閑話 おじいちゃんとSNS

 曰く、幻想を重ねすぎるのはよくないって話。ありのままを受け容れる努力が大事なんだとか。受け容れられないことなんてフレームアウトさせてしまえばいいのに。ただ、今回はイーリスが正しかった。

 でも一つだけ文句を言わせてほしい。それだけ含蓄のある言葉を思いつけるのなら、助言はあと三ヶ月早く言うことで有効になるってことも気づいて。

「ねえイーリス。ほんとアイツ何なの。理想高すぎって何? じゃああんたの理想は高くないのって思わない?」

「ヨンナ、カフェで騒がないで」

「分かってるよ。でもフラれた直後なの。しかも直接会うんじゃなくてメッセージだよ、ふざけてる。奢るとかそういうの気にしなくていいから今は慰めて」

 イーリスはめんどくさ、と言ってから黙ったまんま。手付かずのケーキの隣に端末を置いて、みんなの投稿を見ている。この薄情者め。

「もうアイツほんと何なの。アイツの頭の中、実はベリースムージーだったりしない? 毎回言うこと違うの。脳みそミキサーにかけたって言われても驚かない」

「一生スムージー飲めなくなりそうだからやめて。それに、あそこのが吐きそうになってる」

 イーリスが指さしたのは銀髪の男性だった。この街では有名なおひとり様、アルマス・ヴァルコイネンだ。片手にベリースムージー、もう片方の手で口元を押さえて何かを耐えている。そのうち決心がついたのか、一気にグラスの中身を飲み干した。邪悪なドラゴンなのにグロ耐性ないなんて、面白すぎる。

「私の失恋に比べたら大したことじゃないでしょ。それと、今の私が大事にするべき人はレヴィンさんしかいないから。アルマス・ヴァルコイネンとか、イケメンだけど優しくなさそうだからどうでもいい」

「うわ、ヨンナひどい。ほらあそこのおじいちゃん咳込んじゃってるし」

 イーリスはやっぱり根が優しい。学校でみんなから嫌味を言われるって分かっているのに、あんな男に恩返しをしようとする。アルマス・ヴァルコイネンを庇える度胸は素直に見習いたい。

 といっても今の私には、学校も『スズランの手記』も関係ない。

「イーリス知ってる? 私も含め、優しいイケメン以外に人権はないの。だからアルマス・ヴァルコイネンにも人権はない」

 やばいね、なんて柄にもない言葉だけ残して、イーリスは端末に視線を落とす。仕方ない。イーリスが一番興味ないのは恋愛だ。壁打ちにはもってこいだけど、それ以上は望めない。

「もう私の癒しはレヴィンさんしかいないんだ。また格好いい写真投稿してないかな」

 彼のアカウントを探して、プロフィール画面に移る。

 正体不明の雰囲気イケメン、レヴィン・ワイス。アイコンは写真家が撮ったみたいな綺麗な写真なのに、投稿はだいたい雑多。よくわからない民族楽器の演奏動画があるかと思えば、ゲーム画面の録画もある。甘いものと植物の写真が多め。決まった位置から全体が写るように撮られた、へたくそな写真ばっかり。

 それでもたまに上げる本人の写真は雑誌に載っていそうなレベルだし、猫のハルマーが可愛いから問題なし。コメントの返信も優しいから良し。写っているものが分かれば、それで充分話題にできる。今日の彼は――

「――ヨンナ、どうしたの」

 悠長に説明している暇はない。いま私の中では大変な問題が発生した。

「イーリス。お金は置いていくから、私が戻ってこなかったらお会計しておいて」

 小銭入れを渡したらイーリスは押し戻してきた。仕方ないからイーリスのバッグに突っ込んでおく。

「ちょっと本当にどうしたの」

「真実を暴きたいのです!」

「ヨンナ、たちの悪い酔っ払いみたいな真似はやめてってば!」

 イーリスだって突拍子もない行動ばっかりするんだから、おあいこだ。ベリースムージーをもどしかけていた男性――アルマス・ヴァルコイネンは私の動きを察知したのか、慌てて立ち上がる。逃げる気だろう。そうはさせない。

「アルマス・ヴァルコイネン、おすわり!」

「ふぁっ!?」

 過剰にびくついた彼は、その拍子に椅子に座った。自分が着席してしまったことにも驚いているみたいで、ころころ表情が変わる。今ならイーリスが彼を気に掛ける理由もわかるかもしれない。いや、やっぱりわからない。彼はアルマス・ヴァルコイネンだし。

 彼の座っている二人席は、当たり前のことだけれど椅子が一つ空いていた。縮こまっているアルマス・ヴァルコイネンの対面に座ると、彼は不審な手つきで空のグラスを持ち上げる。私の携帯端末を向けてやると、アルマス・ヴァルコイネンは一瞬だけ画面を確認して、すぐに目を逸らした。

「ちょっといいですか。これ、さっきここで投稿してましたよね」

「あ、ああ。投稿したな」

 正直者か。レヴィンさんは、アルマス・ヴァルコイネンだったんだ。

 グラスを傾けても何も流れてこないと気づいたようで、彼はさっきよりも更におどおどしている。流石に挙動不審すぎる。

「アルマス・ヴァルコイネンのくせにレヴィンさんのフリしないでください」

「いや、俺、そのアカウント」

 そんなことは理解できている。けれど、神学校の生徒である私がアルマス・ヴァルコイネンと話しているなんて、いくらなんでも許されない。だから――

「分かってるけどダメです。レヴィンさんはレヴィンさん、アルマス・ヴァルコイネンはアルマス・ヴァルコイネン。だからあなたは今からレヴィンさんです」

「あっ、そっちでいいの」

「私が許します」

 これで問題なし。イーリスが馬鹿じゃなければ、私はアルマス・ヴァルコイネンの容姿を把握していない、ただの残念な生徒ってことになる。あくまで私はレヴィンさんとお話ししている設定。私はイーリスみたいに頭良くないし、またあいつがやらかしたってくらいで大目に見てもらえるだろう。

