金貨

 電車の中で走ったりはしなかったが、それでも先頭車両に乗ってしまうぐらいには、気持ちが焦っていた。

 俺が電気街に到着したのが九時五分前。

 タクヤもほぼ同時に到着した。どうやら同じ電車の別の車両に乗っていたようだ。

 

 改札を出て見渡してみると、もうすぐ九時だというのに、電気街にはまだ人が沢山いる。メインの電気屋はほとんど閉まっている時間なのだが、駅前には居酒屋のチェーン店が展開しているし、二十四時間営業のファーストフード店も多い。もちろんコンビニだってあるし、カラオケにネットカフェといった娯楽もある。

 

 溢れる人達に向けて、アコースティックギターを伴奏に、スローテンポな歌声を披露している輩もいるし、それにはまったく興味を示さずに、輪になって話すサラリーマンの団体もいる。

 駅に向かって帰路につく人達も多いが、そうでない人も、まだまだ大勢いるという状況だ。

 

 そんな中、俺とタクヤだけが緊張した面持ちで立ち尽くしている。

 この場所に、ゾンビが湧いてくると信じているからだ。


 少し先の道路の向こうで、警察署のアナログ時計が、ちょうど九時になった。

 赤い数字のカウントダウンが今終わったはずだ。


 街の喧騒が止んで、代わりに大きな鐘を打ち鳴らすような音が響き始める。

 

 ゴーン。ゴーン。

 ゴーン。ゴーン。


 どこから聞こえてくるのか検討もつかなかった。

 ただ、この音に包まれていると、えも言われぬ不安な気持ちになる。

 

 視界がボヤけていると感じたのはそれからだ。ピントが合わないスリー・ディー映像のように、世界が重なって見えだした。

 目の調子を疑って、何度もまばたきをする。

 しばらくすると、二重に見えていた世界が、嘘のように元に戻っていった。鐘の音もいつの間にか止んでいる。


「注意しろよ」


 タクヤに声をかけて、木の棒を握りしめる。


 ……ん?

 何これ?


 しげしげと得物を見つめる。いつも使っている伝説の木の棒だ。

 木の棒には成金ガウンが良く似合う。本日もコーディネートは、ばっちりだ。

 まさかと思ってタクヤを振り返る。タクヤもだ。

 短パンハイヒールの棍棒変質者だ。


「うわ!」


 二人して驚きの声をあげる。これはゾンビーゾンビーの装備品だ。何故か今、俺達が身に付けている。

 いつ現れた?

 いや、今は深く考えている場合じゃない。それよりも周りの目だ。大勢の人が歩いている。俺達の格好は変態だ。しかも武器を持っている。危ない二人組は、すぐに通報されてしまうだろう。


「ちょっと、あの柱の陰に隠れよう」


 タクヤを促して、なるべく目立たないように急いで移動する。駅の改札前に、ちょうどいい太さの柱があった。

 動く度にガウンの裾がヒラヒラして、下半身がこぼれてしまいそうになる。

 ……マジなのか。俺はこんな公衆の面前でノーパンなのか?


 神様助けて欲しい。

 いつも都合の悪い時だけお願いして申し訳ないのだが、今は他の慈善活動は停止して、俺だけをかまってくれないだろうか!

 

「急げ! タクヤ。早く」


 後ろばかりに気を取られていたせいか、タクヤが危ないと言うまで、前から迫りくるサラリーマンの団体に気が付かなかった。

 ぶつかる! と思ったのだが、その予想は裏切られる。

 サラリーマンの団体は、俺達の身体を通り抜けていった。


「なんだ? 通り抜けた?」


 変な気持ちだ。

 自分達が幽霊にでもなった気分だ。

 サラリーマンに触れることが出来ない。

 

 試しにイチャイチャとスキンシップが激しいカップルを伝説の木の棒で殴ってみる。

 空を切って、地面にぶつかった。

 もう一度殴る。

 空を切った。

 俺は諦めない。また殴る。空を切る。


 オオオオ! 神よ!

 オーダーの追加を致します!

 私にパンツを!

 そして、この公衆の秩序を乱すお馬鹿っプルに、天罰を与えて下され! 俺に力を! 俺にトランクスをぉぉぉ!


 カップルの男が、ぶるっと身を振るわす。

 それから、不細工な女を引き連れて、夜の街に消えていった。


 クエストクリアだ。

 意識せず街の平和を守ってしまった。


 まあ、それは置いておいて……。

 (取り乱してしまったので深呼吸する)


