第Ⅹ章 伝承

二千年前の手紙編

#1 遭遇 Ⅰ

 諧調ハルモニア歴378年 4月3日 カレヴァ ルミサタマ市



 この街にはお伽噺が存在する。


 ――いやこれでは誤解を招くかもしれない。こう言い換えよう。

 この街ではお伽噺がほっつき歩いている。

 そう、ごく普通に暮らしているのだ。

 さっきも見かけた。私が放課後買い物をしに寮を出た時のことだ。

 たまには気分よく散財してやろうと、私はアパレルショップへ向かって歩いていた。

 その途中、ある建物に目が留まる。サーモンピンクの壁と白い格子窓が可愛らしいビルだ。一階部分は白い塗り壁の中に大きな窓が幾つかはめ込まれていて、この国ではお馴染みの赤文字のロゴが掲げられている。私は、「ああ、ハンバーガーもいいな」なんて取り留めもなく考えながら、窓の奥でバーガーを食べる人々を観察した。

 そして見つけてしまったのだ。

 彼は窓際の席で、人の頭ほどありそうなハンバーガーをちまちまと、しかし着実に胃に摂めていた。二千年を生きてきたその男は、まだあどけなさの残る口元にソースをくっつけて小動物のように咀嚼する。私はその光景につい唾液が垂れそうになった。大年増のくせしてあざとくフードポルノを仕掛けるとは、油断ならない人物だ。

「イーリス、お掃除手伝ってちょうだい。主にお見せできないくらい汚いんだから。顔は青いお目目の可憐なお人形さんなのに、部屋が一人暮らしの中年男性みたいになってるわよ」

「それは独り暮らしの中年男性に失礼だよ。中には整然とした日常を送っている人だって多いだろうから」

「……それもそうね」

 話が逸れてしまったが、特筆すべきはこの街が彼を受け容れているということだ。

 アルマス・ヴァルコイネン。

 二千年前に白い体を黒く染めて、この街を壊して回った邪悪なドラゴンだ。彼は実の姉とその夫によって封印された。『スズランの手記』と呼ばれる日記には、その経緯が姉の手で事細かに記されている。

 一方で、こんな伝承もある。

「――『大回帰』と呼ばれる二度の戦争、それらの引き金を引いたのは彼だ」

 彼は封印されているはずなのに、この噂は世界中で信じられている。

 そうして、彼は現実世界を脅かす御伽噺となった。

 結果「彼を受け容れてはならない」という共通認識が世界中で生まれる。アルマス・ヴァルコイネンを街に住まわせることは、現代のありとあらゆる地域ではなのだ。

 たった一つ、この街を除いては。

 極寒の先進都市ルミサタマ。『スズランの手記』の舞台であり、彼の第二の故郷であり、彼の魔法によって護られた街。古い歴史的建造物のほとんどは二千年前当時に存在したもの。天候も調整され、高緯度であるのに雪はさほど積もらない。魔法研究は世界トップレベルの水準を誇る。

 つまるところ、この街の発展やら安全やらはほとんど彼の力によって成り立っているのだ。

 賛否両論はある。しかしこの街は、二千年前から恩恵とともに彼の存在を受容し続けていた。結果、彼が暮らしているという事実は暗黙の了解としてこの街に横たわっている。

 そういうわけで、彼を目撃したという話は絶えない。この街限定ではあるが、天気に次ぐ無難な話題として、彼の目撃情報が挙げられるほどである。グローサリーストアだの映画館だの、ヤマト料理店の常連でもあったはず。サイクリングロードでばったり、なんてものもあった。曰く、最新のお高い自転車を乗り回しているらしい。

