第3話 タウラの呪い

 一年前の昏睡から目覚め、タウラの容態が安定した後、コルポト村は彼に用心棒を頼むことにした。彼の強さを求めたのではなく、剣を手放し、落ち着かせるために。

 

 この村に用心棒はさしあたって必要ない。いたってのどかな場所なのだ。が、いきなり剣をとり上げることは、反発を招く恐れがあったので、用心棒という態がとられた。ここで暮らせばタウラの心によい作用が働き、安穏になるだろうという国の采配でもあった。


 村の人はタウラを温かく迎えてくれた。声を失い、会話ができない状態でも、タウラの意思を理解しようとしてくれ、彼が村に馴染むための努力をしてくれた。一年経ったいまでは、村の人たちはタウラの仕草で、彼が何を伝えたいのかある程度わかるようになっていた。タウラの心も穏やかになっていったのだ。


 しかし、それでもタウラは剣を降り続けた。用心棒である限り強さは必要なのだからと、自分に言い聞かせて。何より、剣を振っていないと自分が自分でなくなってしまうような気がしたのだ。


 村の裏山の一角に切り開かれた更地がある。タウラはそこで剣を振るのを日課にしていた。


――また剣筋が変わっている。


 カイルはそう思った。紫紺の武着を脱ぎ、腰に巻いて剣を振っている。艶やかな黒髪は呪いの影響かすべて白くなっていた。声を失ってからのタウラの剣技はいっそう磨かれた。凶暴になったともいえる。体つきもたくましくなった。


 だが、それが余計な筋肉のように思えてならない。流れる水のような美しい剣筋を強張らせてしまっている。目的を失った剣はタウラに強さだけを求めさせた。声に出せないやるせなさを剣に乗せているのだ。


 カイルも稽古は続けている。腕を上達させるものというより、腕を落とさないための稽古だ。行商人として自分の命を守るための剣だ。同じ師匠に学んでいたのに、目的が違うとこうも剣筋が変わるのか。あのときと同じようにはいかない。それほどまでにタウラは環境に翻弄されたのだ。そしてそれはカイルにある決心をさせていた。


「タウラ」


 カイルの声にタウラは振り向いた。うっすらと掻いた汗を拭う。実は気配でカイルが近づいてきていたことには気づいていたのだ。三月ぶりの友との再会にタウラは顔をほころばせた。二人は再会の握手をする。


「ずいぶん振り込んでいるようだな。一端の剣士の手をしているよ。また腕を上げたんじゃないか」


 何にせよ、カイルとしてはタウラが剣を降り続けてくれているのは誇らしかった。タウラはこれから見回りだという仕草をすると「おれも行くよ」とカイルも続いた。

 のどかな村をのんびりと歩く。タウラは一日に三回、村の様子を見て回る。周辺に異常がないか探ることが目的だが、村の人のおしゃべりの聞き役になることも同じくらい大切な仕事だった。剣を収めたタウラのまとう空気は柔らかくなっていた。


 コルポト村ではゆったりと一日が流れる。城下町の規律から外れ、牧歌的な時間を身体に感じる。これも国が安定しているおかげなのだろう。この国に不満を言う人は少ない。治政もしっかりしている。なのにどうしてタウラにはひどい仕打ちをしたのだ。グラジオスに永住していないカイルにとって、そういった矛盾は余計に気になった。


 タウラとカイルは小さな家の前で止まった。扉を叩くと、しばらくして中から一人の老婆が姿を見せた。


「おや、タウラにカイルじゃないか。男前が二人してわしの前に現れてくれるとは眼福じゃな。長生きするといいことあるのう」


 ひょひょひょと笑う。歯が半分以上抜けているのですかすかした笑い声だった。老婆越しに家の中が見えた。床が見えないほど散らかっている。


「薬を欲しがる者が多くての。老いた身体には堪えるわい」


 そう言いながらも、ちっとも困っていなさそうだ。家の中にあげてもらい、二人は何とか足の置き場を確保できていた椅子に座る。鍋から立ち込める煙は香草の匂いがしていた。


「身体の調子はどうじゃ、タウラ」


 変わったことはないという意味を込めてうなずく。老婆はそのあたりを汲みとってくれる。


「よくも悪くもといったことろかの」


「おばあさん、タウラの言葉ですが」


 老婆は首を振った。


「タウラにかかっているのは呪いの一種じゃ。失っているというより封じられていると言った方が正しい。恐ろしく強力な呪いになっておる。命があっただけでも幸運であった」


「その節はありがとうございました」


「わしの力ではなくタウラの生命力のおかげじゃよ」


 タウラ自身はあのときのことをあまり覚えていない。王国騎士の試験に合格し、レリーフに触ったところまではいい。その直後、絶望の底をひっくり返し、大勢の人間の悲鳴を浴びせかけられ、気がついたときにはコルポト村のベッドの上だった。ここに住む呪術師である老婆がタウラの命をつなぎとめてくれたのだ。


「今の時代には存在していない呪いの類いじゃ。この薬もいつまで作ってやれるかわからん」


 調合するにも、老婆の呪術が不可欠なためタウラやカイルに作ることはできない。薬が切れることはタウラの死に直結する。


「呪術ってのはどういう原理でできているんですか」


「一子相伝のものになる。特別に何かを施されたというわけではない」


「おばあさんは元は南の国レジーナの人なんですよね。その力は南でも珍しいものといううわさは耳にしています」


「わしの力は本流の端の端じゃよ。本物には到底及ばん。今は絶えて久しいがの。南と北は行き来がしやすくなって、夫と一緒にグラジオスまでやって来たのじゃ。この国には調合師がいないからの」


 国のお抱えになり仕事をしたが、やがて市井の人にも薬を渡したいという想いが募り、城下町を出てコルポト村で暮らすことにしたのだと。タウラが意識を失ったとき真っ先にここに運ばれたのは、老婆の持つ力を国が知っていたからだ。


「でも、だったらどうしてグラジオス王国のレリーフに南の呪いがかけられていたんですか。あれは王国騎士になる者だけに渡されるものなんですよね。南が関与できるとは思えない。第一、タウラにだけ呪いがかかるなんて変じゃないですか」


「変ではあるがおかしくはない。世の中には理屈で説明できない巡り合わせというものがある。そして生きながらえたことにも意味がある。これはタウラにとっての試練なのかもしれん」


 タウラにしてみれば、なぜ自分が巻き込まれなくてはならないのか理解できなかった。ただ王国騎士の試験を受けただけなのだ。


「巡り合わせってだけで害を被るなんて納得できない。王族の連中が仕組んだ疑いだってある」


「現代の知恵ではできんよ。そのくらいこの呪いはすさまじいものじゃった」


 きっぱりと言い切り、老婆は一蹴した。カイルは唇を噛んでいたが、実はタウラは老婆に賛成だった。ただし理由は違う。これは甘い考えかもしれないが、ぼんやりと意識が遠のいていく中で聞いた王女リーシャの声はまぎれもなく当惑から出た声だったように思われた。ぼんやりしていたので当てにはならないが。

 お茶を馳走になった礼を言って、家を出た。


「よし」カイルが小さく吠えた。タウラは目をぱちくりさせた。


「タウラ、おまえに大事な話がある」


 二人は足を止め、向かい合う。カイルは真剣な表情をしていた。

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