Yukari's Diary May

Yukari's Diary 5


 お題を見て、より一層萎えた。――やる気のない中学三年生? そんなのもう、放置で良いでしょう、と思ってしまう私は冷たいのだろうか。こんなことを考えている暇があるのなら、私は「それなりにやる気はあるものの、いまいち成績が伸び悩んでいる可愛らしい中三女子」の学習計画について悩みたいし、「それなりにやる気はあるものの、いまいち成績が伸び悩んでいる可愛らしい中三女子」の授業のための予習をしたいし、それも叶わないのなら、普通に自分の大学の勉強をしたい。




 この研修の話が出たとき、「任意参加ですよね」と確認をした。


「もちろん、絶対だよ」


 向井さんはそう答えたけれど、こんなの絶対に無駄だ。


「時給千円、二時間の拘束時間だけど、これは一応、必ず参加してもらわないといけないやつだから日程の確保よろしく」


 しかも、指導の時より時給が低い。――教師側の自己研鑽にかかる部分が大きく、直接指導業務にあたっていないという意味では仕方のないことなのだろうけれど、それなら任意参加にするのが普通ではないのか?


「だってさ、藤本先生。入社後、最初の数時間、説明を受けただけで指導されるのって、なんか嫌じゃない? やっぱり、先生には教育のプロであってほしいし、それなら研修をしていますって――」

「まあ、この一ヶ月まさにその状態で指導してたんですけどね。……ああ、わざわざ説得していただかなくても結構ですよ。不満はあれど参加はしますので」

「うん、不満は隠した方がいいかなぁ、社会人としてはね」

「本業は学生ですが」


 グループディスカッション、と聞いてモチベーションが下がったことは否めない。そもそも、他人とかかわり合うことが苦手で、紙に書いて提出するならすらすらとできることも、他人の前で話すとなると、事情が変わってくる。こんなところで余計な弱みを見せたくない。


「そういうわけで、よろしくね。あ、ごめん、僕、このあと他校舎で用事がありまして……東堂とうどうさーん!」


 唐突に、向井さんは受付の奥に向かって大声をあげた。はーい、と細く可愛らしい声が聞こえた後、ひとりの女性がとことこやってきた。


「東堂さん、悪いんだけど、藤本先生の業務日誌の確認お願い」

「承知しました」


 慌ただしく出ていく向井さん。東堂さんと呼ばれた女性は、私から亜紀菜さんの業務日誌の入ったクリアファイルを受け取った。透けるような茶髪を、後ろでバンスクリップで一まとめにして、細いフレームの眼鏡をかけた可憐な方。


「藤本先生、お疲れ様です。……研修の件も。余計な手間をお掛けしないよう、事務の方でもいろいろ工夫はいたします」

「そんな……えっと、東堂さんは悪くないですから」

「ええ、校舎で決まってしまっていることですので……でも、せっかく貴重なお時間を皆様からいただくのですから、私たちだって頑張らないとって」


 そう言って微笑む彼女は、私よりも大分幼く見えた。しかし、私よりも若い年齢で学習塾のアルバイトをするなんて聞いたことはないので、おそらく大学生なのだろう。


「失礼ですが……東堂さんって、大学生だったりしますか」

「ええ、大学一年。藤本先生と同い年ですよ」

「そうだったんですね! ……なんとなくそうだろうな、と思ってはいたんですけど、教師ではなくて事務のバイトをされる方もいらっしゃるんだなぁって思って」


 勝手にベラベラと話してしまって、失礼はなかっただろうかと不安になる。なんとなく、話しかけやすい雰囲気があったのだ。彼女は、私の書いた資料に目を通し、判子を押す。


「まあ、たしかにお給料はちょっぴり低いんですけどね。……でも、一回でいいからOLさんがするような仕事をしてみたくて」


 そういう東堂さんの出で立ちは、紺色のベストにピンク色の長袖ブラウス、本物のOLのようだった。


「役割は違いますけれど、今度の研修会、お互い頑張りましょうね。またお会いしましょう」


 そういう東堂さんは、まるで女神様みたいに輝いて見えた。




 そして、今日がその研修会当日だったわけだ。またお会いしましょう、という言葉のとおり、東堂さんは座席案内や資料を配る際に現れ、私と目が合うと小さく手を振ってくれた。――可愛い。

 しかし、グループディスカッションは可愛くない。


「このお題に十分間って、長くないか?」

「まー、早いところ終わらせちゃって、あとはのんびり駄弁ってましょ」


 私の班にいる教師たちは、いまいち気乗りしない様子。皆、ひとりずつ案を出していくものの、ありきたりなものばかり。宿題は減らして、授業でなるべく理解させる、自分が勉強をしたお陰で得をしたエピソードを聴かせる、親からも声掛けをしてもらう……私自身も、ありきたりなものを提示し、書記としてA4のプリントに皆の意見を纏める。


「どう? 書けた、書記」

「書けました」


 私は紙を班代表の子に渡した。


「うん、なんかそれっぽい。ありがとね、首席さん」

「首席?」

「そう。藤本さんは、うちの大学の首席なのよ」


 たぶん、照れ笑いをするべきところなのだろう。そして、素直に喜ぶべきところなのだろう。――しかし、なんとなく、言葉尻にとげを感じてしまったのだ。


「へぇ、首席さんねえ。頭いいんだ」

「じゃあ、さっきの課題だって、藤本さんに全部任せてしまえば、もっと早く終わったかもね。なんかごめんね」

「いえ、そんなことは……」

「まあまあ、謙遜はみっともないって。……誰が何を言おうと、『首席さん』なんだからさ」


 みっともないという強い言葉、『首席さん』というあだ名に込められた侮蔑の意味。きまり悪くなってしまい、私は俯く。言い返したり、腹を立てたりする様子がないのを見ると、班員はつまらなさそうな顔をして、別の話題を始める。「俺、自分より頭良い子とはデートに行く気になれねぇわ」なんていう台詞が耳に入り、漠然と気持ち悪さを覚える。本人の目の前で言う気が知れない。

 私はそういう人間なのだ。嫌なことを言われたら言い返せばいい。それが無理なら笑顔でやり過ごし、忘れてしまえばいい。それなのに私は、いつだって下を向いたまま。そのくせ真っ向からその毒を喰らって何もできぬまま、泣き寝入りだ。


「……実際にその子が燃え尽き症候群かどうかは、お母さんにもお話を聴いてみないと何とも言えなさそうですよね」


 ふと、隣の班からよく通る声が聞こえてきた。


「まだ、部活を引退してから一ヶ月も経っていないじゃないですか。誰だって、私だって怠けたくもなりますよ。皆さんもそうでしょ?」


 ぴんと背を伸ばし、ハキハキと話す女性。ウェーブヘアを後ろでひとつ結びにする女性は、一際目立っていた。


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