第三十四話 田管、救援に向かう

 この輜重部隊は、手練れの騎兵隊によって護衛の兵たちを先に蹴散らされ、残った輜重兵たちもほぼ覆滅された。何とか逃げのびて生き残った兵は、そのままこのことを報告しようと西へ走った。そも、戦闘要員ではない輜重部隊は、戦い慣れのしていない者たちで構成されている。そのような部隊が、夷狄仕込みの射術を身に付けた精鋭の騎兵隊による奇襲に、どうして立ち向かえようか。

 魏遼隊は、奪取した物資の中から運べるだけの量の物資を持って尉城に戻った。

「やった! 張石軍に勝ったぞ!」

「普国万歳! 普国万歳!」

 尉城の守備隊は、案内役として魏遼に帯同した者を除いて全員が留守を守っていたのであるが、彼ら城兵は、戻ってきた魏遼たちを見て喚起に湧いた。後方の輜重部隊が相手だったとはいえ、張石軍を蹴散らして勝利したのだ。彼ら守備隊にとって張石軍は強大なる敵であり、まともにぶつかっては勝てない存在である。弱気になっていた尉城の城兵たちにとって、そうした恐るべき相手からもぎ取った勝利は、何物にも代えがたい価値を持っていた。

 明くる日、魏遼隊はまたしても出撃した。今度は、前回城内で休ませていた騎兵の中から千騎を連れていき、代わりに前に出撃した騎兵は城内に留め置いた。


「何、敵の騎兵部隊が輜重を?」

 魏遼隊が輜重を襲ったとの報が、輜重部隊の生き残りによって張石にもたらされた。加えて、それを率いているのがあの仮面の騎馬隊長——この時には、すでに魏遼という名前が張石軍の将卒にも知れ渡っていた——であることもまた伝えられた。それを聞いた張石の顔色がさっと変わる。

「私にお任せください。騎馬同士の戦いであれば私が受け持ちましょう」

 その場にいた田管が、すかさず名乗り出た。彼には、先の戦いで魏遼に一杯食わされた、苦い思い出がある。その悔恨の念を晴らすには、かの敵を討ち取るより他に方法はない。

 魏遼と戦いたい、という動機の他に、もう一つ、田管が名乗り出た理由があった。野戦ならともかく、今現在、そしてこれから本格的に始まるのは攻城戦であり、そうなると田管の騎兵隊の力はそれほど必要ではない。そういった理由から、主力軍に帯同するよりは、敵騎兵の遊撃に対応する方が良い、と判断したのである。

「よし、頼んだぞ」

 張石は、その申し出に対し、すぐに首肯した。

 出発前、張舜は田管の騎兵隊の見送りに現れた。

「田管さま、武運長久を祈ってる。相手は魏遼だけど、負けないって信じてるから」

「大丈夫です。すぐに戻って参ります」

 神妙な面持ちで、湿っぽい表情の張舜に対して、田管は陽気な笑みを見せながら答えた。


 田管は騎馬四千を率いると、すぐに街道を東へ進んだ。輜重部隊が襲われた地点と周囲の地形、それから敵の残存戦力を考えると、敵が出撃したのは南にある尉城である可能性が高い、と、田管は目星をつけた。そして実際、その予想は正しいものであった。尉城はこの地点からは遠く離れているが、騎馬のみで行軍すれば、手持ちの糧食を切らす前に急襲することは十分可能であろう。

「戦いづらいな……」

 田管は渋い顔をしていた。敵が遊撃戦を展開してきている以上、ただ目立つ拠点を叩けばいいというものではない。相手を確実に捕捉し、完全に撃破しなければ終わらないのだ。

 田管は、四千の騎兵を二つに分けた。片方を副官の馮恭に預け、もう片方を田管自らが率いて二つの道から東進した。本当はもっと部隊を分けたかったが、敵の数は五百程と聞き及んでいる。それは正確な数ではなく、もう少し多かったかも知れない。であるから、いざ会敵した時に部隊の数が少なければ、そのまま各個撃破に持ち込まれてしまう。であるから、会敵した際に押し負けないよう、一つの部隊に二千騎は欲しかった。二千もあれば、数の上では負けないであろう。

 尤も、相手はあの魏遼であり、万全を期したとて、勝てる保証など何処にもない。悔しいことであるが、田管は自身も騎射に通じているが故に、かの仮面の騎馬隊長の力量を思い知らされてしまったのである。


 その頃、別の輜重部隊が、西へ向かって物資を運んでいた。

 空は分厚い雲に覆われていて、湿気しっけた風が時折吹き寄せている。今にも雨が降りそうな雰囲気である。

「ふぅ……」

 輜重車を引く孟桃は、疲れで息が上がり始めていた。

 自分たちよりも前に出発した輜重部隊が敵の騎兵に襲われたことは、この部隊にも知れ渡っていた。部隊の者たちは、俄かにざわめき始め、自分たちも襲撃されるかも知れないことを思って恐怖した。途中途中の都市には守備隊が駐屯しているが、足の速い騎兵には対処できまい。城門の外に守備隊が打って出る頃には、襲われた輜重部隊はずたずたに引き裂かれているであろうから。

 車輪の音が、ごろごろと鳴っている。力仕事にはそれなりに慣れている孟桃であったが、それでも輜重車を引くというのは重労働である。腕も、脚も、溜まった疲労に悲鳴を上げ始めていた。

 ふと、その目の前を、黒い虫が横切った。それは蜻蛉とんぼのような体をしているが、まるで蝶のようにひらひらと宙を舞うように飛行している。孟桃の故郷では、見たことのない虫であった。

 その虫を見て、何となく、孟桃は不吉な予感に胸を襲われた。確たる根拠がある訳ではない。だが、何となく、普段見ない、それも奇妙な虫が目の前を横切れば、胸騒ぎの一つもしようものである。

 奇しくも、その予感は、程なくして的中することとなる。

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