第6話 歪んだ空間

「ほう、タウラと同じ流派というだけあっておまえも多少は剣を使えると見える」

「厳しい師匠なもんでね。ちなみにおれが兄弟子だ」

「ならば遠慮は無用だな。試験官であったときのおれとは思わぬことだ」

 むん、と壮年の剣士が下から剣を振り上げる。タウラはそれを受けた。重い一撃だ。試験のときよりも重い。続けざまに打ち込んでくる斬撃を受け、火花が散る。

「マルス流か」

 カイルは機を伺いながらぼそりと言った。壮年の剣士から繰り出される剣術は、グラジオスで磨かれてきたもっとも隙がないとされ防御に特化したマルス流だ。とはいえそれは一対一の場合だ。対複数の場合なら隙だって生じる。カイルは壮年の剣士の死角にまわった。正々堂々など言っている場合ではない。生き残ることを優先する。壮年の剣士の意識が完全にタウラに向いたとき、カイルは背後から加勢した。だがそれは軽々と受けられる。振り向くことなくあまりにも簡単に止められた。

「それでマルス流の弱点を突いたつもりか」

 壮年の剣士の一撃はカイルの想像を越えていた。丸腰で騎馬を相手にしているようだった。タウラはこれをさばいていたのか。剣を持つ手にしびれが走り、カイルの剣は弾かれた。みぞおちに蹴りをくらい、尻餅をついた。

「軽いな、所詮は商人の剣だ」

 壮年の剣士は斬撃を繰り出すのを止め、タウラと向き合う。

「タウラ・ヴィンス、一年前の美しさが見る影もないな。やみくもに剣を振っていたのが手にとるようにわかる。おれが惚れたのはそんな剣ではない」

 そう言って、構えを変えた。それを見てタウラは間合いをとった。違う、間合いをとらされたのだ。

「守りの剣としてマルス流は賞賛された。国のために尽力し動乱の中世を生きた三英雄の一人、マルス・マルタンは南との戦争でグラジオスを勝利に導いた。しかし、マルスが得意としたのは守りの剣ではない。マルス流の本流は対複数を相手にし、瞬く間に相手を葬る残虐の剣だ。それを国が恐れ、マルスは処刑されたのだ」

 中世グラジオスで八面六臂の活躍をした英雄の死は、非業の死と語り継がれている。だが現在、大多数では同情されていない。剣の腕は一流であり軍隊長として国の防衛も担っていたが、南の国との戦争時、勝利を手に入れるため謀略と非情な態度でもって多くの敵の命を奪ったのだ。グラジオスが勝利することができたのはそのためだ。歴史の教科書にも載っている。

「王国騎士はマルス流を習得するが、その神髄を得てはじめて王国騎士になることができるのだ。戦の絶えなかった時代を生き抜くための攻めの剣、相手を不能にするためだけに磨かれ続けた裏マルス流だ」

 タウラと壮年の剣士の間合いがひりついた。踏み込めない。

「右だ、タウラ」

 カイルの声に反応し、咄嗟に半身で剣を受ける。目の前には壮年の剣士が霞んで残っていた。

「足の運びが変われば動きも変わる」

 頸動脈を狙われたのを、皮一枚で止めた。タウラの首から血が滴る。相手を制する剣なんかではない。殺すだけの剣だ。別人を相手にしている感覚だ。壮年の剣士の攻撃はやまない。タウラは受けきるだけで精一杯だった。一年前と立場が逆転している。

「トーラス、何をしているの」

 声に反応し、壮年の剣士の動きが止まった。入り口に立っていたのはタウラと年の変わらなそうな少女であり、グラジオスの次期王女のリーシャ・グラジオスだ。白で統一されたドレスは王国騎士の試験のときと同じだ。王国祭に出席するための王族の正装なのだろう。剣を振る男たちを前にしても毅然とした態度を見せていた。タウラの呼吸は荒くなっていた。

「扉が開いているし、中から音がしていると思ってのぞいてみたら。ここには城内の者を含め立ち入り禁止よ」

「賊たちがその禁忌を犯したので捕えているところです。リーシャ様、危険ですのでこの場からお離れください」

 賊という言葉にリーシャはひるまなかった。地に膝をついている商人風の男を見、それから満身創痍に疲弊している剣士に目をやった。

「あなた、どこかで」

 タウラたちのもとに近づいてきた。「リーシャ様」と制止しようとするトーラスに耳を貸さずに。一年前は伏し目がちで見た程度だったが、いまははっきりとその顔を見ることができた。柔らかそうな白い肌に滑らかな黄金色の髪が束ねられている。黒の瞳は肌の色と対照的で際立っている。

