#1 遭遇 Ⅱ
結論から述べると、エレノアはレポートに不備があり先生に叱られた。つまり私の懐柔策も欠陥があったということである。
私の想定を遥かに超えて、エレノアの信心は盤石だった。彼女はかなり手強い。
夕飯のとき、食堂でクラスメイトたちが課題の話をしはじめたのは予想通り。私はプランに則り「やば、明日だったんだ」ととぼけて躱す。途中までは課題をダシにエレノアと会話をし、順調に打ち解けた。彼女は徐々に怒りを風化させたようだった。
がしかし、ゴールまであと三割ほどのタイミングで、彼女は自分の首を絞め上げる。謝罪も交えつつ私が改めて決意を口にしたときだ。エレノアは再び激昂し、私との和解を蹴った。それも、理論の証明がニアミスのるつぼと化したまま。
見事な交渉決裂である。
布製の強固な壁でお互いを隔てたまま夜を越した私達。エレノアは午後一番の魔法理論の授業で大恥を晒し、私は満点を頂戴した。
ざまあみろ。エラが妥協しないからだ。
――と思わないでもないが、責任の一端は私にある。爆死したエレノアへ、あとで
「……はあ」
エレノアとの和解は果たして可能なのか。ほとぼりが冷めたころに友情は戻ってくるだろうが、理解を得るための労力、その要求値が異様に高い。
この静かな図書館で大きなため息を吐きたくなるくらいには、今の私は滅入っていた。
「……こっちもこっちでどうすりゃいいんだか」
実のところ、憂慮すべきはエレノアの件にとどまらない。
昨日エレノアに啖呵を切った手前、私は資料漁りをはじめると決意する。そうして一時間前、相棒のラップトップを持って意気揚々と大学図書館に乗り込んだわけだ。
しかし現実はそう甘くない。
伝記、歴史の文字が掲げられた書架へ向かい、検索で引っかかった本を探す。が、そもそも冊数が多すぎる。ここまでくると本の分類も気持ち程度の助力しかしてくれない。
しかも、言ってしまえばマイナージャンルである。開架にありそうなものは粗方見つけたが、大体がロストテクノロジーを追い求める話。アルマス・ヴァルコイネンは技術を奪い去った悪役としてキャスティングされるばかりだ。仕方がないので堕ちたドラゴンの本ならといくつか貪欲に開いてみるも、全て撃沈。どれもこれも、目次には彼と関係のなさそうな内容が並んでいる。
「うーん、アルマス、ヴァルコイネン……。ほんとなんもないなぁ」
いや、確実に一冊は心当たりがある。『スズランの手記』だ。だが、それだったら学校の図書室の方が充実しているだろう。何せ私の通う学校の運営母体は、『スズランの手記』の原本を保管する教会なのだから。当然のことながら写しも翻訳版もよりどりみどりである。
「――お? 『黒竜討伐記』?」
やけくそ気味に書架の前をうろついていると、ふとそんなタイトルが目にとまる。私はもしやと思い本を手に取った。彼は黒いドラゴンだし……
「――いやどこの無双チート⁉」
ついツッコミを入れてしまい、私は慌てて口を押える。この本には確かに黒いドラゴンが登場するが、お目当ての情報でないのは明らかだった。
「これ今の私に調べられることなのかな……」
とにかく本が見つからない。情報統制でもされているのだろうか。博士号でも取れば古文書にまで手が出せるようになるだろうが、私は一介の高校生。許しを得られたとして、それはまだまだ先の話だ。
そのとき急に視界が陰る。
「――
「っ⁉」
私は咄嗟に、声とは反対の方向へ飛び退る。
いったい何が起きたんだ。こんな甘く優しい声で囁かれるきっかけなど、私の人生には一つもない。
目線を上げた先、そこにいたのは私と同じくらいの年頃の青年だ。だが油断してはいけない。聞いた者すべてを誘惑するようなこの声は、高校生には出せない。証拠に左手には指輪が光っている。
とはいえそれは些末なことだ。老化せず永遠を生きる存在はそこらへんで結構見かける。ドラゴン自体はさほど珍しくない。
しかしこの青年――いやお爺さんか。この人にばったり出会ってしまったのは、非常にまずい。
「……赤髪に紫の目」
