第4話 決断

「里帰りついでに南の国レジーナを行商でまわっていたんだが、そこで聞いた話だ。南には奇術を使う連中がいることを知っているか。おばあさんの呪術の元になっている力だ」


 それは伝説の類いじゃなかったか。おばあさんも絶えて久しいと言っていたじゃないか。


「正確に言うとその人は奇術を使えた人間の末裔だそうだ。本人は使えないと言っていた」


 中央にそびえる山脈を境にこの大陸は南北にふたつの国を有している。もとはひとつだった国が千年ほど前に起こった「人種分裂戦争」によって南北に別れたのだ。この戦争を機に同じ人種が別々の道を歩むことになる。


 争いの火種は「砂時計エーラ・クロツカ」だ。長い歴史の中で支配者は人を支配し、土地を支配し、さらには時間を支配しようとした。それが覇者の証であり、真の意味で世界を統治することができるという思想は現代にも根づいている。


 いま、砂時計はグラジオス王国が管理している。いつ誕生したのか、何のために存在しているのか解明できていない砂時計であるが、千年前、それを南の国が欲しがった。戦争で多くの血が流れた後、勝利したのはグラジオスだった。国力は圧倒的に北の方が勝っているのにもかかわらず大苦戦を強いられたのは、南の国には人智を越えた力を使う者がいたからという説が根強く残っている。


 星の流れを司る者。そう呼ばれていた。天変地異を起こすことができたとも言われていたそうだ。あくまでも噂の域を出ないが。


「公には存在していないことになっているが、力を隠して暮らしている人がいても変じゃない。そう考えて探していたらたしかに実在したんだ。見つけたのは親父だけどな。その人は隠者の生活をしていて、話してもらうのも一苦労だったよ。何を聞いても知らん帰れの一点張りでさ。でも呪いで声を失うことがあるのかと尋ねたら、驚いた顔をしたんだ。どうしてそんなことを知っているのかってさ。千三百年以上前、王朝歴がはじまる前時代の呪いにそういう類いのものがあったそうだ」


 時を奪う呪い。隠者はそう言った。


「もしそれがタウラにかけられているのであれば、タウラの声から時間が奪われていることになる。息を吸う、飯を食う、剣を振る、声を発する。どんな行動をとるにも時間が経過する。人は時間を代償に行動ができると言い換えてもいい。その時間を奪われたことで行動できなくなる。タウラの場合は話すことができなくなったんだそうだ」


 声だけ時間が奪われている。王朝歴がはじまる前なら戦争が起こったときよりもさらに三百年以上過去の話だ。古代に生み出された呪いであれば、残念だが治療方法は現代には残っていないだろうとも。タウラはショックを受けた。自分の声が戻ることは一生ないのか。話すだけではない。書くこともできないのだ。城下町に住む家族に向けて手紙を認めようとしたことがあった。


 だが、筆は一向に進まなかった。頭に浮かんだ言葉を外に出すことができないのだ。あのときほど自分の置かれた状況に愕然としたときはなかった。


「諦めるのはまだ早いぞタウラ。時間を奪う呪いである説が有力になったということで、別の可能性が生まれたんだから」


 どういうことだ。


「グラジオス城が管理している砂時計だよ。隠者が言うにはあれには星の時間が流れているらしい。それこそ何千年、何万年ものな。砂時計に触れて時間の流れを感じることができれば、封じ込められているタウラの時も流れ出すかもしれない」


 グラジオス城内の悠久の庭には王国が管理している砂時計がある。しかし、中に入ることはたとえ王族であっても特定の日だけしか許されていない。一平民で、しかも城下町を追放されたタウラなどもってのほかだ。なのにカイルは落胆していない。


「天はおれたちの味方をしてくれているぞ。次の祝日には王国祭が始まるじゃないか」


 そうだった。暦のことをすっかり忘れていた。王朝歴という年の数え方になってから、その大半を統治してきたのがグラジオス王朝だ。節目の年には国中をあげて盛大な祝典が催される。南の国の人々も観光がてら参加する。いやなことはきれいさっぱり忘れて、皆が楽しめる祭なのだ。今回催される祭一番の醍醐味はグラジオス城内で管理されている「砂時計」が民衆に開放されることだ。


