は上手く出来たんだよね」


「なんでこういう時に限って!? じゃあ、割って生焼けかどうかを確認していくとか!」


「焼いたのは私ですから、生焼けということはないと思います……」


「お前らァ!」


 もう詰んでるじゃねえかよ……! 本当にどうすればいいんだこれ!?

 ……いや、焼いたのは有彩で最近の陽菜は料理を頑張って普通にマズいレベルにまで成長している。

 もしかして、生焼けじゃない普通のマズいハンバーグなら身体に害を及ぼす可能性も少ないのでは!?


「ところで、念のために聞きたいんだけど、その陽菜が作ったハンバーグにはなにを入れたんだ?」


「「…………」」


 有彩と陽菜は2人揃って、俺からサッと目を逸らした。

 うん、やっぱりダメかもしれん。

 

 その後、どうやったのかは必死すぎて覚えていないけど、俺たちはどうにか協力し、後にハンバーグの乱と名付けられた事件を誰も犠牲者を出さずに乗り越えることに成功したのだった。

 しばらくハンバーグは見たくもない……。

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