第5話 王国祭

 世界中の人間がグラジオス城下町に集まる祭典「王国祭」がはじまった。町が華やかな極彩色に彩られ、陽気な音楽が鳴り響く。三日間昼夜を通して祭は行われる。朝から酒を飲む者のそばを子どもたちがはしゃいで走り回る。

 芝居をする小屋も建てられ、グラジオスの歴史をなぞる舞台も上演される。人気の演目は中世グラジオスの英雄マルス・マルタンの活躍を扱った戦争劇だ。脚色されているがグラジオスを勝利へと導きながら悲劇の死を遂げた英雄譚は観る者の涙を誘う。

 道という道に屋台が連なり、町に住む人々はそれを手伝いもする。城下町全体が主催者となって総出で国民を歓待する。

 荷馬車を引く馬も、城下町の陽気を感じとているのか心なしかうきうきして見える。足どりが軽やかだ。城下町には東西南北に関門がある。国内外からの観光客が列をなしていた。カイルの荷馬車もそこに並ぶ。今日はどの関門も同じような状況だろう。

 タウラは荷馬車に姿を隠した。関門を通るには規則事項が多いため時間かかかる。だが、カイルは行商で何度も足を運んでいるおかげで、警備の兵士とは見知った関係である。

「カイル・アンスコットです」

「いつもご苦労さん。こんなめでたい日でもお互い仕事とは同情するよ」

「商人にとっちゃ商売が何よりの楽しみですからね。今日はうんと稼いでやりますよ」

 ほどほどになと声をかけられ、関門を通る。開けた町並みが姿を現す。タウラは我慢できずに外をのぞき見た。精緻に敷きつめられた石畳、高さの統一された建物、そこに祭典の鮮やかさが加わりグラジオスの栄華と力強さを一カ所に集めた場所になっている。タウラにとって一年ぶりの帰京だ。

「やっぱり懐かしいよな」

 独り言のように荷物に向かってカイルが話しかけた。町の南は宿場町になっている。宿屋の馬小屋を借り、そこで荷下ろしの作業をはじめた。王国祭の影響で宿屋はどこもいっぱいで、贔屓ひいきにしているこの宿がなかったら馬を休められなかった。カイルの他にも行商にきている者もいる。

 馬小屋に馬をつないでから抱えられるだけの商品を背負い、正門に向かう。その途中で、タウラの足が止まった。くすんだアイボリーの壁と、ところどころ剥げ落ちた茶褐色の屋根、タウラの実家だ。一年前と変わらない。扉を開けて「ただいま」と声をかけたい。

 なのに、タウラが過ごしたコルポト村での一年は、実家との距離を遠ざけてしまった。自分にあの家の敷居をまたぐことはできない。言葉を発することもできない。カイルがタウラの肩に手を置いた。二人はその場をあとにした。

 町の賑わいを背に感じ、城門にやってきた。

「何用だ。ん、おまえはアンスコットじゃないか。しばらくぶりだな。父上は一緒ではないのか」

「父は別件の取引が急遽入ってしまったため、わたしが代役として参りました。大臣に頼まれていた品が手に入ったのでお持ち致しました。言伝を頼めますか」

「そうか、ご苦労だった。では控えの間で待っているように。ところで隣の男はだれだ」

「父が新しく雇った行商見習いのタウロ・ヴェンスです。これでなかなか腕が立ちます」

「ほう、では商人よりも王国騎士を目指した方がよいのではないか」

 悪気はないのだろうが、商人という仕事を王国騎士よりも下に見ている気配があった。が、カイルは気にしない。

「いろいろと仕事の事情がありまして。腕のいい男を連れていると旅にはとても役に立ちます」

 あることないことごっちゃにしてタウラのことを語った。

「そうか、まあ気が向いたら試験を受けてみるといい。いつ開催されるかは不明だがな。あと、城内は王国祭の準備で慌ただしいから勝手に歩き回らないように」

 ありがとうございますと礼を言って二人は場内に入った。タウラのことを細かく詮索されずにすんなり入れたのは、アンスコット親子の信用と、今日はめでたい日だからか。控えの間に入り、荷物を置く。

「さて、砂時計が保管されている場所は城内の一階中央付近だ。大臣がやってくる前に向かうぞ」

 祝典を控える城内は慌ただしく人が出入りをしていた。催事をつつがなく行うには執り仕切ることも多いのだ。それでもすれ違う人が一様に爪先立ちで歩いているのは忙しいからだけではないだろう。

 城内をまっすぐ進む。黒塗りの頑丈そうな扉が見えた。蝶番はつけられておらず押せば開く。風が流れ込んできていた。

「いよいよだな」

 まわりに人がいないことを確認すると、カイルは扉に手をあてた。

「だれかいるのか。そこで何をしている」

 背後から声がした。声の主はまだ見えない。

「いけ」カイルが扉を押しタウラを促す。

 タウラは入ったのは部屋ではなく、高い塀に囲まれた庭だった。陽は中天にさしかかっている。その敷地が広いため、外からの光は十分に取り入れられるようになっていた。コルポト村ほどではないが、小さな村ひとつ分はありそうだった。

