第27話 断頭台へ上がる。

 グッと目を閉じる公香は、膝の上で拳を握りしめていた。怖くて、伊月の顔を見る事ができない。勢いあまって、思ってもいない事を口走ってしまった。そして、後悔の念に押し潰されそうになっていた。

 どうして、あんな事を言ってしまったのか。

 伊月を困らせたい訳ではない。でも、あまりにも伊月が、公香の事を突き放そうとするものだから・・・つい。愛情を伝えたかったのに、どうして脅しとも取られかねない物言いをしてしまったのか。いや、完全に脅迫だ。

 好きだから、一緒にいて下さい。そういった方が、まだ素直で可愛げがある。

一緒にいてくれないなら、死にます。それは、やはり愛情ではなく、脅迫だ。

 今すぐ笑って、誤魔化さないと。そう思っている公香であったが、体が凍り付いたように動かない。言う事を聞いてくれない。

「・・・公表しますか」

 呟いた伊月に、公香の両肩は激しく跳ね上がった。心臓が警鐘のように、危機感を煽ってくる。

「それは、全然かまいませんよ。むしろ、望むところです。俺は、最初からそうするつもりでしたからね」

 いつも通りの抑揚のない伊月の声に、公香の顔は自然と上がっていく。公香と目が合った伊月は、ゆっくりと目を細めていく。そのあまりにも冷静で、平然とした伊月の態度に、公香は声がでなかった。

 まるで、子供の我儘を余裕で受け止め、流しているみたいだ。

 伊月にとって、私はいつでも切り捨てられる存在だったのか。

 もしも、公香が二人の関係を世間に公表したなら、伊月ブランドは、社会的に地に落ちるだろう。主導権を握っているのは、公香のはずなのだが、伊月は余裕しゃくしゃくといった様子でワインを飲む。

「うん。美味い」

 伊月は満足気に、頬を緩めている。

マウントを取られない為のパフォーマンスなのだろうか?

 それとも、公香には、そんな真似はできっこないという確信があるのだろうか?

 余程の天然か、知能指数が低くない限り、公香の伊月への想いは伝わっているはずだ。その事が、伊月に余裕を与えているのだろうか?

 公香は、唇を噛んで、拳を握り、俯いた。恥ずかしいやら、情けないやら―――酷く惨めな気持ちだ。

「伊月さんは、今の地位や名誉を失うのが、怖くないのですか?」

 公香は俯いたままで、自身の膝に話しかける。ワインを手酌で注ぐ伊月は、グラスを鼻先に持ち上げ、匂いを嗅いだ。

「ええ、ちっとも」

 グラスを唇に当て、喉を鳴らす。

「どうしてですか?」

 ゆっくりと顔を上げる公香は、ぼやけた視界で伊月を見つめた。定まらない視点は、アルコールのせいではないだろう。

「本田さんの作品を盗用した時点で、作家伊月康介は死にました。本田さんと手を組む事に決めたのは、罪滅ぼしです」

「罪滅ぼしとは、どういう意味ですか?」

「そのままの意味ですよ。本田さんを・・・そして、本田さんの作品を傷つけてしまった。だから、俺に出来る範囲内で、本田さんが満足し納得してもらえる事がしたかったんです」

 公香は愕然とし、テーブルに崩れ落ちた。テーブルに乗ったグラスや皿が衝突し、激しく音を立てた。

「本田さん!? 大丈夫ですか!?」

 伊月は大声を上げ、公香の傍へと歩み寄った。テーブルに突っ伏している公香は、操り人形の糸が切られたように、ピクリとも動かない。伊月は、公香の背中に触れながら、倒れたグラスを起こす。テーブルクロスに真っ赤なワインが広がり、惨殺現場のようになっていた。

「・・・大丈夫のように見えますか?」

 なかなかの金額をかけて整えた公香の髪が、無残なほどに乱れている。公香は緩慢な動きで体を起こし、椅子の背もたれに体重をかけた。伊月は、無言のまま公香にハンカチを差し出し、対面の席に戻った。公香は受け取ってしまったハンカチをテーブルに置く。しかし、すぐさまハンカチを取り戻し、目元に当てた。公香の顔や髪、衣服にワインがついてしまったけど、どうでもよかった。