「そうよ、一年前に城内闘技場で見たことがある。ずいぶん若い人だったから。あなたあのとき優勝した人でしょう」

 タウラは驚いた。リーシャに会ったのはレリーフを渡されたほんのわずかな時間だけだ。

「彼はタウラ・ヴィンス。昨年の王国騎士の試験でわたしと戦った男です」

「やっぱり。でもどうしてここに来たの」

 タウラは城下町への出入りを禁じられている。問い質すような口調はそこを踏まえての質問だからだろう。カイルが口を挟む。

「あんたらが身勝手な事情でタウラを追放したんだろ」

「言っておきますけど、あのレリーフに王族は関与していません。現に今も犯人を探しているところです」

「どうだか、もう一年も経っているじゃないか。そもそもタウラを町から追い出したのはどうしてだ」

「それは……お父様がお決めになったことだから」

「責任は人に被せるわけだ」

 ふんと、カイルが鼻息を荒くする。

「犯人を探すのはあんたたちの勝手だ。こっちはタウラの声を取り戻すために砂時計に用事があるんだ」

「声を? 砂時計エーラ・クロツカに何か関係しているのですか」

 リーシャはタウラを見た。こういうとき、うなずけばいいのだろうか。

「それに触れれば、タウラから奪われた時間が再び動き出すかもしれないんだ」

 壮年の剣士トーラスが立ちはだかる。

「根拠のない言い草だ。それも南の国レジーナの指令を受けてのことなのだろう」

「だから南は関係ないって」

「どんな事情にせよ、砂時計に触れることは何人たりとも許されない。それを知っているから忍び込んだのだろう。盗賊の理論はここでは通用しない。リーシャ様、この者たちには口で説明するだけ無駄です。まずは捕えます。お説教はそのあとでもいいでしょう。今は国の法律を遵守すべきです」

「だめ、ここではだめ。あまり砂時計に近づいたら」

「では賊たちが言うことを聞いて引けば不問に処すとでも。引くわけがないでしょう。罪を犯した人間は罰さなくてはなりません。リーシャ様、おどきください。これは剣士同士の戦いです」

「そうじゃないの!」

 止められない。自分の力の至らなさにリーシャは歯粥んだ。いざというときには力によって解決される。そういうやり方に不満を持ちながら、そうせざるを得ない状況に迫られる。その力を一国の王女でありながらリーシャは持っていない。

 戦いは再開し、トーラスは優勢のまま、ついにタウラの剣が折れた。剣先が青空に打ち上げられる。勝敗は決した。

「これが実力の差だ」

 意切れをするタウラとは対照に、トーラスは余裕の表情を見せている。だが、タウラの目は濁らない。

「逃げ場はない。だというのにおまえは。その潔さだけは認めてやろう」

 トーラスはタウラを斬ろうとした。そのとき、

 ズズ、ズズズ。ズザザザ。

 子どもが勢いよく砂場に飛び込んだような音が断続的に聞こえた。タウラの正面、トーラスの背後だ。大気が振動している。それにより砂時計の周囲が揺れていた。気温の変化によるぼやけ方ではない。紙をくしゃくしゃにしたときみたいにはっきりと歪んでいる。

 ズザザザ。ズジジ。ザザズズズ。

 歪んでいる砂時計の中の砂が舞っている。上の砂と下の砂が入り交じって吹雪いている。

「砂時計が怒っている」

 音とともにタウラのレリーフが光っている。タウラだけではない。まるで砂時計と共鳴しているみたいに。突如、空間がへこみ、砂時計が収縮されていく。そこに穴が空いた。

「これは一体」

 青空にぽっかりと生まれた群青の空間が浮かんでいる。中は渦巻いている。風が起き、タウラの服がなびいている。吸い込もうとしているのだ。

「リーシャ様、砂時計から離れてください!」

 トーラスの方に行こうとするが、リーシャの身体は砂時計に引き込まれていく。掴めるものもない。トーラスが腕を伸ばそうとするよりも先に、タウラが動く。咄嗟に動いていた。目の前の存在が危険なものに思えたのだ。リーシャの腕を掴み引き戻そうとする。それでも砂時計の引力には逆らえない。

「タウラ!」

 カイルが叫んだ。途端、タウラとリーシャは砂時計の中に吸い込まれていった。群青の空間は閉じ、悠久の庭にはカイルとトーラスの姿だけしかなかった。

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