 すごい。

 ありきたりだが、もし声を出せていたら、タウラはそう言っていただろう。

 砂時計エーラ・クロツカの傍に寄ってみるとその巨大さを実感した。もしこの世に人間の十倍もある巨人がいたとして、その掌にも収まらないくらい大きい。輝きを失った硬材質の枠の中に中心にくびれをもつ透明な硝子が収まっている。ヒビどころか傷ひとつない。巨大な砂時計であるのに、落ちている砂は細い絹糸のようだ。上下にきめ細かい粒が積まれている。砂山は下の方がずいぶん大きく、上部にはつまめばなくなってしまいそうなくらいに減っていた。

 城内に庭があるのではなく、砂時計のある一帯を庭に拵えたようで、城が庭を背におぶるように塀で囲っている。砂時計のためだけに造られた場所みたいだ。格別の待遇を受けている砂時計は扉を開けたときから存在感を放っていた。

 この砂が何を意味しているのか、だれも知らない。それでも存在し続けてきた。遥かな時間を過ごしてきた砂時計に触れれば、タウラの声は戻るのか。

「ぐあっ」

 カイルが庭に倒れ込んできた。扉の奥から殺気が流れてきていた。

「くそ、あのおっさん問答無用で斬りかかってきやがった」

「やはりもう一人いたか」

 振り向くと男が立っていた。白銀の鎧をまとい、腰に剣を佩いている。首元には銀のレリーフがつけられていた。王国騎士だ。タウラはその顔に見覚えがあった。鎧の男は声をあげた。

「おまえは、タウラ・ヴィンス?」

 二人の目が合う。男は王国騎士の試験で最後に戦った壮年の剣士だった。

「知り合いか?」

 タウラはうなずく。

「約一年ぶりになるか。また会う日が来るとは思っていなかったぞ。おれの剣を折っておきながら王国騎士を辞退し、姿を消した謎の男。あのあと何があったのだ。今までどこにいた」

 事情を知らない?

 王国騎士団長でもある壮年の剣士にも知らされていないのか。声を出せないタウラの代わりにカイルが答える。

「タウラは自ら辞退したわけじゃない。国の連中に城下町を追放されたんだ」

「あれほどの使い手が王国騎士にならないとは国の損益でもある。なのになぜ追放せねばならない」

「あんたもつけているレリーフが原因なんだぞ。渡されたレリーフに呪いがかけられていて、触れた途端タウラは声を失い、あやうく命まで落とすところだったんだ」

「呪いだと、馬鹿馬鹿しい。見るからに健康そのものではないか」

 壮年の剣士は不可解な顔をした。

「それに言葉を失うというのは噓だな。なぜならおれは試験のあと、タウラ・ヴィンスの声を聞いている」

「だからレリーフの呪いなんだって」

「レリーフは象徴であるだけで、そのような力はない。仮にそうだとして、おれが平気である説明はどうつける。聞かせてくれ、タウラ・ヴィンスよ。おまえはなぜ王国騎士を辞退したのだ」

 辞退したのではない。しかし、タウラは答えない。答えられない。

「答えたくないのか」

 壮年の剣士はそう解釈した。

「おまえに何が起き、どういう考えがあったのか興味はある。おまえの立ち振る舞いも実に見事だった。だが、あれらはすべて演技だったというのか。覚悟もなく王国騎士の試験を受けたのであればそれは剣士たちへの侮辱だ。己の力を試したいだけでまわりを巻き込んだのであればそれは我がグラジオスに対する冒涜ぼうとくだ。いくら素質のある剣士だとしても、騎士としての資質をおれは否定する。そして砂時計のあるこの場に足を踏み入れる者に弁解の余地はない。おまえたちを捕え、厳罰に処す」

「おれたちは砂時計に用があるんだ。タウラが触れれば声が戻るかもしれない」

「砂時計に触れることは重罪だ。この国の人間なら知っているだろう。貴様、名は何と言う」

「カイル・アンスコット。行商人だ」

 壮年の剣士はカイルの名を反芻する。

「その名はたしか。なるほど、南の国レジーナか。タウラ、あのときのおまえの剣は素晴らしかった。その流派もアンスコットと言っていたな。よもや南の手先になるとは落ちるところまで落ちたか」

「誤解だ。おれたちは南の手先でもグラジオスに危害を加えるつもりもない」

「ここまで侵入しておいてその理屈は通るまい。根拠のない言い訳は余計に身を貶めるぞ。言いたいことがあるなら、剣を抜け」

 壮年の剣士は剣を抜いた。すでに剣には気がまとっている。

「このおっさん、話が通じないタイプだ」カイルが肩を落とす。

「おまえたちはここで捕える。王国祭の妨げになるものはどんな芽でも摘み取るのが王国騎士の役目だ。罪は牢の中でゆっくり悔いるがいい」

「タウラに剣を折られたくせによく言うよ」

 タウラとカイルは剣を抜いて構えた。

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