「イーリス、ラップトップの中身は整理整頓できるのに、なんで部屋はこうなのかしら? ねえ」

「散らかしたら本当に分からなくなるからね。当たり前」

「部屋は大丈夫とでも言いたげね」

 では街の発展に寄与し、かつ世界から疎まれている彼とは一体何者なのか。

「ねえ、さっきから何を書いているの? イーリスのものなんだから自分で片付けてちょうだいよ。私のベッドのすぐ下まであなたの出したゴミが迫ってるの」

「ちゃんと片付けるから。エラ、待ってて」

「いい加減にして。イーリスの代わりに毎回毎回掃除しなきゃいけない私の身にもなってよ」

 せっかちな同居人は、多分に苛立ちを込めた一言を投げつける。そう言われてしまってはキーボードを打鍵する手を止めるしかない。流石に親友を不快にさせたままにするほど私はろくでなしではないつもりだ。

「……ああもう! わかったってば!」

 私は立ち上がり、気の利く親友が用意した袋にゴミを入れていく。主に用済みのコピー用紙と菓子袋。紛れている衣服は籠へ投げる。

「できないわけじゃないのに、なんでやらないのかしら、ねえ?」

「ごめんなさい、わたくし存じ上げておりませんわ。散らかした当時のわたくしにお聞きください、エレノアお嬢様」

「いっつも聞いているでしょ。それに今片しなさい、とも」

「んあー! 聞こえないー」

 親友エレノアは眼鏡を手の甲でくいと持ち上げて作業に戻る。それは彼女が上機嫌な時に照れ隠しがてらする動作だ。私に文句を言いつつも、彼女はやや満足げだった。久しぶりに片付いた部屋で寝られるからだろうか。まあ分からなくもない。

 ――おっと、カーペットの上にグロテスクな毛の塊が落ちている。

「うわ、この中途半端な長さの金髪……、エラもうそろそろ禿げるんじゃない?」

「私はブロンドじゃないでしょう! 禿げあがるのはイーリスよ!」

「うへぇ、ひっど」

 エレノアはああ言うが、まあ禿げはしないだろう。掃除をしないから吹き溜まっていただけだ。この美しいセミロングはそう簡単に失われたりしない。

 私はエレノアの言う通りに掃除をする。やる気はないので渋々だ。それにしたって、エレノアはタイミングというものを考慮してくれてもいいのではないだろうか。書き物が折角一段落しそうだったのに中断させるなんて、彼女は随分意地が悪い。散らかしている私が悪いのは百も承知だが、やや理不尽にも思える。だって部屋が汚いのは今に限ったことではないのだから。自慢じゃないが、この部屋は片付けから一日も経てばもう汚い。それなのに何故か今、私の作業を中断させてまで片付けさせるのだ。本当に意地が悪い。そうこうしているうちに書きたかったことが風化してしまいそうだ。

 気持ちむくれた顔を作った私に、彼女は多少罪悪感を抱いたのか恐る恐る話題を変える。

「……そういえば、イーリスは何を書いていたの?」

「課題のレポート」

 私はちょっと彼女をからかってみる。意趣返しというやつだ。案の定、彼女は急に青くなって慌てだした。

「嘘でしょう? 本当に? どの教科で……神学? 古代語イングリッシュ? まさか……魔法理論?」

「居眠りしてたよね、エラ」

「魔法理論なのね、魔法理論なのね⁉ ……大変だわ、お願いレポート見せて! いえ、駄目だわ……、そんなことしたらイーリスに迷惑が掛かっちゃう。……そうね、参考文献を教えてくれるだけでもいいの。できれば頁数と一緒に!」

 それは最早答えを提示しているに等しいのでは、と言いたくなるが、私はぐっと堪える。しっかり者のエレノアが持つ唯一のウィークポイントだ。こんなに天然で可愛いのだ。これは絶対に失われてはいけない可愛さだ。彼女にこの弱点を克服するきっかけを与えてはいけない。

