金の力
ガラの悪い連中が彼女を迎えに来て、それを呆然と見送った記憶が鮮明に甦ってくる。
あれから何かあったに違いない。
彼女と親しげに話をしていた人物は、時折、俺とタクヤを盗み見するかのように見ていた。今思えば、心に良からぬ事を考えていそうな奴がする仕草だ。
行く先だけでも聞いておけば良かった。
いや、俺の直感が告げるままに、黒いバンに乗り込むのを止めるべきだったのだ。
そうしておけば、今、男二人でメイド喫茶の前で立ち尽くす事もなかった。
俺達は適当な理由をつけて会社を休んだ。
静ちゃんも一緒に休もうとするのを強引に抑えて、急いで電気街まで来たものの、まだ何の手掛かりもない。
大通りから一本外れた路地にある【メイド喫茶 突貫工事】の前で、closeと書かれた札を見つめながら、悪戯に時間だけが過ぎていく状況が続いているだけだ。
「くそ。店は十一時からか」
「中で、動いている人影は見えるけど、誰も気が付いてくれないね」
タクヤのいう通り、磨りガラスの窓から店内の様子が何となくうかがえるが、誰も俺達に気がつかない。
どうやら開店準備に追われているようである。数名のメイドさんが右往左往しているのが分かる。
今は午前の十時を過ぎたところだ。このままオープンまで待っている訳にもいかない。客として来ているのではないのだから、さっさと突入するべきなのだろう。逆に開店してからの方が、こみ入った話をしだしたら、迷惑になってしまう。
「よし、いくぞ」
俺の号令にタクヤが頷く。
一弦コハルのもう一つのバイト先。
コスプレの撮影会とやらの情報を聞き出すつもりだ。あの黒髪ロングの主任メイドさんなら、何か知っているかも知れない。
メルヘンチックな扉を力を込めて押そうとすると、扉は内側から勝手に開いた。
来るはずの反発に備えていた右手が空を切り、
「あぶね」
と言いながら、中から出てきた人物に目を向けると、何の職業に就いているのかは、すぐに分かった。警察官の制服だ。しかも見たことがある顔である。
「うああああ!」
大人二人が、奇妙な大声を上げて後ずさる。腰が引けていて、とっても情けない感じだ。
一台の軽トラが通りすぎる際に、俺達に接触しそうになって、慌ててハンドルを切っていく。けたたましいクラクションが鳴り響いた。
突然に飛び出した言い訳をさせて欲しい。
店から出てきた顔見知りの警察官は、悪い意味での【顔見知り】だったのだ。
「きゅ、吸血鬼シェルタン……」
絞り出すような声が自然と出てくる。タクヤは、いつの間にか尻餅をついて、吸血鬼と呼ばれた青白い顔をしている警察官を見上げていた。
シェルタンの口角が持ち上がる。
「これはこれは、金曜日ぶりだね。何をしているんだい? こんな所で」
落ち着いた低い声で問いかけてくる。
その質問は三百六十度反転させて……、いや違う。百八十度反転させて、こっちがぶつけたい質問だ。
だけど、待てよ。
シェルタンが制服で店から出てきたって事は……。ひょっとして、一弦コハルの失踪に関係しているのか?
「ひ、人を探しているんだ。そっちは?」
両手の拳を握り締めて、精一杯の威勢を張る。
今のところ襲って来るような気配はしないが、この警察官は、コロコロ気分が変わる面倒な奴だというカテゴリーの中にいる。油断なんて一切出来ない状況だ。
「私も人探しだよ。君達の知り合いかい? 一弦コハルさん」
思った通りだった。
やはりシェルタンは、職務で来ているようだ。
鉄蔵さんや、その家族が捜索願いを出しているのなら、警察が一弦コハルのバイト先に訪れていても不思議ではない。
「警察も動いているんだな」
「そうだよ。本当は、私は関係ないんだけどね」
「関係ないって、店から制服着て出てきたじゃないか。まさか、たまたまお茶してただけなんて事ないよな?」
「警察の捜査には、私は関わっていない。人探しは凄く個人的な理由だよ」
「個人的な理由?」
「ある人に頼まれてねぇ~。この辺は私の管轄ではないのだけど、仕方なくさ」
シェルタンは、やれやれといった具合に肩をすぼめる。
「ここの従業員に話を聞いてみたけど、大した情報はなかったよ。朝から何度も警察が来ているようだから、これ以上邪魔すると、出禁にされてしまうぞ」
面白い冗談を言ったつもりなのだろう。シェルタンは押し殺すように笑った後、俺達の方を見た。
「彼女、何かの保護がかけられているみたいだね。サーチに全く捕まらない。だからこうやって足を運んだのさ。だけど、そろそろお手上げかな。この辺りは動きにくい」
「お手上げって、お前はそうでも、警察は大丈夫だよな?」
頼りである警察までもが、この怠慢な吸血鬼のように、そうそうに諦めてしまっては、見つかるものも見つからない。
シェルタンは俺の問いには答えず、ほっぺをポリポリと掻きながら、爽やかな空を見上げている。
この感じは肯定とも否定ともとれない。
尻餅をついたままのタクヤに手を貸して立たせると、俺は耳元に顔を近づけた。
途端にタクヤが小さく距離を取る。汚いものが近づいて来て迷惑だという表情が一瞬掠めていった。
「いやいやいやいや。今、そういう状況じゃないから。何もせんわい!」
「え? そうなの? 何事かと思ったよ」
「いいからちょっと耳を貸せって」
