第8話 美人との遭遇

 清水寺の参道は、まだ寺そのものは見えない所ですら、人であふれていた。時折、十一月らしい寒風が肌をさいなむにも関わらず、それを物ともしない、独特の熱気がある。

 今日は観音様の縁日だから、普段よりも御利益ごりやくが得られる。みんな、それを求めて参詣さんけいに来ているのだ。

 僕は物ぐさ太郎の姿を見落とすまいと、注意深く目を向けながら参道を歩いた。こう人が多いと、簡単には見つからないのではと危惧きぐしたが――。

「ん?」

 寺に近づくにつれ、段々と周囲の空気が変わっていく。人々がざわつき、小声で何か言い合っている。よくよく耳を澄ますと、

「何だったのかしら、あれ」

悪霊あくりょうか何かがいてたんじゃないのか。気味が悪い」

「そのうち誰か襲われるかもしれないわ」

 という、どうにも嫌な予感をかき立てるものだった。

 僕は人にぶつからないように注意を払いつつ、足を速めた。不穏ふおんな気配はどんどん高まっていく。

 やがて寺の大門が見えてきた。参詣者たちが一番ざわついているのは、どうもあの辺りのようだ。僕は人の間を縫って、門の前に出た。そして――。

 見たくないものを見てしまった。

「なんでまた……」

 それは、何かを待ち構えるかのように両腕を大きく広げ、仁王立ちしている物ぐさ太郎だった。

 参詣の行き帰りの人々は、あいつに気づくと誰も彼も、眉をひそめたりおびえたりしている。そして、できるだけ距離を置いて通り過ぎていく。

 無理もない。風貌ふうぼうが風貌だ。

 着物も草履ぞうりも信濃から来た時のままで、元々くたびれてり切れていたが、今はさらに薄汚さを増している。それを身に付けている人間は、髪はぼさぼさでひげは伸び放題。肌は垢や土で黒ずんでいる。

 そいつが寒風にさらされて鼻水を垂らしながら、門前に立ちふさがって目ぼしい女をきょろきょろ探しているのだから、異様な光景だ。鬼や妖怪と勘違いしている人もいるかもしれない。

 近づきたくないのは、僕も一緒だった。あれと仲間や同類とは思われたくない。

「どうしよう……」

 ひとまず、僕は木の陰に身を隠し、少し様子を見ることにした。ああやってみんなが避けてくれれば、あいつが恥をさらすだけで終わる。きっとそのうち、あきらめるだろう。

 参詣者は次々に往来するが、物ぐさ太郎はその中から、女にだけ片っ端から目を向けていた。だが、どの女からもすぐに視線を移してしまう。

 り好みしているのか。身のほど知らずな。

 寒い中でただじっと立っているというのは、結構つらかった。段々、手も足もかじかんでくる。

 あいつも寒さに嫌気いやけがさして、宿へ戻ってくれるといいのに――などと考えながら、白い息で手を温めていた、その時。

 物ぐさ太郎の顔つきが変わった。

 何かをじっと見つめている。視線の先をたどると、こちらへ向かって歩いてくる若い女性がいた。

 年は十七、八歳ぐらいか。上等な着物や市女笠いちめがさを身に付け、所作しょさにも品がある。ともに下女を一人だけ連れている点も考え合わせると、どこかの公家くげつかえる女房だろう。

 すっきりと整った目鼻立ち。白く透き通るような肌。つやのある髪。遠目にも、美人なのがわかった。

 これから参詣に行くようだが、大門の前に立つ物ぐさ太郎に気づくと、その足が止まった。表情が強張こわばり、体は震えている。

 無理もない。ぼろ布のかたまりのような男が、目をらんらんと輝かせ、今にも彼女に食らいつかんばかりに前のめりになって、口を突き出し、腕を広げて待ち構えているのだ。

 僕だって、正体を知らなかったら怖気おじけづいたに違いない。

 女房は恐ろしげな顔で、下女と何かひそひそ話している。答える下女の表情には、不安と嫌悪けんおがにじんでいた。

 おそらく、

「まあ。あれはいったい何かしら」

「きっと、頭のおかしい人間でございましょう」

 といった会話だろう。

 二人は話し合った結果、できるだけあいつに近づかなくて済むよう、遠回りして歩くことにしたらしい。視線も向けず、足早に大門を通り過ぎようとしたのだが――。

 ずっと突っ立っているだけだった物ぐさ太郎が、つつつ、と女房に歩み寄っていった。

 女房は顔を引きつらせ、下女とともに走り出した。物ぐさ太郎は女房だけを見つめ、逃がすまいと追いかける。

 三人はすぐに人ごみにまぎれ、姿が見えなくなってしまった。

 突然のまずい展開に、はっとした。これはいけない!

 頼むから問題を起こさないでくれと願いつつ、僕はあわてて後を追った。

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