「あぁぁ、こんなことしている場合じゃないわ……、どうしよう……」

 いよいよエレノアがリスみたいに挙動不審になり始めた。勿論私はこの機を逃すほど馬鹿ではない。

「嘘だよ。レポート課題なんて無いから」

 言うまでもなく、私達には魔法理論のレポートが課されている。しかし彼女は居眠りというか最早爆睡レベルで意識を飛ばしていたようだ。静止して私の顔を凝視する。

「…………無いの? 課題」

 数拍の間をおいてようやくエレノアはこちらの世界に戻ってきた。私が軽くごめんごめんと口にすると彼女は一気に赤くなる。

「もう! 何で嘘つくのイーリス⁉ 何度言ったら悔い改めるのよ!」

「いや、ごめんて。まあエラが可愛い限りは改めるつもりないけど」

「ねえ! からかわないでよ……!」

 さあどうしようかね、と私は軽くあしらい掃除に戻る。エレノアは頬を膨らませてぷりぷりと一分ほど粘ったが、抵抗する術がないと悟った彼女は大人しくなった。

「それで? レポートじゃないなら何を書いていたのよ」

「ああ、……そんなに知りたい?」

「……知りたいわ」

 躊躇い気味に答える彼女は存外優しくない。聞いてほしくないオーラを厚く着込んだはずなのに、エレノアは好奇心を優先するらしい。

「まあいいけど。知りたがりのエレノアお嬢様にとってそんなに面白い話でもないよ?」

「イーリスはそう言うけれど、私にとっては疑問が残るより聞いて面白くなかった方がマシなの。あとそのお嬢様って呼ぶのやめて」

「へー、流石優等生」

 またそうやって、とエレノアは悪態をつくが、話を逸らされてくれる素振りはない。白状しなさいと彼女の目が言っている。面倒事になりそうなのでできれば勘弁してほしいのだが、エレノア相手にはぐらかすのもしのびない。仕方なく、私は正直に告白した。

「ただの研究と考察だよ」

「何の?」

「……アルマス・ヴァルコイネンについての」

「やめなさい」

 エレノアは間髪入れずに言う。だがその反応は予想通りだ。

「何で? 別に崇めたてるわけじゃない。それに資料を漁るだけで、突撃取材するつもりはないし」

「駄目なものは駄目よ」

「駄目とか駄目じゃないとか、そんなことよりもエレノアの意図が分かる言葉をくれない? 疑問しか残らないんだけど」

 私が先程のエレノアの言葉を借用すると、ブーメランに気づいた彼女は顔を顰める。

「そういう言い方は好きじゃないわ」

「知ってる」

 私は手に持っていた下着を籠に放り込んで、どかっと椅子に腰かける。深く寄りかかって足を組むと、エレノアは眉間の皺を更に深くした。

「はしたないわ」

 彼女は抱えていた紙束を箱に入れて、入念に整えられたベッドに座った。私への当てつけなのか、足を揃えて膝に手を置く。まったく美しい姿勢だ。私の対面に来たエレノアは、はしたないと言ったきり、黙ったまま私を睨む。

「アルマス・ヴァルコイネンはエラの親の敵なの?」

「いいえ違うわ。でも牧師を目指す私たちにとってはそれに等しいものがある。分かっているでしょう? アルマス・ヴァルコイネンは悪よ」

「分かってる? 分かってないから調べたいって言ってんの」

 教えにどっぷりのエレノアとは、この点で相容れないのは織り込み済みだ。ノウム教に所属する私たちの教会はドラゴンを毛嫌いしている。ドラゴンの筆頭たるアルマス・ヴァルコイネンともなればまさに悪の象徴。エレノアにとってアルマス・ヴァルコイネンはこの街に暮らす一人の人間ではなく、悪魔そのものなのだ。

 だからこの口喧嘩はいかに早くお開きになるかに争点がある。エレノアを怒らせることに照準を合わせて私がいくらか挑発的に指摘してみると、彼女は部屋着のスカートを強く握りしめて叫ぶ。

