急げ!
木曜日。
電車が揺れる度に、吊り革を強く握りしめる。
寝不足が続いているせいか、踏ん張る力が何時もより弱いらしい。何かを掴んでいないと立っていられなかった。
俺の横で、静ちゃんは読書中だ。
もちろん吊り革なんて掴んでいない。
ナイスバランス。
君の周りだけ時間が止まっているようだよ。
何を読んでいるのか気になって表紙を覗いてみたら、【悪友との別れかた】というタイトルだった。
悪友とは俺の事か? 君の隣にいるタクヤの友達って事だよな? 考え過ぎか? 被害妄想なのか?
この静ちゃんならぬアストラは、相当性格がネジ曲がっているな。自分から俺を呼んでおいて、こんな仕打ちをしてくるとは。俺もさっそく書店へレッツゴーするとしよう。吸血鬼退治の本を明日から愛読してやる。
この日、作業場で機械トラブルがあり、いつもより帰宅時間が遅くなってしまった。
鉄蔵さんが颯爽と現れて何とかしてくれたのだが、この数時間のロスが俺達には痛かった。
今日中にレベル五に到達できるか微妙だ。
日付が変わった時点で金曜日である。
いつ何か起きてもおかしくないのだ。
《いないよな? やっぱり》
《……いないね。電気街に戻る?》
暗く落胆しているタクヤの声が、ヘッドフォンの向こうから聞こえてくる。昼間のトラブルで走り回ったもんだから、単純に、二人とも疲れているせいでもある。
ゾンビーゾンビーにログインしたら、まずふた手に別れて救世主を捜索する。
俺達は今、かやぶき工場前という名前の街にいる。スタート地点の街である電気街から西にいった所にある大きな街だ。
はじめの街にはなかった施設がいくつかあり、その分、人探しも大変である。
案の定というか、この街にも他のプレイヤーがいない。もし、序盤で救世主にあっていなければ、これがMMOという多人数参加型のゲームだと説明されても信じなかったろう。
《タクヤ。もう救世主は諦めて、今はレベルアップを優先したい。どうだ?》
《全然かまわないよ。それでいこう》
タクヤと合流するべく、素敵なコウタを操作していると、黒いフードを被ったNPCが、酒場の裏通り、せまい路地に立っているのを見つけた。
明らかに堅気じゃない
すげ~怪しい。
黒いフードをクリックしてみる。
課金アイテムの一覧が表示された。一画面では表示しきれない物凄い種類の数である。
《タクヤ。酒場の裏手に来てみて、課金アイテム売ってるわ》
《お? それってラッキーかも? そういや、始めにそんな説明してたよね》
《そうそう、忘れてたわ。ん? ああああ……駄目だ。やっぱり来なくていい》
《何それ? どっち?》
呼びつけたタクヤにストップをかけたのは、来ても意味がないと判断したからだ。
課金アイテムの一覧を見て、俺は腹が立っていた。
【熟練者の知恵 (効果:経験値2倍) 200万円】
【盗賊の心得 (効果:ゴールドドロップ2倍) 200万円】
【身代わりのダルマ (効果:死亡時に低確率でダルマが代わりになる) 9000万円(SALE!!)】
【火龍の吐息 (効果:広範囲に火属性ダメージと自身に一定時間無敵効果) 9000万円(SALE!!)】
【…………】
【…………】
アホなのか。
二百万とか、九千万とか誰が買うねん!
もう、億じゃねえか!
まだまだリストは続いているが、読むのを諦めた。こんなの絶対買えない。
このゲーム。金持ちしか生き残れない仕様じゃないだろうな? 強制無課金にされてしまう俺達は大丈夫なんだろうか。
《一番安いので二百万円だと。ゴールドじゃないよ。円だからな》
《ひえ~ぼったくり》
《ほんま腹立つわ。何を考えてんのか。ガチャもあるみたいだけど、一回三百万円。誰がするんだ(笑)》
タクヤに説明しながら、途中から有り得なさすぎて面白くなってきた。数百万円払うにしては、効果が薄すぎる。誰も利用しないであろう課金ショップに意味があるのだろうか。
う~。くやぢい。
これが一回三百円のガチャなら、死ぬほど回してさっさと高級装備で身を固めるのになぁ。課金中毒の血が疼くわ~。
《まだ時間かかる?》
《あ、すまん。すぐ行く》
タクヤに言われて我に返る。
ゾンビーゾンビーに手っ取り早いクリア方法は、今のところ見付からない。
まあ、これが本来のゲームの姿なんだ。
課金なしで取り組むのは、何年ぶりだろう。
――そして、ついに金曜日。
正確には、金曜日に日付が変わってからの、初めての朝。
まぶたが重い。
若さにも限界がある。
寝不足が一週間も続くと流石に堪えるようだ。
かやぶき工場前駅から、勤務地の工場に向かって、三人で仲良く歩いている途中だ。
街路樹のイチョウが、黄色く色づき始めており秋の到来を感じさせる。体調が万全なら、とても清々しい朝だろう。
大きなアクビをしながら、静ちゃん越しにタクヤを見る。俺と同じように疲れきった顔をしていた。
少々、頑張り過ぎたかも知れない。二人揃って身体を壊してしまいそうだ。
だが、頑張ったおかげで、なんとかレベルアップすることが出来た。
日付が変わり、金曜日になった時、何かが起こるのではと身構えたのだが、一時間ほど経過しても何も起きなかった。
そこでパジャマに着替えたのを思い出す。
あとは、救世主を求めて電気街まで戻り、武器屋に道具屋、古い井戸を覗いてみたりしたのだが、探し人は見付からなかった。
「鉄蔵さん。おはようございます」
三人揃ってのハーモニー。今日で何度目だ?
