決戦 其の四

「月が綺麗だ」


 恍惚こうこつとした女性の声が聞こえる。


 ここがどっかの原っぱで、声の主とドライブした後に、辿り着いた先なら文句はない。「そうだね」って喜んで賛同してやる。

 

 足元に顔を向けると、ビルの屋上に設置された室外機やらタンクやらが遠くに確認出来る。

 随分と上空まで来てしまった。

 高所恐怖症ではないが、下半身が縮まるような股間を誰かに掴まれている気分だ。

 巨大な怪鳥は、俺をどこまで連れ去る気なんだ?


「おい! いい加減降ろせ! ひ、卑怯者!」


 猛禽類もうきんるいの鉤爪のような足が肩に食い込んでいる。だが、外套コートのだぶつきを上手く掴んでいるようで、今のところ痛みは無かった。

 問題は高度だけ。

 今、肩を離されたら、数秒後に地面に叩きつけられてしまう。

 なので降ろせ。

 離せ。ではなく降ろせ。

 これが正しい。


「降ろしていいの? 足離すよ~キャハハハ!」


「あわわ! 止めろ! ちゃんと地面までエスコートしろ!」


 こちらの意図が全く伝わっていないので、慌てて足を掴む。吸血鬼がビクッと痙攣した。


「じょ、女子高生の足を掴むな変態!」


「変態で結構! こんな上空で手ぶらでおれるか!」


 空中にさらわれる際に、武器を手放しているもんだから、両手がずっとフリーだったのだ。

 よくどっかにいってしまう魔法の鉄パイプだ。

 相性がとことん悪いらしい。

 だけども、これで放り出されても、すぐには落下しない。もがけるだけ踠いて、どうせなら道連れにしてやる。レベル十二になった俺様の腕力で、足首をがっちりロックだ。


 なんて目論んでいたが、景色が急に動き出す。

 左から右へ左から右へ。

 吸血鬼アルキオネは空中に留まりながら、激しく回転を始めた。

 両手両足の間接が外れて、飛んでいってしまいそうな力が俺を襲う。

 すぐに俺の手は、不甲斐なく両足から離れてしまった。


「お、おぇぇ……」


 頭がクラクラする。

 こいつは気持ちが悪い。

 胸焼けに必死に耐えていると、また、落ち着いた感じで吸血鬼アルキオネが語りかけてきた。


「月が綺麗だと言っている。変態さんは風情とかワビサビとかって心をお持ちじゃないみたいだね。ここまで昇るといつもより綺麗に見えないかい?」


 月がどうのって、こっちに風景を楽しむ余裕なんてあるわけがない。

 吐きそうなんだよ。


「お、おのれ~。何も出来ん」

 

 恨み節を吐きながら、足をバタバタさせるのが関の山。この足も下手に動かさない方が良いのかも知れない。打つ手無しだ。いや、打つ足なし?


 何もアイデアが浮かばない状況で、仕方なく眼下を見つめる。

 電気街駅の改札付近から、黒い煙がまだ立ち上っていた。

 そういえばタクヤにコハルちゃん、それに虎夫さんといった面々は大丈夫なんだろうか。竜二さんは心配いらないって言ってたけど、あの長身の二人の吸血鬼を相手にしているはずなんだ。絶対の保証なんてあるはずがない。

 

 すると、大気が緊張した。

 雷だ。

 気配を感じて反射的に強ばる。

 夜空を分断するように、眩しすぎる光が通り抜けた。

 伴って轟音が鳴り響く。

 月がはっきり見えるお天気なのに、突如、無数の雷が発生して、駅のホームに降り注いだ。

 あり得ない現象だが、一つだけ心当たりがある。


「まさか! コハルちゃんの雷か!」


 守護天使というアイテムを使用している一弦いちげんコハルは、武器を振るう度に雷が敵を襲うチート状態だ。

 ゾンビーゾンビーでは、その威力を何度も目にしたが、いざ現実世界で体験するとなると、その迫力はまったく違う。

 こんなの一発でも喰らったら、例え吸血鬼でもひとたまりもないだろう。間もなくアイテムの使用期限が切れてしまうはずだが、まだまだ大丈夫ということか?


 頑張れコハルちゃん! それにタクヤも!

 吸血鬼と夜空の散歩デートを楽しんでいる俺は、早々に切り上げて助けに行くことが出来ない。

 情けないが、祈るばかりである。

 とにかく戦闘中であるならば、無事だという証拠だ。安堵の溜め息が出たところで、背中に奇妙な気配を感じた。


 トントン。

 トントン。


 気のせいじゃなければ、誰かが背中を小突いてくる。

 嫌な予感しかしない。

 気安く俺をトントンしてくる奴に、良い印象がまるでない。


 トントン。

 トントン。


 しつこい……。

 無視シカトできないか考えたが無理そうだ。


「ん?」


 頑張って首を捻ると、目の前に小さな小さな人型の物が浮いていた。

 虫とか小鳥さんじゃない。

 妖精さん? それとも何かの精霊さん?

 穴を開けた麻袋を頭から被って、紐で縛っただけのような恰好だが、背中に沢山の羽が生えている。

 こいつはファンタジー。

 俺をトントンしていたのは、お前なのか!


