第7話 宿屋の回答

 そろそろ暇が欲しいと大納言様に願い出たら、すんなりお認めくださった。すでに元々の予定を四か月も延長して働かせているから、これ以上引き留めたら悪評が立ちかねない、とお考えになったのだろう。

 それじゃあ宿へ戻って帰り支度を――と思ったのだが。

「国へ帰るためにも、早く妻を手に入れないと」

 と言っているところを見ると、物ぐさ太郎がここまで抱いてきた期待は、まったく薄れていないらしい。

 僕が見張らなければいけないのは、あくまでこいつの「働きぶり」だ。それ以外は本人が好きにすればいい。そう思って何も言わずにおいた。

 宿へ帰りつくと、物ぐさ太郎は宿の主人の所へ行って、

「信濃へ帰ることになった。それで、俺の妻になってくれる女が一人欲しいんだが、どうすれば手に入るのかがわからない。探してくれ」

 と、臆面おくめんもなくたずねた。

 僕はただひたすら、「こいつの仲間じゃありません」という態度で距離を置き、気配をひそめた。

 主人はしばし呆気あっけに取られていたが、

「冗談を言いなさるな。おまえさんの妻になろうなどという酔狂な女、どこを探したっているわけないだろう」

 と、声を立てて笑った。

 僕も同感だ。

 物ぐさ太郎はといえば、ぽかんと不思議そうにしている。なぜ笑われるのか、まったくわからないようだ。自分がおかしいとも間違っているとも考えず、きっぱりと言い返した。

「冗談なんか言ってない。都へ行って働けば、いい女を妻にできるはずだ。そのために俺はここまで来たんだ」

「女だって相手は選ぶ。誰でも得られるわけじゃないよ」

「俺はわざわざここまで来たし、ちゃんと働いたぞ。これだけやったんだから、女が断わるわけない。いい加減なことを言うな」

 百姓代表たちが、少々乗せ過ぎたか……。

 主人は小さくため息をつき、少し考えてから助言した。

「それほど妻が欲しいのなら、『色好み』を呼べばいい」

「『色好み』とは何だ?」

「夫のいない女を呼んで、金を払って逢瀬おうせを楽しむことを『色好み』というんだよ」

 未婚の女に金を払って……って。

 それはもしかしなくても、遊女のことではないのか?

 物ぐさ太郎は顔を輝かせ、

「おお、そうか。国へ帰る路銀にもらった銭が、まだ十二、三文ほど残ってる。これでその『色好み』を呼んでくれ」

 と、ふところから銭を取り出し、主人に見せた。

 おいおい。なぜ今それを、そんなことのために使う。それに、大納言様からいただいた路銀は、もっとあったはずだが……なぜそんなに減ってるんだ!

 手のひらにある銭の少なさに愕然がくぜんとしたのは、主人も同じだった。あきれ混じりだった口振りに、腹立ちも加わった。

「人を馬鹿にしているのか。それっぽっちで色好みを買おうなんて。金が払えないのなら、『つじ取り』でもすればいい」

「『辻取り』とは何だ?」

「男を連れてなくて、輿こしや車にも乗ってないような、無防備な女を奪い去ることだ」

 え? それって……。

 物ぐさ太郎はやる気満々で、

「なるほど。じゃあ、その『辻取り』というのをやってみよう」

 と、すぐにでも実行しようとした。主人は早く厄介やっかい払いしたいのか、後押しするように言い添えた。

「今日は十八日だから、清水寺へ行くといい。縁日をやっているから、女もたくさんいるはずだ」

「よし。わかった」

 言うが早いか、物ぐさ太郎は宿の外へ飛び出して行ってしまった。

 僕は困惑しつつ、主人にたずねた。

「さっき言ってた『辻取り』って、要は人さらいですよね? 都ではそんなこと認められてるんですか? 信濃では禁じられていますし、捕まれば処罰を受けますが」

 主人はあっさりと否定した。

「認められてるわけないだろ」

「え? でも、さっきは『辻取り』をしろと……」

「あの思い込みの激しさでは、いくら無理だと言っても、あきらめそうもなかったからな。どうせ、うまくいくわけがない。よほど間抜けな女じゃなけりゃ、あんな奴にさらわれたりせんよ。一度りれば、現実がわかるだろう」

「……」

 どうしたものかと、僕は宿の出入り口を見つめた。物ぐさ太郎の姿は、とうに見えない。

 主人の考えも一理ある。だが、これで本当にあいつはあきらめ、まっすぐ国へ帰って、めでたしめでたし……になるんだろうか。

 なぜだろう。嫌な予感がする。

 僕は主人に、

「ちょっと、気になるので様子を見てきます」

 と言い置いて、宿の外へ飛び出した。

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