Yukari's Diary 7

 研修が終わるや否や、私は教室を飛び出した。背後で清瀬さんが班の子を食事に誘っているのが聞こえた。――くだらない。そう言いたい。勉強ができれば、大学へ行ける。勉強ができれば、褒められる。そう習ってきたのに、急にコミュニケーション能力だなんだって、本当になんなんだ。結局、友人と馴れ合って遊ぶことを覚えた方がよほど得じゃねえか、そんな世の中にしてたまるもんか。……なんて。心の中で思うだけなら、自由だ。


「藤本先生」


 呼び止められて振り向く。忘れ物でもしただろうか。


「……大丈夫?」


 声の主は東堂さんだった。


「えっと、何がですか」

「ごめんなさい。……ただ、なんか元気無さそうだなって思って。ちょっとだけ強烈な方が多いですよね、今年の講師陣」


 こそり、と耳打ちをして、困ったように微笑む東堂さん。――見ていたのだろうか。班内でコケにされ、赤くなってうつむいた私を。そして隣の班の様子を勝手に覗き見して、勝手に清瀬凪という教師に嫉妬心を抱いたところを。研修の最後になぜか向井さんが「質問とか、意見とかありませんか。……藤本さん、何かあります?」なんて訊いてきて、ぶっきらぼうに「ないです」と答えた情けない姿を。

 どう返答すれば良いのか分からなくて、固まっていたところを、背後から声をかけられた。


「あ、紫莉っち! この後、お昼食べに行かない? 清瀬さんとか、近藤くんとかと一緒なんだけど」


 泉さんの誘いを秒で断って、東堂さんにも作り笑顔で「またよろしくお願いしますね」と別れを告げ、私は大股で家庭教師Do itの校舎を後にした。






 東堂さんを学内で見かけたのは、それから一週間もしない日のことだった。そもそも同じ大学に通っていたことに驚き、なんとなく好感を抱いていた彼女に、そんなことすら聞けていなかったのかと悲しくなる。


「あー! 紫莉ちゃん……なんて」


 私を見つけるなり、東堂さんは手を上品に小さくふって、恥ずかしそうに微笑んだ。


「私たち同級生だし、敬語とか、名字にさん付けとか別に良いかな……なんて思っちゃったり。バイトのときは仕方ないけどね」

「もちろん、私もそれでいいよ」

「良かったぁ。私、紫莉ちゃんのこと、絶対に下の名前で呼びたかったんだ。せっかくの綺麗な名前だもんね」

「東堂さんは……文学部国文学科かな」

「正解!」


 私の名前を酷く気に入ってくれる人は、大体そうなのだ。

 その後、私たちを追ってきた泉さんも加わり、三人でランチ。学食は非常にこみ合い、三人掛けの席を見つけるのにも一苦労だ。


「それでさぁ、清瀬さんって、めちゃくちゃおもろい方なのよ。……あんなに休みなく、ずっとボケたり突っ込んだりを繰り返す人、初めて見た」

「へぇ、そうなんだ」


 話題は例の家庭教師Do itの研修会で出会った、清瀬凪という講師について。あの後、泉さんは清瀬さんたちとランチに行き、楽しいひとときを過ごしたという。


「紫莉っち、マジで興味なさそー」

「……なんか、ああいう軽そうな人、苦手で」

「こらっ、先輩だよ」

「そうなの?」

「うん。うちらの大学の、二年生。学部は違うみたいだけど……壁に耳あり障子に目ありなんだから、気をつけて」


 はあ、とため息をつく。ここは学食、たしかに同じ大学なら、すぐ近くにいる可能性は大いにある。それなら泉さんこそ、噂話なんて振らないでほしい。


「あのね、Twitterもフォローしたんだけど、めちゃくちゃおもろい。……公開アカウントだし、特にフォロワーとかも制限していないみたいだから、紫莉っちも興味があればどうぞ」


 そう言って泉さんはスマホの画面を私と東堂さんに見せる。Nagi、というアカウントは、フォロー数に対して、フォロワー数が異様なほどに多かった。

 中身を読むと大したことは書いていない。一番最初に目に入ったのは、猫の動画だった。塀の上でのびやかに歩く、頭が黒色でお腹が真っ白な子猫。


『マブダチ』


 と一言書かれたその投稿には、三十を越えるいいねがついていた。


『電磁気学の教授が、教室を出ていくときに絶対に扉を閉めない。寒いからやめてくれー』


『あっという間に二十歳。春夏秋冬、どんな季節も帆をかけた船のようにどんどんと過ぎていくのがちょっと怖いね』


『インコって、本当に人の言葉を真似するのね。。。『尊い!』とか『一生推す』とか言ううちの子がこちら』


 特にためになるわけでもなく、驚きの発見があるわけでもない。――それなのに、ついぼうっと読んでしまう。フォロワーもそれなりに多い。


「フォローはやめておく」


 私がそう言うと、泉さんはそうかい、とスマホをしまうのだった。






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