「すっ、す、素敵なコウタさん。こんばんは。私は守護天使のラファエルです」


 謎だらけだった金髪ボブの女の子が、自己紹介をしてくれる。

 それはいいとして、ゾンビーゾンビーでの俺の名を呼ぶ時に、何故噛むのだ。

 何故、素敵という所で噛んでしまうのだ。


 さ行が上手く言えない女の子を眺めていると、体が大きく揺れた。

 吸血鬼アルキオネの仕業だ。

 吸血鬼アルキオネが小さな女の子目掛けて腕を振るった。


「守護天使よ! さっさと失せろ!」


 怒声とともに振り下ろされた腕を、小さな女の子は難なく躱した。

 そしてまた、俺に向かって話しかけてくる。


「すっ、すすっ、素敵なコウタさん。一弦コハルさんの守護天使の効果が間もなく切れます。私は、もうすぐ天界に帰還します。早く態勢を整えてください」


 風を切って振るわれる吸血鬼の腕を、小さな女の子はまた躱した。吸血鬼アルキオネは汚い言葉を吐き続けながら、攻撃の手を休めない。 

 激しく俺は揺さぶられて、首が折れそうになった。


「虎夫さんが頑張ってくれていますが、そろそろ限界です。さあ早く! 嗚呼! いけない! 時間切れで帰還します! サヨウナラ、すっ、すすすっ、素敵なコウタさん。コハルちゃんをヨロシクです!」


 滑舌かつぜつが悪い女の子が眩しい光に包まれたら、背後に和風の門が現れた。はじめはうっすらとしていたが、急に実体化してはっきりと見えるようになる。どこかの由緒正しきお寺の門のように壮大だ。門扉は開け放たれていて、その向こうは空間が渦を巻く奇妙な光景が昼間のようにはっきりと見えた。

 

 光を纏った女の子が、物憂げな表情を浮かべたまま、門の中に吸い込まれていく。

 さっさと帰れ。

 吸血鬼アルキオネが女の子に向けて、悪態をついたのが聞こえた。


「おいおいおいっ! 何か知らんが行かないでくれ!」


 俺は叫ぶが、女の子は強い光を放ちながら、門の向こうに見えている渦の中へ……。


 駄目だ、駄目だ!

 小さな女の子が告げた内容を整理すると、つまり彼女が守護天使。

 雷ピカピカやってる、張本人なんだね。

 ならお願いだ。

 もう少しだけ。

 もう少しだけコハルちゃんの側にいてあげてくれ!


 ぎゅっと俺の肩に吸血鬼アルキオネの爪が食い込み激痛が襲った。顔をしかめて耐える。


「なぜ帰還しない?」


 吸血鬼アルキオネの声だ。

 野生の獣が威嚇するように、喉がゴロゴロと鳴っている。

 痛みで閉じていた目を開けると、かんぬきがかかった門の前に小さな女の子が浮いていた。身をくねらせて、何だか恥ずかしそうである。

 あれ? 門が閉じてる?


「う~んと……。制限リミットアイテムの聖なる門が発動したみたい。あはっ! 凄いね! 門が上書きされて閉じちゃった。これ使った人、守護天使わたしと聖なる門をコンボさせたんだ」


 痛い! 痛い!

 嬉しそうに女の子が喋る度に、どんどん掴まれている肩の力が強くなってくる。

 何がどうなったんだ?

 よう分からんが、大層な演出の守護天使様のご帰還は、取り止めになったのか?

 吸血鬼アルキオネが声をあげた。


「鬱陶しい天使め! なら、私が天界に送ってあげるよ! キャハハハ!」


 飛び掛かった吸血鬼アルキオネの両腕を、守護天使は上昇して躱した。そして小さな身体は、これまで以上の強い光を放ち、どんどん膨張していく。

 原型を無くした守護天使は、やがて巨大な光の壁のように平面に伸びた。

 膨張は収まることがなく、俺達を飲み込まん勢いだ。吸血鬼アルキオネが堪らず距離をとったのが分かった。


制限リミットアイテム。守護天使ラファエル再発動!】


 空に声が響く。

 それを合図に巨大な光の壁はウネウネと動きだし、やがて渦となって、一斉に電気街駅のホームに降り注いだ。

 一瞬の静けさの後、爆発が起こる。

 今までとは比べ物にならない程の雷の群れ。

 ホームの屋根、停車中の車両が被害を受けているのが上空からでも分かった。所々で火災が起きる。


 呆気にとられて、ただ眺めていると、吸血鬼アルキオネの振り絞るような声がした。見上げると俺を掴んで離さない吸血鬼と目が合う。

 その化粧で派手な顔は、何故か青白く、わなわなと震えていた。


「馬鹿な……。メローペとタイゲタが殺られた……」


「え? なんて?」


 その瞬間。

 俺は空中に投げられていた。

 暗い夜空を、泳ぎの下手な哺乳類がもがきながら落下していく。


「うあああああああ!」


 俺は助からない。

 きっとみんなにもう会えない。

 それだけは、すぐに分かった。

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