 大勢の人がいるのに、誰も俺達に気付かない。コスプレには程遠い、あっち方面に特化した格好をしているのに、警察が駆け付けて来ない。

 茶髪の女子高生二人組が、まっすぐこちらに向かって来た。避けようと身体をずらすのを我慢して、身構えてみる。女子高生は俺の身体を通過していった。


 やはりそうだ。

 俺達が見えていない。

 そして、接触する事も出来ない。


 先ほどのストリートミュージシャンが、大きな口を開けてギターを掻き鳴らしているようだ。だが、音が届いて来ない。

 そういえば、とても静かだ。

 馬鹿笑いする声も、車のクラクションの音も、全部が混じりあった喧騒も、何もかもが聞こえない。


 世界に忘れられた気分だ。


 アスファルトに茶色い固まりが浮き出ている。

 俺達が現状を理解する暇さえ与えてくれないようだ。

 救世主の言った通り。

 ゲームと同じなら、あそこからゾンビが出てくるはずだ。そして、この木の棒を使って戦わないといけないのだろう。

 ふざけたゲームだ。

 ゲームと同じ状況をリアルで追体験させるなんて…。さすがは吸血鬼。趣味が悪い。


「タクヤ。いつも通りな。引っ張ってくるから、思い切りぶったたけ」


「わかったよ!」


 人の通りが行き来しているが、もう気にならなかった。プロジェクターの映像が垂れ流しになっているようなものだ。今は関係ない。

 

 集中しろ。集中。

 リアルでゾンビと戦うはめになるなんて、ついてなさすぎる。でも一人じゃなくて良かった。二人で本当に良かった。勝たなくては。タクヤと俺だけしかいない世界で、生き残らなくては。


 茶色い固まりが徐々に形を成していく。

 なんというか、とても生々しい。鼻が曲がるような悪臭がする。パソコンの画面から覗くのとは大違いだ。


「うああああ!」


 奇声をあげて木の棒を振り下ろす。

 腰が引けてしまって、ゾンビの鼻先を掠めただけだ。地面を勢い良く殴ってしまい、アスファルトに小さな穴があいた。

 その隙に、グロさ二百パーセントアップの草原ゾンビが迫ってくる。

 今度は振り上げるように、木の棒を振るった。

 顎を捉えた一撃は、そのままゾンビの頭を吹き飛ばしてしまう。

 十メートルは距離が出たであろう、ゾンビの頭が落下して潰れた。


「お、すごい! でも、なんか見えそうで気になる!」


 タクヤが興奮して叫んでいる。


「もういいわ! 見えてもいいわ!」


 心の底から見えてもいいわ。

 俺の下半身が公園のブランコがごとく、どんだけブランブランしようと、タクヤしか居ないのだ。戦っている最中に気にしてられるか!

 それよりもビックリだ。草原ゾンビをあっという間に退治した。まぐれじゃないと思う。今の戦いで、何かこう、手応えを感じた。木の棒が手足の延長のようにしっくりくる。


 俺を中心にゾンビが湧き始める。湧いたそばから、頭を叩き潰していった。

 何だか知らないが絶好調だ。疲れなんて吹き飛んでしまったかのようだ。


「タクヤ! このままいけそうだ! 援護頼む!」


「了解!」


 重量級の雰囲気をまとって、タクヤが出動する。

さっそくゾンビに取り囲まれるが、その群れをハイヒールの蹴りで蹴散らしてしまった。

 ゾンビもハイヒールに踏まれて幸せだろう。

 その筋では、お金を払ってせがむシチュエーションだ。迷わず成仏してくれ。


 そしてタクヤ。

 たまには棍棒使え。


 夢中でゾンビを叩き潰すこと一時間。

 休むことなく湧いてきたゾンビも、ハーフタイムに入ったようだ。あちこちに残骸だけが転がっている。

 ありがたい。この隙に俺達も息を整えよう。


 人の往来はまだあるが、さすがに減ってきた。

 今から飲みに行こうという奴は、相当な酒好きだろうし、娯楽目的なら、終電を気にしないといけない時間だ。

 俺もコンビニでスポーツドリンクを買いたい。

喉が乾いてしまった。

 だが、相手にされることはないだろう。俺達は絶賛幽霊中だ。

 自動販売機なら使えるだろうか? あ、でも財布がなかった。


 この不毛な戦いは、いつ終わるのだろうか?

 スコアが表示されない、もぐら叩きを延々としているようだ。

 何かしらのアクションが起きるのは、日付が変わった頃だと予想はしているが、あと二時間弱もある。ペースを考えなくてはもたないぞ。


 ゾンビの残骸が散らばっている。

 タクヤがその中から、何かを拾い上げた。


 それは金貨だった。俺の足元にも落ちている。

 つまんで観察してみると、楽器の模様が彫られている美しい金貨だった。


「これ、自動販売機には使えないよなぁ」


 どうせ駄目だと分かっていても試してみたくなる。


「そうだね。でも値打ちがありそうだから、集めておくよ」


 タクヤって働きものだねぇ。いい旦那さんになるよ。タクヤが金貨を集めている間、周りを警戒しながら水源を探すとしよう。


「君達かい? ここで暴れているのは」


 制服を着た警察官がいるのは知っていた。

 でも、どうせ風景だろうと気にしていなかった。

 失敗した。

 ゾンビが湧かなくなったのは、これが理由だったのだ。いつの間にか、おかしな世界から抜け出していたのである。

 

 いきなりの職務質問に俺達はきょどってしまう。

 なぜなら、右手に原始的な武器。左手に金貨を握りしめている。

 一仕事終えてきた窃盗団と思われても仕方ない。


「いや……。暴れてなんか……ないよね?」


 棍棒を肩に担いでいる相棒に聞いてみる。

 しまった……。俺、ノーパンじゃないか……。

 これ、俺だけ逮捕されちゃうんじゃない?