 これまで、伊月の為にと必死で頑張ってきた事は、彼にとっては嬉しくもなんともなかったようだ。一応、口では感謝していると言っていたが、あまりにも体温を感じなかった。あの楽しかった時間が、罪悪感から生まれた消化試合だった。鈍器で頭部を殴打されたような衝撃だ。伊月にとっては現在進行形で、罪の罰を受けている。刑の執行中だなんて、笑えない冗談だ。

 勿論、伊月との接点が欲しかったし、喜んでもらいたかった。百パーセント伊月の為ではない。それでも、お互いにメリットがある関係性だと、公香は思っていた。

「コンビを解消したいという事ですか?」

 公香は俯いたまま、消え入りそうな声を漏らす。

「さすが作家さんとでも言うべきですかね? なかなかの想像力をお持ちだ。そして、被害妄想が強いですね。本田さんが言うように受け取ってもらっても構いませんよ。本田さんのメンタルでは、今後続けていくのは、不可能だと思います」

 淡々と言葉を並べる伊月を、公香は茫然と眺めている。確かに伊月の言うように、彼はコンビ解消だとは言っていないし、公香の憶測なのかもしれない。でも、『君がやりたければやればいいし、止めたかったら止めればいい』と、突き放された感覚は拭えない。

「伊月さんは、続けたいですか? それとも、止めたいですか?」

 ああ、自らの意思で斬られに行くなんて、公香は自分の性格を呪った。答えなんか二択しか考えられない。どっちでもいいか、止めるかだ。

「お互いの為に、止めた方がいいと思います」

 公香は目を見開いて、顔をゆっくりと上げた。伊月はワインを飲んだ。

「今から自分勝手な事を言いますね。俺は、もう禊は終わったと思っています。仮に一年前に裁判を行ったとしても、手に入れる事ができなかったであろう金額を本田さんは手にしています。そしてなにより、すぐにでも作家で活躍できるほどの筆力を身に着けました。そうなるように、指導してきました。もう本田さんに、俺は必要ありません」

「そんな事は、ありません! それに、私の気持ちはどうなるんですか!?」

「加害者にメンタルケアを求める事は、ありえません。それは、慰謝料というものです」

「そういう意味じゃなくて!」

 公香は、テーブルを叩きつけて叫び声を上げる。伊月のあまりにも体温を感じない、事務的な説明に悲しみを通り越して、怒りが込み上げてきた。しかし、きっと伊月は、意図的にそうしているように感じる。良い意味でも悪い意味でも、公香を突き放そうとしているようだ。だが、公香には、受け入れられない。

「私がゴーストライターになる提案を受け入れたのは、罪滅ぼしだとおっしゃいましたよね?」

「はい、言いました」

「じゃあ、私がゴーストライターではなく、彼女にして下さいと言っていたら、受け入れてくれましたか?」

「それは、俺ができる事の範囲外の事です」

 まったく動揺する事もなく、伊月は真っ直ぐに公香を見つめる。反射的に公香は、顔を背けた。分かっていた事ではあるが、面と向かって拒否をされると、全身が震えた。椅子に座っていなかったら、みすぼらしく膝から崩れ落ちていただろう。この一年間、公香なりに必死になって、伊月に尽くしてきた。ただそれは、伊月からしてみたら、公香の自己満足であったのだろう。豪華な個室がグルグルと回っている。お洒落な食器や調度品が、残像のようにぶれて見える。

「・・・私は、そんなに魅力がありませんか?」

 なけなしの意識と理性を振り絞って、公香は全身に力を込めた。

「そんな事は、ありませんよ。とても、素敵な方だと思います」

「そういうのは、いいですから!」

 声を荒らげると、腹部を圧迫されたように、公香はハンカチで口を押えた。頭痛、眩暈、吐き気、腹痛、多くの不調に襲われる。伊月は公香の異変に、すぐさま反応して立ち上がろうとしたが、ゆっくり尻を椅子に落とした。

「俺には、婚約者がいます」

 伊月の平坦な声に、公香は頭と体を切り離された感覚に陥った。

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