「開放といっても遠くから眺められるだけだが、普段は厳重に鍵がかけられている場所だから、近づく機会としては申し分ない。かつてない催事だから、大勢の人が押し寄せるだろうな。おれたちはその前に庭に侵入して砂時計に触れる。タウラ、おまえはまだ城下町に戻りたいと思っているか」


 タウラはうなずいた。強制的にとはいえ、行き場を失った自分を迎え入れてくれたコルポト村には感謝している。村での生活はタウラに安穏を与えてくれているが、母と妹の顔を忘れたことは一度もない。


 家族を背負うために王国騎士になろうとしたが、その夢は潰えた。代わりに国は家族の生活の保証をすると約束した。これはタウラの行動の結果でもある。けれど望んだ形とは違った。家族と引き離され、母と妹を城下町に残し、自分はあてもなく剣を振っている。剣を振る生活がいやなわけではない。この村も、ここに暮らす人たちも好きだ。


 でも、時々考えるときがある。もし声を取り戻すことができれば、以前の生活に戻ることができるかもしれないかと。


 そして、声を取り戻すことができなければ。


 薬が切れたらこの呪いは容赦なくタウラの身体を蝕んでいく。毎日剣を振っていると、ほんの些細な変化でも感じることができた。今は声だけだが、やがてそれはタウラのより多くの時間を止めてしまう。そうなれば家族に会えないどころか、この村で用心棒として剣を振ることさえままならなくなる。剣を振ることのできない時点で死と同然であり、タウラにとって剣は自分の存在価値そのものになっているのだ。


「おれはな、タウラがこんな目にあったのに事を封じ込めようとした国のやり方が気に食わねえんだ。おまえを町から追い出し、家族から遠ざけ、事件を忘れようと仕向けたやつらに言葉を取り戻したおまえの口から言ってやってほしいんだ。見たかこの野郎って」


 タウラはその場を想像する。きっと、王族の人たちは、目をまん丸にするだろうな。だが、タウラはカイルほど王族を恨んでいないことを不思議に思っていた。きっとそれは、王国騎士になることは家族のためでもあったからだろう。結果は変わってしまったが、家族は金銭的には不便なく暮らすことができている。


 だから心配なのだ。もし城内への潜入が発覚し、捕まれば重罪確定で牢屋に直行だ。家族にも迷惑をかけることになるだろう。


「タウラ、おまえいまの状態が家族を幸せにできているとでも思ってるんじゃないだろうな」


 そんなことはない。母と妹が悲嘆にくれて暮らしていることはカイルから聞いているし申し訳なく思っている。


「幸い親父は城とも取引をしているんだ。今回は息子のおれが代役できたことにする。タウラは見習い荷物持ちだ。兵士でもおまえの顔を知っているやつはいないだろうから」


 皮肉なことさとカイルは付け加えた。行商人であれば城内に入ることはできる。しかし、カイルの案は、彼ら親子まで巻き込んでしまい余計にためらわれる。そんなタウラの不安を吹き飛ばすようにカイルは白い歯を見せて笑みを浮かべた。


「親父はおまえに任せるってさ」


 師匠は師匠だった。


「おれたちに何かがあったときは親父がタウラの母さんと妹を面倒見てくれることになっている。だからその点は心配するな」


 あとはおまえの気持ち次第だとカイルは言った。ここまで枷を外してもらってタウラに残ったのはただ真実が知りたいということだった。自分はなぜ声を失ったのか。どうして城下町から遠ざけられたのか。タウラはポケットからレリーフを取り出した。意識を失っている間も、ずっと握っていたらしい。白銀に輝いていたレリーフの裏に、大きな影が隠れているように思えてならないのだ。砂時計に近づけるタイミングは今しかない。


 タウラはしっかりとうなずいた。

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