「驚かせてしまいましたか。すみませんでした」
調査開始からたったの一時間で引き当ててしまうとは、私は運がいいのか悪いのか。
整った顔に色気の香る立ち居振る舞い。髪色、ドラゴン特有の瞳。間違いない。
「……ローレント・D・ハーグナウアー」
「よくご存じで。僕も随分有名になってしまったようですね。――ただしここではノエ・シュバリエですので、悪しからず」
彼は肯定する。先程まで私がいた場所に立ち、書架の最上段まで手を伸ばした。
ローレント・D・ハーグナウアーは、二度目の大回帰――世界大戦でアルマス・ヴァルコイネンを補佐したというドラゴンだ。彼らは何かしらの理由でそれまでの文明を否定し、送電線も送魔線もないような時代にまで世界を逆行させた。詳細は記録として残っていないという話だが、ローレント・D・ハーグナウアーが戦犯の一人だという噂が出回っている。各地の伝承でローレント・D・ハーグナウアーと思しき存在が多く確認されるのだとか。
「ローレン――」
「ノエ。呼び捨てで構いません。難しいようならシュバリエさん、とでも」
「では……、シュバリエさん。こんなところで何をしているんですか?」
「お仕事ですね。これでも客員教授をさせていただいている身ですので」
彼は手に取った本をぱらぱらとめくりながら答える。さほど分厚くはない年季の入った本だ。表紙の刻印が掠れていて、私の位置からだとまるで読み取れそうにない。しかも私がみっともなく覗き込もうとしたのを悟ったのか、彼は棚の空いたスペースに本を置いてそれを阻止する。その自然さときたら普段から意地の悪いこと請け合いだ。
そんな失礼なことを考えていると、彼がやや不愛想になって咳払いをする。そしてすぐに元の優男に戻った。
「――どうしましたか?」
とんでもない変わり身だ。思わず誘惑されそうになってしまう。私はフェロモンという名のシトラスな臭気を払いのけるため、勢いよく頭を振った。
「いえ、客員教授って、どんなお仕事をされているのかなぁ、と」
「ああ、大したことではありませんよ。普段は魔法の研究をしているんですが、人よりちょっと長命だからという理由で戦史の授業も少しばかり。長く生きていると、やりたくないけれどできてしまうことばかり増えて億劫になりますよ」
「戦史ですか?」
私が気になって尋ねると、彼は微笑を浮かべる。
「ええ。
「ちなみに、その前の話は……?」
「
ちょっとした冗談のつもりだったが、彼の目は笑っていない。史上最悪の堕竜を補佐するだけあってその言葉の奥底には計り知れない含みがあった。これ以上踏み込んだら消されそうだ。
「そうですよね。知っている人なんてそうそういませんよね。失礼しました」
「いえいえ。お気になさらず」
「では私はこの辺で――」
どうも風向きが不穏だ。私は戦略的撤退を選び、苦笑いで誤魔化す。だが彼は私を許す気はないようで、鋭く呼び止めた。
「
声色自体は穏やかで親しげだが、言葉が持つのは、はらわたを探るような挑発的な響きだ。
私は彼に背を向けたまま逡巡する。正直に答えるべきか、それとなくはぐらかしてしまうか。
察するに、ローレント・D・ハーグナウアーは過去を知られたくないのだ。それも、
私は最も妥当だと考える一言を選んだ。振り返り彼の顔を見ると、依然にこやかなままだ。
「あー、学校の課題で歴史を調べる必要があって。でも私、スロースターターなので資料がほとんど貸し出し中だったんです」
「それは災難ですね」
「はい。以後気を付けなければ――」
当たり障りのないタイトルの本を手に取り、私は踵を返す。
「――
――まずい。歩けない。
私自身に動かす意思はあるし実際足は動いている。だが、見えない何かに阻まれていて足を踏み出すに至らないのだ。
これは十中八九彼の仕業だ。
「盗み聞きをする形になってしまい申し訳ありません。ただ、ドラゴンの聴力は何でも聞きとってしまうもので」
「私の独り言が聞こえていたということですか」
「はい。最初から最後まで全部」