タクヤの首根っこを捕まえるようにして引き寄せると、額と額を付き合わせて小声で会話する。もちろんシェルタンに聞こえないようにするためだ。
《どうする? もう警察にまかして帰るか?》
唯一の手掛かりかと思われたメイド喫茶で、何の情報もないと分かったのだ。これ以上は素人が出る幕ではないように感じる。
《そうだねぇ……。一応警察には、ここで別れたって言いにいこうか? 捜査の役にたつかもだし》
タクヤはそう言いながら、チラリとシェルタンの方を見る。
《ダメダメ。こいつは警察だけど吸血鬼だぞ!》
絶対に選んではいけない選択肢をチョイスしそうな友人を慌てて止める。もう……、変な所で手間を惜しむなって……。
《だよね。駅前の警察署に行こうか》
《だな。そうしよう》
短い打ち合わせが終わって、シェルタンに向き直る。陽の光に照らされている吸血鬼は、少し眩しそうながらも、微笑みながら俺達を見ていた。
「話しは終わったかい? じゃあ、これを君達にあげよう」
そう言いながら胸元のポケットから、折られた白い紙を取り出す。そのまま、俺の方につき出してくるので、思わず受け取ってしまった。
「何だよこれ」
口を尖らせながら紙を開くと、そこにはボールペンだろうインクで描かれた男の顔があった。
「こいつだ!」
俺とタクヤは、双子も真っ青な息ピッタリの発声を行う。紙に描かれていた男の顔は、昨日この場所で一弦コハルと話をしていた男のものだった。
ボールペンでの単色ながら、今にも動き出しそうに精巧に描かれたその似顔絵は、遠目に見れば写真かと見間違いしそうな程、上手に描かれている。
「これを、どこで?」
紙を掴む俺の手が震える。
「どこでって、店の人に話を聞きながら、私が描いたんだよ。なかなか上手いだろ?」
「滅茶苦茶上手です……」
タクヤが心からの感想を述べる。
いや、俺も言わせてもらっていい? 吸血鬼辞めて、漫画家にでもなったらって。
「君達の反応を見ていると、この男に会った事があるみたいだね。だけども、どこの誰かまでは分からない。そんな感じかな?」
「ぐっ……」
大した手掛かりは無かったと言っていたくせに、容疑者のモンタージュが出来上がっとるじゃないか。しょうもない出し惜しみをしやがって、このエセ警察官め……。
「それで探せるよね? 見付かったら私にも教えてくれるかな」
「いや、無理だろ。これだけじゃ」
俺達に出来るのは、この似顔絵を見せながら、辺り構わず聞き込みをするぐらいだろうか。だけど見付かる可能性は低そうだ。そもそも、時間がかかりすぎる。というか、管轄がどうの言っていたが、それぐらい何とかしろよ。
「警察で調べたら早いんじゃないの?」
「うーん。出来ないことはないけど、私が調べてたらおかしいだろ? 関係ないんだから」
「じゃあ、警察署に持って行く!」
すぐさま駅の方面に身体を傾けた俺を、シェルタンの低い声が制した。
「それよりもいい方法がある」
「え? なに?」
もう俺に警戒心なんてものは無いようだ。早く答えが聞きたいばかりに、余裕でシェルタンの手が届く間合いに進入してしまっている。
「思い出してごらんよ。この街は誰が仕切っているんだい?」
「仕切る? 仕切るって一体……」
そう言いながら、頭の中に稲妻が走ったような感触を得る。
「天狼か! そうだ! ノミのオヤジさんや、竜二さんにこれを見せれば何か分かるかも!」
ひどく遠回りしながらも、ようやく答えに辿り着いた俺達を、シェルタンは満足そうに見ている。
「さっきも言ったけど、見付かったら私にも教えて欲しい。依頼主に報告しないといけないから」
「依頼主って、一体誰だよ?」
吸血鬼に依頼する奴なんているんだろうか?
いたとしたら、それは一弦コハルと関係がある人物なんだろうか。
「それは秘密」
「秘密って……。まあ、いいわ。どうやって知らせればいい?」
なんだか、すっかり中年吸血鬼のペースになってしまっているが、一弦コハルを見つけるためだ。ここは精一杯我慢しよう。どのみち俺達だけじゃ話しは進まなかった。少しでも道が拓けたのは、この吸血鬼のおかげなのだ。
「名刺を渡しておくよ。その携帯番号に連絡してくれるかい」
受け取った名刺を見詰めて五秒後、俺とタクヤは盛大に吹き出していた。笑い過ぎて腹が痛い。何だよこの吸血鬼。俺達を笑い殺す気なのか。
「ぎゃはははは! な、なにこれ? ひ、秘密探偵シェルタンだって! マジでやってるんですか?」
「ひー! シェルタンさんって、こんな一面があるんですね。この名刺を大量に刷ってるんですか? すいません。なんだか面白くて!」
駄目だ止まらない。
緊迫のやり取りからの秘密探偵。
ずれてるわ。この人やっぱり人間じゃない。
「君達。ちょっと笑い過ぎだろう。いい加減私も腹が立ってきたよ?」
「ひーごめんなさーい! 名刺返しますから怒らないでー!」
タクヤが横腹を押さえながら、目に涙を溜めている。
人通りがまだない通りで、俺達の笑い声だけがビルに跳ね返って響き渡っていた。
変な副業をしている警察官は、初めて不快だという感情を滲ませて、笑い転げている俺達を睨み付けていた。
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