#1 遭遇 Ⅲ
食料は、交渉において非常に有用な小道具だ。
原始の時代から、私たちは食料を分け合って絆を繋いできた。……たぶん。
そして現代。食料に窮していない人間であっても、他人から食料を供与されることに強い喜びを感じる。これは全人類の総意といっても過言ではない、かもしれない。
「はむ……、んー、美味しいわ! やっぱり
「うぃ」
小さな口でおやつを食むエレノアは栗毛も相まって、まんまリスだ。奢ってもらった食い物が大層美味いらしく眼鏡越しの目元が綻んでいる。
計画通りだが昨日までのいかにも機嫌が悪いといった態度は微塵も見られない。今朝自分の机に食料が置かれていたことで、ひと悶着のことは頭からすっぽ抜けたんだろう。寮から学校まではあんなに距離を取ろうとしていたのに、私がちょっと先回りしてお菓子をお供えしたくらいで移動教室もべったりになるのだから――
「――エラ、ちょろすぎて心配になるわぁ」
「うん?」
「何でもありませんのよエレノアお嬢様」
そして今、給食の時間も二人席でランデヴー状態である。
彼女は、まあ華奢というほど華奢ではないが、女の子らしい体型だ。それのどこに入っていくのか、ビュッフェで盛りに盛った昼食をすべて平らげた。そして直後に大ぶりのシナモンロールを開封する。エレノアの腹部を解析したら、ロストテクノロジーと化した空間魔法とやらも甦るんじゃなかろうか。
私はいつもより重量感のあるフォークをくるくる回して、パスタを巻き取る。絡めとった麺を口に運ぼうとした瞬間、それがほどけてぼとぼとと皿の上に落ちた。
――何事も、そう上手くはいかないもんだ。
対症療法でエレノアの機嫌は良くなっているが、まだ原因は健在だ。アルマスについて調べてるよ、なんて報告したらまたほっぺたを赤い風船みたいにして怒り出すだろう。だが寮の同室が知りたがりのエレノアである以上、一々行動を確認されるのは避けられない。確認されて、私が誤魔化さなければまた振り出しだ。
でも嘘はつきたくない。
どんな過程を経たとしても根本から解決できることが理想形だ。お互い違う考え方を持っていると理解し譲歩しあって、親友を続けていくのが最良なのだ。エレノアほど気の置けない友人はいないので失いたくはない。たとえアルマス・ヴァルコイネンを毛嫌いしていたとしても、私は彼女と親友同士であり続けたい。
しかしエレノアの側からしたら私はどうなんだろう。
「アルマス・ヴァルコイネンの扱いに公正を期す」と宣言する輩は、彼女にとって親友たりうる存在なのだろうか。もっと広い視野で物事を判断してほしいと頼み込むことそのものが、教義に背けと言っているに等しいのではなかろうか。
アルマス・ヴァルコイネンは悪であり、彼について触れようとする者は総じて愚か者。それがエレノアにとっての真実だ。いや、この食堂にいる全員がそう信じているのかもしれない。納得させようにもこれだけ守りが盤石だと手間がかかりそうだ。というかエレノアは納得するのだろうか。
「今なら私、ヤマアラシの気持ち分かるよ。すごいしんどい」
「どうしたのイーリス。何かあったの?」
お前のせいだ、と言いたいところだが、私は変な顔をしてやり過ごす。エレノアは例にもよって鈍いので「それヤマアラシ? 似てないわ」なんて見当違いな文句を言った。
そうしてエレノアと良好な関係を維持したまま放課後に突入するわけだが。
「――何故あなたがここにいるのですか!」
「……はぁ」
ここ数日の私との喧嘩で気が立っているのか、エレノアは青年に突っかかっていく。青年の方は、こういった事態に慣れているのか必要以上の反応はしない。一瞥するとすぐに背を向けて自転車のペダルに力をかけた。
私たちは学校から寮に戻る途中、ルミサタマ
ルミサタマ大聖堂は私たちの学校の運営母体である。そして邪悪な黒い竜の伝説を綴った『スズランの手記』、その原本を保管する場所にもなっている。ドラゴンを蔑視する教会の子羊からしたら、大聖堂は旗印みたいなものだ。
そんな神聖な場を通過する瞬間、エレノアは
以前から彼と私たちの生活範囲が被っていることは分かっていた。とはいえこのタイミングでこの辺りをうろついているとは相当に運が悪い。私たちの授業の取り方的に今日は午後一コマしかない。しかもこんな日に限って買い物にも行かなかった。後ろにローレント・D・ハーグナウアーとの面会が控えているとはいえ、彼のためにも多少寄り道を提案するべきだったと後悔する。
「アルマス・ヴァルコイネン! 無視するのですか? 堕落したあなたらしいですね」
「ちょっとエラ――」
「……俺に何の用だ」
彼は銀色の眉を歪め不愛想な返答をした。碧眼がエレノアと私に向けられる。射貫くような眼光にエレノアは身を竦めるが、今日の彼女はかなり積極的で仕返しとばかりに噛みつく。
「どうしてここにいるのかとお聞きしたでしょう! 答えられない理由でもあるのですか?」
アルマスは困った――というか、呆れた様子で拳を自分の額に持っていく。そして深く息を吸い込み、きっぱりと言い放った。
「あのな。何でここにいるかなんて尋ねたところで、面白い答えは一つも出ないぞ。そんなに知りたいなら教えてやろうか? そこの中華料理屋で昼飯食ってたんだよ。俺だって普通に飯食うの」