「分かっているのよ! アルマス・ヴァルコイネンは悪! アレから遠ざかれば、私たちには安寧が与えられる!」

「根拠はどこ行ったんだろね。確かに悪役扱いされてるよ、彼は。でも、バイアスを排除したら本当にそう言えるの?」

「それを研究したいっていうの? 無駄よ。アレは紛れもなく悪。根拠を挙げればいいの? ならそうするわ。まず思い出してみて。二度の大回帰、あの戦争を起こした戦犯はアルマス・ヴァルコイネンよ!」

 確かに語られている歴史はそうだ。

 しかしあらゆる政治的な思惑や大衆心理を省いたら、一体真実はどこにあるのだろう。私たちが知っているのは戦犯が誰なのか、ただそれだけ。戦争の発端も、推移も、現代には何一つ伝わってはいない。ただ私たちが知るのは、世界中に蓄えられた知識がアルマス・ヴァルコイネン率いる一団によって強制破棄させられたということだけだ。

 勿論戦争を起こしたことは正義だったなどと言うつもりはない。しかしアルマス・ヴァルコイネンが世に語られるようなサイコ野郎でないのだとしたら、未来のためにも戦争のすべてを探求しなくてはならない。あれが思想戦争であったのなら、どこかしらに落としどころが存在するはずなのだ。アルマス・ヴァルコイネンらにとって、文明を後退させざるを得ないことがあったのかもしれない。

 探求しなければすべてわからずじまいだ。残された数少ない情報にしがみつくだけでは道は拓けない。幸いなことに、この街には世界最大規模の古公文書館や古代資料館がある。大学に行けば未解読の古文書に大量に触れられる。それにもし文書が見つからなかったとしても、アルマス・ヴァルコイネンも、腹心のローレント・D・ハーグナウアーもいる。危険度からして最終手段ととらえるべきだろうが、接触を図るのもまた一つの手だ。

 二度世界を襲った災厄が再び起こされる可能性も、あるいは極限まで抑えることができるのではないか。三度目の大回帰が永遠に起きないなら、それが彼にとって最も幸せな道なのではないか。

 私はそんな確信でもってエレノアに反論する。

「既に手元のあるものだけで判断したって、何も進まないんだよ。突飛に聞こえるだろうけど、私は……、私は事実を集めて前に進みたい。アルマス・ヴァルコイネンが何のために罪を犯したのかを知りたいの」

「そんなこと、あなたが進めなくたって誰かがやるわ!」

「だったら逆に、私が諦めなくたって構わないってことになるでしょ。要は誰でもいいんだから!」

 いよいよ言葉の尽きたらしいエレノアは、勢いよく立ち上がる。強い怒りを伴ったまま部屋を仕切るカーテンに手をかけると、最後に一つ、私を怒鳴りつけた。

「今日のことは学園長さまに報告させてもらうから。もうあなたのことなんか知らないわ! 少し早いけれどおやすみなさい!」

 そこまで一息に言い切ると、エレノアは強引にカーテンの端を引っ張った。レールが大きな声で悲鳴を上げても彼女は気に留めない。部屋の壁までしっかりとカーテンを引ききって、私とエレノアの部屋を分断した。

「はあ……。はいはい、またあとで」

 エレノアのことは元々怒らせるつもりでいたが、少々やり過ぎた気もする。だが、これでいろいろと余裕ができたのも確かだ。

 ――やっと、調べられる。

 私が幼いころに見た銀髪の青年は何者だったのか。森に迷い込んだ私を助けたのは悪者だったのか。

 知りたい。アルマス・ヴァルコイネンの本当の姿を。

 小さなころから胸に燻っていたある種の野望に、私は今、着火剤を投入する。

 この火種が燃え広がるか、吹き消されてしまうか、それは私次第だ。ならうまくやろう。私がきっと、大きな炎にしてみせる。


 熱い希望を胸に深呼吸する。

 そして、私はひとまず、エレノアを夕飯時にどう言いくるめるか画策するのだった。

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