「おはよう! なんか顔が死んでるぞ」
正門を守る鉄蔵さんは、毎日元気いっぱいだ。
昔の人は身体が頑丈なんだとかどうとか。本当に鉄蔵さんを見ていたらそう思う。
「それじゃあ静ちゃん。俺達は朝礼があるから」
こう言って、いつも静ちゃんと別れる。
そこで緊張が一気にほぐれるのだ。だが今日は違った。静ちゃんが立ち止まったまま動かない。
「……気を付けてね」
「え……」
タクヤの手の甲を撫でるようにした後、静ちゃんは物欲しそうな表情を一瞬見せた。
静ちゃん。俺には無いのかな?
頑張ってとか、それぐらいならあってもいいんじゃない? てか、やっぱり何か起きるのね。また違う緊張が襲ってきたよ。焦らすよね~。本当に焦らしまくり。
ヒントだけでもくれればいいのに……。
夜の八時。
風呂には入ったが、格好は外出できるようにしている。財布とスマホはポケットにしまった。
一応念のためだ。ゲーム外で何かが発生した時に対処出来るようにだ。タクヤにもそう伝えてある。
「理由は金曜日になればわかる」
アストラが吐き捨てていった言葉だが、この理由というのが気になって仕方がない。
俺達が必死にゾンビーゾンビーをプレイしなくてはいけない訳なんだと解釈しているが、そんなんなくても、アストラに脅されたら、誰だって素直に従うっての。逆らうなんて微塵も思わんわ。
まあ、いいわ……。
ぼやくのはこの辺で止めとこう。
この金曜日を目指して、レベル上げを頑張ってきた。それに何の意味があったのかは、もうすぐ判明するだろう。正直どきどきが止まらないが、なんとか乗り越える。今はそう思うだけだ。
部屋に戻るとパソコンのディスプレイから光が漏れている。風呂に入る前に電源を落とした記憶があるが、思い違いだろう。
パソコンの前に腰かけて驚く。
救世主がいる。それにタクヤ0721も。俺のキャラもいつの間にかゾンビーゾンビーにログインしている。
三人がいるのは武器屋の中だ。俺達が昨日ログアウトした場所だった。
《タクヤ。ログインしているのか?》
《うん。今さっきだけど、救世主さんもいるよ》
《よし。ちょっとチャットを代わってくれ》
エンターキーを押してチャット欄に文字を打つ。
だけども非常にもどかしい、焦って誤字だらけだ。
《駄目だタクヤ。俺が言うことを救世主に聞いてくれ》
《わかった》
【今日、何か起こるんですか?】
タクヤが急いで打った文字がチャット欄に流れる。
【うん。もう時間がないから、簡潔に話すよ】
救世主の装備が、この前と違う。
身に付けている金属製の鎧から、神々しい白いオーラが吹き出ていた。その鎧の胸にコウモリの羽が一枚描かれている。
【画面中央の右に、カウントダウンが始まっているよね?】
【はい】
救世主のいう通り、何時もはない赤い数字が不気味に減っていっている。なんだこれは?
【残り四十五分だよ。君達の住んでいる場所から電気街まで四十五分で辿り着けるかい?】
《タクヤ。大丈夫だ。ギリギリ間に合う》
素早く頭の中で計算して伝える。外出の準備をしていて正解だった。今すぐにでも家を飛び出すことが可能だ。
【辿り着けます】
【良かった。では、今から急いで向かうんだよ。草原ゾンビが出てくるから、いつもやってるみたいに落ち着いて戦うんだよ。レベル五なら余裕で倒せるからね。あの辺には吸血鬼は滅多に来ないから、心配しないでね】
【ゾンビが出てくるのか?】
俺は、たまらずチャットに参戦してしまう。
【そうだよ。この現実世界にゾンビが湧いてくるんだよ。嘘じゃないよ。すぐに分かる】
戦えたって……。
マジなのかこれは。
【僕もそろそろ行かなくてはいけない。吸血鬼の一人を怒らせてしまったんだよ。もしかしたら、もう会えないかも知れない。君達は気を付けてね】
【ちょっと待ってくれ、お前と連絡を取るにはどうしたらいい?】
救世主が話を終えようとしているのを感じて、それを遮る。この数日間、俺達はお前を探し回っていたんだ。これでお仕舞いはないだろう。
【僕の方から君達を探すよ。もし生きていたらすぐに会える。いいね。絶対に生き残るんだよ】
俺達のキャラが短い光に包まれたと思った瞬間、
【Marking】という表示が出た。救世主が何かしたのだろう。
今生の別れみたいな事を言いやがって、お前が弱気になったら、俺達はどうしたらいいんだよ。
救世主の動きが止まる。ログアウトの準備に取りかかっているようだ。
まだまだ聞きたい事がたくさんある。
《待ってくれ!》
《救世主さん! 待って!》
俺達は叫ぶ。
お前だけが頼りだったんだ。
こんな中途半端に、どこかに行かないでくれよ!
【急げ】
掻き消えるように、救世主は目の前から消えた。
カウントダウンの数字はどんどん減っていく。
ぼーとしている場合じゃない。
動き出さなきゃ……。
《タクヤ。いいか?》
《うん》
《電車を使って来いよ。車は運転するな》
《わかった》
運転はなしだ。
ハンドルを握った状態で襲われたら、目も当てれない。
ゾンビが湧いてくる? 吸血鬼は滅多に来ない?
マジかマジかマジか。こういうことなのか。
玄関を飛び出て夜の街を走る。
疲れのせいで足がもつれそうだ。
明日を無事に迎えることが出来るだろうか?
駄目だ。頑張るんだ。
タクヤと俺で、この困難を乗り切るんだ。
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