 俺の着ている成金ガウンが、露出狂の必須アイテム、茶色いトレンチコートに見えてきたわ!


「うん。暴れていません。ただのコスプレです」


 タクヤが上手いこと言った。それしかないんだろうけど、とても苦しい。

 警察官は、まったく信用してくれていない。

 小首をかしげながら、ほっぺを掻いている。

 そもそも、露出狂をコスプレしている時点で、それはもう露出狂だ。こんな格好をしている俺が悪い。

 さっさと脱いでしまいたいが、そうすると更に露出してしまう。

 これは、あかん。捕まってしまうかも。


「まあ、いいけど。ホドホドにしないとね」


 警察官は苦笑いをしている。


「す、すいません」


 話の分かる警察官のようだ。

 捕まらずに逃げ出す事ができるだろうか。


「君達はレベル五ぐらい? いや、もっと上かな?」


 警察官が唐突に言った。

 十秒間その意味を考えて、それから木の棒で殴りかかる。もしかして俺達以外のプレイヤーか? だったらこの行動はまずいかも。

 そうだよ。どう見てもゾンビじゃない。

 ひょっとして仲間なんじゃないの?

 だけども、振り下ろす木の棒は止まらない。

 警察官は右手の人差し指で、俺の攻撃を受け止めた。ほっとしたのも束の間、警察官の口元が邪悪に笑っているのを見て背筋が震える。


「いきなりだな。でも、なかなかいい反応だね」

 

 木の棒をどけると、警察官の口角がさらに上がって、不気味な仮面のようになった。

 やばいと俺の直感が告げる。

 なのに、じめじめとした底知れない重圧に押し潰されて、距離を取りたいのに、うまく動けない。


 顔に物凄い風圧を感じた。

 タクヤの棍棒が目の前を通り過ぎていった。


「こわい。こわい」


 タクヤの攻撃をかわして、警察官は俺から数メートル先まで飛んでいた。

 被っていた警察帽を後ろに投げ捨てる。

 三十代もしくは四十代の、色白な男性だ。

 黒い髪はきちんと整えられて、耳元で短く刈り上げ

られている。


「まさか、吸血鬼?」


 俺は質問したが、わざわざ聞かなくてもよかった。

 纏っている雰囲気が真っ黒で重い。趣味の悪い無機質な人形のようだ。人間じゃない気配が溢れている。


「御名答。我が名は吸血鬼シェルタン。移動中でね。喉が乾いたから立ち寄ってみたんだよ」


「や、やっぱり……」


 呻きながら、俺とタクヤは後ずさりをする。

 吸血鬼と聞いて、咄嗟にアストラの事を思い出した。もし、また赤くなる頭痛攻撃をされてしまったら、地面に這いつくばってしまう。

 

 おのれ救世主。

 電気街には吸血鬼は来ないんじゃなかったのかよ!


 くそ、運がない。

 そう割り切るしかない。


 話は出来るようだが、見逃してもらえるだろうか。

交換条件を出されても、何も差し出す物はないのだが。

 生唾を飲み込みながら、俺は、声を絞り出す。


「俺達は、まだ始めたばかりだ。だから見逃してくれ」


 余裕たっぷりに腕を組んでいるシェルタンという吸血鬼。

 戦っても勝てないのだろう。救世主があれだけびびっていたんだ。どうこう出来る相手ではないはずだ。


 俺達が早々に降参したのが気に入ったのか、目の前の吸血鬼は、聞いてもいないことを話し出した。


「いつもはね、美しい女性の血しか飲まないんだ」


「…………」


「美しいと言っても、それは容姿だけでなく、身も心も健康でなくちゃならない。そういうの分かる? そういう美しさ。奥から滲み出てくる命の美しさ。でも最近、なかなか、私好みの女性が見つからなくてね。ずっと食事が出来なくて困っていたんだよ。いい加減飢えてきてね。そうしたら君達がいた。まだ始まって一時間ぐらいだろ? いやいや私はついてるねぇ」


 だから俺達の血を飲むってか?

 美女の真逆の存在だけどいいのかよ。

 そのこだわりを、永遠に守れっつうの。


 呆然と立ち尽くす俺の横で、タクヤが棍棒を構え直す。

 えっと……タクヤくん? やる気まんまんの顔になっていないか? いつも思うんだけど、君のスイッチは一体どこに隠れているの? やめような。ここは穏便にな。


「消えろ! 吸血鬼!」


 ひぃぃ――!!

 タクヤ君、言葉遣い! 言葉遣いが悪いよ! 

 もっと丁寧にお話しないと、僕達噛まれちゃうよ!


「いいや、何処にも行かない。今日は喰らうと決めている!」


 俺が慌てふためいている間に、シェルタンが突然消えて、背後から物音がした。振り返るとタクヤが捕まっていた。後ろから両肩を掴まれて、痛みで顔を歪めている。


「やめろ!!」


 俺は叫んでいた。

 吸血鬼の口角が、いよいよ最大にまで上がって、その端に、長い長い牙が見えた。


「では、いただきます♥️」

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