彼との遭遇は、私が引き当ててしまったものではない。ローレント・D・ハーグナウアーが画策した出会いだ。つまり嵌められたともいえる。
彼は動けない私の手から本を抜き取り、棚に戻す。そして一歩一歩カーペットを踏みしめて私の前に立ちはだかった。彼の虹彩は青紫に妖しく光る。現在進行形で魔法を使っているということだ。
「一般人に自衛以外の理由で魔法を使うのは、禁止されているはずですよ」
「よくわかりましたね」
「学校で教わりますから。ドラゴンの瞳が魔力で光っているときは警戒しなさいと」
彼は目を細める。しかし隠す気はないらしく、虹彩に宿した光を強めた。
「ここ、人、結構いますよ。見つかっちゃうんじゃないですか」
「悟られなければ問題にならないのも確かです」
どうにも嫌な言い分だ。しかも彼の言葉を裏付けるように、通路を歩いていく人たちは全くこちらに目線を向けない。声を絞っているわけではないので、本来なら相応に騒がしく思われるはず。しかし誰も反応しないのだ。彼らは素振りで、私たちがここに存在していないと教えている。
私は彼の物騒な台詞に同意した。
「……そうみたいですね。でもそこまでして私を問い詰める必要はあるんですか」
「勿論あります。チンピラじゃあるまいし、理由もなく脅迫などしませんよ」
「じゃあ語って聞かせてくださいよ」
「いいえ、語るのはあなたが先です」
何か言葉を引き出せないものかと吹っ掛けてみるも、彼にすげなくあしらわれてしまう。彼は私を睨んで再度質問をした。
「何故、あなたはここにいたんですか」
問いに妥協は見当たらない。正直に答えるしかないのだろう。
「私は、アルマス・ヴァルコイネンについての資料を探しに来ました」
「それは大いに結構。どうぞご自由に。僕が聞きたいのは、どうしてそれを隠そうとしたのかです。何か疚しいことでも?」
「ありませんよ。単純に、シュバリエさんが歴史について尋ねられたくないご様子だったからです」
「では、大回帰、あるいは大回帰以前のことが知りたいということですか」
私は首肯する。彼の眉間に刻まれた皺がより深くなった。
「知ってどうするんですか」
「彼が本当にどうしようもない悪党なのか、理由があって戦争を起こした善意の悪党だったのか、証明します」
「動機が見えませんね」
彼はかなり手厳しい。まだ彼の警戒心を解くには足りないらしく、私にまとわりつく拘束の魔法は健在だ。
正直、彼が求める私の動機なら――、ある。私にとっては何よりも確かなものが一つ。しかし喋ったところでその場しのぎと取られかねない。私が持っているのは、それほどに小さなきっかけだ。
幼かったころ、遠足の最中に踏み込んでしまった『彼の者の領域』。極寒の森の中で迷子になり挙句倒れた私は、銀髪の青年に助けられた。あのとき優しく抱き上げ警察にまで届けてくれた彼は、私にとっては善人以外の何物でもない。
その善人が、街では悪の権現として虐げられている。彼の過去に左右されることになろうが、どちらにせよ私は恩人への不当な差別を看過できる立場にない。
「その……、出来ることならお礼がしたいんです……。命の恩人に!」
「お礼……?」
「はい。謝意を述べるだけでは私が満足できないので、何か、救ってくれたことに報いたいんです」
私の本意はひどく説得力に欠ける。疑いの言葉が重ねられるのを私は身を固くして待った。ところが返ってきたのは意外な呟きだ。
「まさか、あの女の子……? だとしたら――」
「ん?」
訳が分からず私は呆ける。
彼は私を縛っていた不可視の魔法を解いた。そして少しかがんで私と目線を合わせると、ゆっくりと言葉を並べていく。
「この際はっきり言います。あなたのその行動は全てエゴで成り立っています。アルマス・ヴァルコイネンは、あなたの言う証明とやらを求めてはいません。彼自身、このままの方が都合がよいと判断しているんです」
「確かに私のエゴです。私がお礼をしたいだけ」
「お礼を押し付けるつもりですか。彼の善意は、あなたが報いることを前提としたものではありません。受け取るだけにとどめるのが、最も平和なやり方ですよ」
