第三十三話 逆襲の魏遼

 魏遼率いる騎兵隊は、明くる日、尉城に入城した。日は傾きかけ、赤い太陽が、城壁の向こうに没していった。

「貴殿が王敖将軍子飼いの騎馬隊長でしょうか。そのご活躍ぶりは聞き及んでおります。感謝致します」

 尉城の守備隊を率いる孫光そんこうは、笑貌を浮かべながら、拱手きょうしゅの礼をして魏遼とその部隊を出迎えた。尉城を守る兵士もその大部分が逃亡しており、詰めているのは歩騎併せて八百程の部隊しかない。孫光自身も官卒将(百人の兵を率いる隊長)でありながら、成り行きで残兵をまとめる立場となった男である。

 彼らにとって精鋭の騎兵三千が加わる意味合いは大きく、取りうる選択肢は増える。兵を山林などに伏せて遊撃戦を行い、敵の行軍を妨害したり輜重を攻撃して補給線を脅かすこともできるであろう。そうした後方攪乱によって、普の主戦力である武陽の守備隊を少しでも支援できれば、武陽に迫った張石軍を退かせることができるかも知れない。

「まだ物資には余裕があるでしょう。しばし休養なさってください」

「ではお言葉に甘えよう」

 魏遼は官吏用の宿舎をあてがわれ、そこに通された。じっくり腰を落ち着けて体を休めるのは、本当に久方ぶりのことであるかも知れない。これまでは村落での略奪続きで、いつ民からの逆襲があるか分かったものではなかったため、ゆっくり休むことなどできなかった。

 その晩、魏遼は寝台の中で、泥のように眠った。久しく、深い眠りには就いていなかった。彼はまだ若いとはいえ、蓄積された疲労は決して無視すべからざるものである。


 明くる日から、魏遼は孫光とこれからのことを協議した。魏遼は北辺のことには詳しいが、国都周辺の地理にはそこまで明るくない。周辺の地理に詳しい孫光の協力は、必要不可欠である。張石軍の展開も踏まえて、綿密に、攻撃の計画を練った。

「よし、では騎馬千騎で出よう。狙うは敵の糧道だ」

 魏遼は千騎の騎馬隊で出撃し、補給線を攻撃することに決めた。敵は大軍勢で行軍しており、大量の食糧を、今も消費し続けているはずである。こういった敵を相手取る場合、後方に回り込んで輜重を攻撃し、補給線を断ち切る策は非常に有効である。

 ——張石軍よ、今に見ておれ。お前たちを干上がらせてやる。


 出撃前の前夜は、兵士たちに牛肉が振舞われた。尉城の周辺では畜産が盛んであり、この晩に解体された牛も近隣の村落で育てられたものである。尤も兵馬倥偬へいばこうそうの世にあっては流民も増えたため、農耕と同じく畜産なども振るわず、肉は貴重な嗜好品となっている。魏遼隊も、肉と言えばその殆どは野生の獣を自ら狩って得たものを食らっていた。

 肉の焼ける音と、その香しい匂いが、辺りに立ち込めた。兵士たちにとっては、これが最後の晩餐になるやも知れぬ食事である。勿論、魏遼にとっても。

 星の綺麗な夜だ。空には、丸い月が懸かっている。魏遼は、かつて草原で見上げた、美しい星空を思い出した。乾いた風に吹かれながら仲間たちと眺めた星空も、このような感じであった。自分の身を置く場所が変わろうとも、夜空の星々は変わることがない。

「将軍、小臣わたくしが意志を継いでみせましょう」

 この国は、王敖将軍を殺した。そして、その報いか、この国の帝室は民からも見捨てられようとしている。だが、如何に腐敗していようとも、王敖将軍が守ろうとした国を、どうして見捨てることができよう。

 夜空に向かって、魏遼は誓いを立てたのであった。


 張石軍は立て続けに普の都市を陥落させ、今にも武陽に迫ろうとしている。が、その彼らにも悩みの種があった。それは、兵站のことである。大軍勢を支えるための補給線は伸びきり、輜重部隊は長距離をひっきりなしに往来せざるを得なくなった。占領地からの供出も勿論あるが、占領したばかりの領地から物資を多く差し出させれば、それこそ略奪と変わらず、人心は張石軍から離れよう。

 張石軍の輜重部隊が、街道を西へ向かっていた。兵糧を始めとした各種補給物資を満載した輜重車が、まるで大蛇のような行列を成して進んでいる。物資が満載された輜重車の重みが、車を引く者の体力を容赦なく奪ってゆく。

 その異様な音は、地面の振動と共にやってきた。輜重部隊がそれに気づいたのは、正午を回った頃であった。

「おい、あれ……」

 南の方角から、何かが猛烈な勢いで迫ってくるのに輜重兵は気がついた。蹴立てられる黄塵と、地面を踏み鳴らす馬蹄の音から、その正体が騎兵であることはすぐに察しがつく。

 あれが味方でないことは、輜重部隊の者全てが理解していた。普軍か、それとも野盗か、いずれにせよ自分たちに仇なす者であることは明らかである。

「武器を取れ! 迎撃せよ!」

 輜重部隊の護衛隊長、岳開がくかいは叫んだ。積み荷を狙う賊などに襲われぬように、輜重部隊には近隣の城兵たちが随伴し、護衛に当たっている。だが、その数は決して多くはない。

 護衛の兵たちは戟や刀剣、弓や弩などを各々手に取って、敵の騎兵を迎え撃った。敵騎兵の正確な数は分からない。けれども数十騎といった単位でないことだけは確かだ。少なくとも五百以上、千騎近くはいる。岳開はそう目星をつけたのであった。

「待て……あれを見ろ!」

 武器を構えた兵の一人が、焦った様子で叫んでいた。その指差した先には、銀の三つ編みを揺らし、黒い仮面を装着した騎兵が疾駆しながら、矢を番えていた。

「ま、間違いない! 奴だ! あの仮面の男だ!」

 今、自分たちが相対している敵が何者であるかを、輜重部隊の兵は悟ったのであった。

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