彼は親指で背後の店を示す。少々遅めの昼食ではあるが確かにランチタイムだ。エレノアの行為がただの迷惑行為だと証明されてしまった。
しかし今日のエレノアはいつになく厄介だ。
「あなたの家は『領域』でしょう。ここからはかなり遠いはずです。なのにこんな所で昼食など、理由がなければしないでしょう⁉」
「俺はそこまで説明しなきゃなんないのか?」
「何を言っているのですか! この街があなたの存在を黙認しているとしても、許されているわけではありません。みな、あなたが何をしでかすか不安に思いながら生活しているのですよ! それなのに教会の近くを嗅ぎまわっているなど!」
アルマス・ヴァルコイネンは一層表情に影を落とした。
無理もない。エレノアの言い分はあんまりだ。私はアルマス・ヴァルコイネンの側に、にじりにじり立ち位置を変えてエレノアを落ち着かせようと試みる。
「エラ、ちょっと考えなおそう。この辺りにいるからって、必ずしも教会に用があるわけじゃないでしょ? きっと別の用事があったんだよ、ね?」
「お前の言うとおりだよ。俺は役所にい――」
「役所など知りません!」
いやそこにある。五百メートルないくらいのところに建っているから、役所。種々の手続きをしにみんな足を運んでいるから。
思わず私はアルマス・ヴァルコイネンと顔を見合わせてしまう。彼は私の困り顔を見て、説得は厳しいと悟ったらしい。急に情けない表情になった。役所に用があっただけなのに、と副音声が聞こえてきそうなくらいだ。
「結局、ここに何をしに来たのですか? 堕落した悪魔が!」
「ちょっとエラ、そこまで言う必要ある? 昔はどうだかわからないけど、今はこの人、悪いことなんてしてないじゃん!」
「いいえ、アルマス・ヴァルコイネンは悪です! それは変わらぬ真理です!」
いつもは優しい聖女様のくせに、どうしてこういう時だけ暴言を吐けるのだろう。エレノアは、どうして無神経にこんな中傷を浴びせることができてしまうんだろう。
流石に腹が立ってきた。私はエレノアに真っ向から対立する。
「で? 悪事を働いた証拠はなんかあるの? 言っとくけど私、この人がハンバーガー食べてるところとか、観光客に道教えてるところとか……、それしか見たことないよ」
「そんなものは欺瞞よ! イーリスは誑かされているんだわ!」
「でも、私は事実しか信じられない馬鹿だから。エラの忠告に従えない阿呆ですいませんね」
私のことを言いくるめられないと分かって、エレノアはすぐさま矛先を変えた。アルマス・ヴァルコイネンをきつく睨みつけて、罵詈雑言を捲し立てる。
「どうせ恨みをぶつける方法でも画策しているんでしょう? 教会には偉大なお姉さまが眠っていますものね!」
「違う、俺は恨んでなんか――」
「やめて、エラ!」
私がどんなに壁となって受け止めようとしても、言葉は無慈悲に彼に襲い掛かる。私はエレノアに掴みかかって止めようとするが、強い意志で反発されもみ合いは決着しない。
「かかってきなさい、私たちはあなたのお姉さまの意志を守るためにいるのです! あなたを教会へ近づけないためにいるのです! 『スズランの手記』にも書かれています。彼女はあなたがのうのうと暮らしていくことなど望んでいない。今すぐこの街から去りなさい!」
その時、弱々しく震える声が一筋、騒音の中を縫って聞こえてきた。
「――そんなこと、ずっと前から分かっている……っ!」
彼は自転車から降りて乱雑に方向転換をすると、足を強く踏み出した。
瞬間、地面に稲妻のような輝きが這う。白い光が幾何学的な模様となって広がり、彼はその中心で忽然と姿を消した。
光の残滓が薄れ静まり返る道端で、私とエレノアは向かい合う。
「……イーリス、私たちの勝利よ」
「ありえない。なんであんな風に追い詰められるの?」
「だって悪は淘汰されるべ――」
「エラ、私、今日は実家に帰るから」
エレノアは事の重大さが分かっていないのか、すっとぼけて私に注意してくる。
「駄目でしょう。寮の規則に――」
「ママに電話すればどうとでもなるから」
「でも考え直す時間を取るためにも」
「――そんなもん、クソ食らえだ」
これは、しばしの別れだ。決別ではない。そして決別にならないために、私は立ち向かわなくてはならないんだ。
私は踵を返し、横道に逸れる。するとエレノアは未練がましく後ろから叫んだ。
「今日のことは学園長さまに報告するわ! いくらなんでも許されるべきじゃないもの!」
「勝手にしなよ。ママもまとめてねじ伏せてやるから」
今のままお互い理解しあうなんて無理だ。私の考えが甘かった。お互い理解しあって手を取り合うなど、今のエレノアとは不可能だ。こびり付いた差別意識から対処しないと、また今日のようなことが起こる。
――なら私が変えてやろう。
まずは事実と感情の分離から。そして牧師になり母と同じ立場になって、差別を生む教義は根本からひっくり返してやろう。全員の目を、過去の罪から今の彼に向け直してやる。
カフェで待つ青年の元へ、私は進路を取る。
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