Yukari's Diary 6

「思い切って、一ヶ月くらい休ませてあげてしまうのも手かもしれませんよ。……そしたら嫌でもお尻に火がつきますし、元々部活を頑張れるような根性も体力もある子なんだから、九月からでもギリギリ間に合いそう」


 いいや、絶対に間に合わない。勉強のやる気と、部活や遊びに対する根性は、全くの別物だ。私はよく覚えている、私の出身高校のバスケットボール部やバレー部で大活躍するエースプレイヤーが、高校三年生の最後の最後まで赤点常連だったことを。そして彼らは意外にも、まともな大学に合格したことも、とても印象に残っている。――各種推薦やAO入試を駆使することで、有名私立大学にねじ込むのだ。こういう言い方をすると彼らをバカにしているように聞こえるかもしれないけれど、全くそんなつもりはない。ただ、私と彼らは時間の使い方が違うだけだ。私は、一般入試で勝ち上がるために、勉強をした。彼らは、AOや推薦を狙うために、学校生活の充実化を図った。どちらが正しいか、なんてことはないし、互いに認め合えばいいと思うけれど、向こうが私たち側の人間をバカにするのであれば、逆もしかりだ、というスタンスでいる。

 それはそれとして、今回の課題に登場する生徒の場合、本来の正しいルートは、論文や面接で受験を乗り切る道を狙うことなのだろう、と思っている。しかしここは家庭教師仲介塾であり、一部論文指導は行っているものの、基本的には一般入試を想定しており、一般入試に耐えうる学力を身に付けることを想定した課題なのである。「AOや推薦を考えさせる」なんて言おうものなら、向井さんは困った顔をして「ちょっと本題から外れているかなー」とか、「一般入試狙いで頑張って来た子に、それは酷じゃない?」なんて言うのだろう。


「半年足らずで、偏差値を7上げる……かなりハードじゃないですか」


 質問したのは、泉さん――同じ数学科のあのモテ系の子だった。ゆるふわパーマにキラキラメイクの大学生ファッションとはうってかわって、すごく落ち着いたスーツ姿に身を包んだ彼女は、理知的に見えた。ああ、やっぱり成績上位常連の「江上 泉」だ、と感じた。


「偏差値48から55……あまりピンと来ないですね。同じ偏差値+7なら、偏差値65から72に上げることをイメージした方がいいかも?」

「65と72だったら、俺両方取ったことあるわ。……あ、普通の全国統一模試な。でも別に、そこまで勉強をサボったわけでも、急にアクセルかけたわけでもなかったけどな」

「そう、下手すりゃその日のコンディションによって、いくらでも変わりうる程度なんですよ」

「たしかに……瞬間的に、その偏差値に持っていければってところはありますよね」


 ウェーブヘアの女の子が指揮を取りながら、活発に意見交換をする隣のグループ。このままだと、わざと時間を浪費させて、無理やり尻に火をつける、という結論になりそうだ。

 たぶん、ベストな方法ではない。それどころか、無鉄砲で無茶苦茶だ。しかし結局、どんなカリスマ講師であっても、すべての生徒を第一志望の学校に合格させるなんて聞いたことはない。私たちアルバイトがベストな方法なんて考えられるわけがないのだ。結論は、二の次。たぶんこの研修で本当に私たちが大切にしなければいけなかったのは、答えのない問いに対して、複数人でどうやって「それなりのもの」にたどり着くか、その過程だ。対話し、意見交換をすることそれ自体が大切だった。そういうコミュニケーション能力がある人間こそが、生徒にも慕われ、優秀だと認められるのだろう――

 そう気づいた瞬間、猛烈に嫉妬心が芽生えた。茶髪のウェーブヘアの女の子の席。ネームプレートに、ゴシック体で「清瀬 凪」と書かれていた。






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