「わ、わかった」

 彼がレヴィンさんだと考えると、この戸惑いようも可愛く思えてくる。

「ねえレヴィンさん聞いてください!」

「な、何を」

「『何を』じゃないですよ。レヴィンさんならそこは、『どうしたの?』って尋ねるんです。いいですか」

「わかりました」

 何このイケメン、従順すぎる。絶対元カレよりも大事にしてくれそう。

「それで……ヨンナちゃん? はどうしたの?」

「実は彼氏にフラれたんです。レヴィンさん慰めてください」

 彼は悲しげに眉を動かす。ゆっくりと溜め息をつくと、まるで自分のことみたいにしみじみと語りはじめた。

「そっか、フラれちゃったかぁ。俺も失恋は山ほどしてきたからわかるよ」

 全部片思いだったけれど、と彼は苦笑いする。

「――それでも俺は充分苦しかった。その男性とお付き合いしていたくらいの仲だから、ヨンナちゃんは尚更苦しいよね」

 やっぱりメッセージで話していたレヴィンさんと同じだ。優しく受け止めて共感してくれる。アルマス・ヴァルコイネンとしての彼がどんな人なのかは私にはよくわからないけれど、こうして言葉を交わすうえでは良い人だ。いや、良い人すぎて心臓に悪い。一周回って無邪気な悪って感じかもしれない。

「はい、彼氏と別れたくなかったです。今はもう諦めがつきましたけど」

「ヨンナちゃんは強いね。俺にできることがあったら何でも教えてくれよ」

「じゃあ、レヴィンさんが頭撫でてくれたらすごく元気になります。撫でてください」

 えっ、と叫んで目を泳がせた彼は、恐る恐る手を伸ばして私の頭に置く。小さい子にするみたいに表面をさらさらと触れて、困ったように微笑んだ。優しいイケメンはそれだけでもう正義だ。

「孫がいたらこんな感じなのかな」

「レヴィンさんはお兄さんなので、まずはお相手からでしょう。それともあんなにフォロワーいるし、既にお相手が」

「お兄さんというよりもお爺さんだし、彼女なんていたことないよ。とことん女性と縁がなくて。告白しても必ず振られるんだ……」

「それは大いに頷けます。私も遠慮したいので」

 アルマス・ヴァルコイネンと付き合いたいなんて思わない。いくらなんでも、そこまで私の頭は悪くない。

「え、いやちょっと、そこは頷かないでよ」

 大袈裟に抗議の声を上げた彼は、すぐ半泣きになってパンケーキをつっつきはじめた。大きめに切った生地をハムスターみたいに口に放り込んでいく。いつも彼が投稿しているスイーツは、こんな風に食べられていくんだ。へたくそな写真だけれど、それが可愛く思えてくるから不思議だ。恐ろしくへたくそだけれど。

「でもまあ、僕はしつこいし、そもそも女性に好かれる魅力なんてないし。面倒くさいし、すぐ泣くし。こんな僕に執着されても迷惑だよね。ああ、いい老人が女子高生相手に何を話しているんだか……」

 こういう妙に自信がないところも、いつものレヴィンさんとなんら変わりはない。

「ほんとですよ。レヴィンさんなので許しますけど」

「あっ、俺は許される側なんだ」

「もちろん」

 その後も、学校の話を聞いてくれたり、元カレへの愚痴を受け止めてくれたり――レヴィンさんは優しかった。嫌な顔一つしないし、イーリスと私の飲食代を奢ってくれるし。

 話し込んでいるうちに、窓の外はオレンジと紫を混ぜたみたいな色に変わりはじめた。イーリスが腕時計を叩くジェスチャーをしているし、もうそろそろ門限に間に合わなくなる。

「レヴィンさん、時間なので最後に一つだけお願い」

「いいよ。何でも言ってくれ」

 懐があまりにも深いから心配になってくる。私が唸っても、レヴィンさんは首をかしげるだけだ。彼に悪いので、お願いはこれで最後にしよう。

「レヴィンさん、もっとお洒落な写真を投稿してください」

 すると彼は固まってもじもじしはじめる。

「でも、どうやって写真を撮ればいいのか」

 意外にも美的センスはないのかも。見せたいものが伝わってこないあの写真は、今どきなかなか撮れるものじゃない。

「簡単ですよ、要らないものはフレームの外に出してしまえばいいんです。証拠写真じゃないんだし、ぜんぶを写す必要はないでしょう? 補正は携帯端末がやってくれます」

 その日頼んだスイーツがすべて写っていないとダメだ、植物を撮るときは葉っぱの一枚も枠外に出しちゃいけない。レヴィンさんが撮る写真はだいたいそんな構図。たぶんものすごく真面目なのだろう。けれど、そのせいで良さが霞んでしまうのは惜しい。ものの見方はもっと自由でいい。

「一部分を切り取るからこそ感じられるもの。きっとあるはずですよ」

 次に撮る写真はずっとお洒落になっているはず。レヴィンさんの投稿が待ち遠しい。

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