ローレント・D・ハーグナウアーの言葉はどこまでも辛辣だ。しかも立場上、彼の言うことがまるっきりアルマス・ヴァルコイネンの真意と考えることもできてしまう。
だんだんと嫌気がさしてくる。エレノアも、ローレント・D・ハーグナウアーも、どうしてか私を止めようとする。どうやらそれほどまでにアルマス・ヴァルコイネンに近づくことはご法度らしい。
そんなの、私の知ったことか。
「それでも私はアルマス・ヴァルコイネンについて調べます」
「もはやお礼とさえ呼べない傲慢な行為ですね」
「そうですよ。私が満足したいだけ。最初から言っているじゃないですか。私はどんなに否定されようと、アルマス・ヴァルコイネンの善意に報いたいと行動し続ける。この行動が、いつかアルマス・ヴァルコイネンへの謝意になると信じて、好き勝手に暴れまわるだけなんです。悪いですか?」
私は紫に輝く瞳を覗き込み、鼻息荒く返事を待つ。
返ってきたのは、優しげな溜息だった。
「……いいんじゃないですか。自分勝手に報いてください。僕にそれを止める義理はないようですから」
彼は指輪をいじりながら、一歩下がる。
「言われなくともそうします」
「こんな爺さんにも物怖じしないとは、将来大物になりそうですね」
「じゃあ大物になれたら、ご飯奢ってください」
「あなたは本当に、いい意味で厚かましい」
「では――」
ヒントでも貰おうかと切り出した時だ。彼はからからと笑いながら、先程棚に平置きした本を手に取る。そして私に向けて差し出した。
「――『
反射的に私は受け取る。彼は不敵に微笑むとすぐに背を向けた。
「今日はこの辺で。機会があればまたいずれ」
「ちょっと、まっ――」
含みのある言葉を残して、彼は歩み去っていく。私は慌てて追いかけるが、書架の森に繰り出した彼はもうどこにも見当たらない。古びた布張りの本一冊、それだけを残して彼は忽然と消えてしまった。まずは目を通せと言いたいのだろう。
「竜災対策軍……?」
表紙の金の文字は、彼が読み上げたとおりの題名を記している。だが、国家機関とアルマス・ヴァルコイネンに関係などあるのだろうか。
ばらばらとページを捲り流し読む。だが特に変わった様子はなく、沿革だの組織構造だのといった項目が書き連ねられているに過ぎない。
これでは埒が明かないので、助言に基づき読み込むのが吉だ。私は決算についての記述がどこにあるか目次をさらう。さほど厚くない本の中ほどを開き、数字と文字が入り乱れる紙面を眺める。
その瞬間、私は違和感を抱いた。
「桁数、おかしくないか……?」
出版年前年の「監視ネットワーク運営に係る支出」、そして「装備品等購入費」の欄。この二つが素人目に見てもあり得ないほど少額だ。支出の推移のグラフを見ても、その二項目だけはほぼ直線で低空飛行している。
私は再び目次まで戻る。調達品目の入手先を知るためだ。
「……ビンゴ。取引先みっけ」
監視ネットワークはクラウダス社、装備品の仕入れ先はヴァデルマ社。軍と取引するくらいだからさぞ大きな会社なのだろうが、両社ともはじめて見る名だ。
「……ん?」
ふと、視界の端を落ちていくものがある。
落下地点は私の足元、古びた本の直下だ。最初にざっと目を通したはずなのに、一体どこに挟まっていたのだろう。なにやら意味深なので私は拾ってみることにする。質のいい紙に綴られているのは繊細な筆記体だ。
『マドモアゼル。チョコレート菓子はお好きですか?よろしければ明後日、テラス席にて』
差出人は書かれていないが、こんな厭味ったらしい色気のある文を考えつくのは彼しかいない。まったく意地の悪い爺さんだ。指示どおりのページを開いただけでは駄目で、調達品目の章まで足を伸ばさなければこの紙片は現れない。そんなところだろう。
私は今、試されているのだ。
好奇心がかつてない程に沸き立つ。
「さて、はじめるとしますか」
私は魔法の鍵を手に、一歩、踏み出した。
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