カウントダウン
月曜日。
街路樹がよく手入れされた国道沿いを歩いて、タクヤと静ちゃんは、いつも一緒に出社してくる。
俺は、工場の正門を出た所で二人がやって来るのを待っていた。
深夜までゾンビーゾンビーをプレイしていたせいで非常に眠い。なのに、ばっちり目が覚めてしまったのは、この朝の光景が気になったからだ。
はたして、二人で仲良く出社してくるのだろうか?
「コウタ。さっきから何しとるんだ?」
「いや、タクヤに用事があって……」
「ふ~ん。朝礼終わってからじゃ駄目なのか?」
俺に話しかけて来るのは、守衛のおっちゃんだ。
元は工場内で製造に携わっていたが、俺達が入社するのと入れ替りで定年退職されている。
剣道五段。柔道五段。さらに合気道の極意を極め、鬼の
だらだら怠けていると、尻を工具でひっぱたいて来たらしい。
コンプライアンスなんて言葉は、鉄蔵さんの辞書には載っていないそうだ。
今は
俺達にとっては良いおっちゃんだが、先輩達にとっては、今も鬼の鉄蔵なのだそうだ。
証拠に、正門をくぐる際、全員が鉄蔵さんに挨拶していく。それも非常に丁寧にだ。
鉄蔵のおっちゃんと、他愛もない話をしていると、待ちに待っていた主役がやって来た。
どう見ても二人。
間違いであって欲しいような光景だが、いくら睡眠不足とはいえ、見間違うはずもない。
タクヤ。お前ってやつは。
アストラと並んで出社しているよ。
「タクヤおはよ~。し、静ちゃんもおはよ~」
「コウタ君。おはよ」
二人が近づくのを待って、なるべく自然に声をかける。にっこりと笑って、静ちゃんは返事をしてくれた。本当に吸血鬼なのかと疑いたくなる笑顔である。一方のタクヤは、朝一なのに疲れきった表情で何も言ってこない。
「じゃあ静ちゃん。俺達朝礼があるから」
「うん」
鉄蔵さんに深々とお辞儀してから、静ちゃんが歩いていく。その姿が十分遠くなるのを待ってから、捕まえていたタクヤを問いただした。
「何やってんだ? アストラだぞ!」
「そ、そうだね」
「そうだね。じゃなくて、なんで一緒に通勤してんだよ」
「駅に着いたら、いつも通り待ってた……」
「え……。待ってたの? いつも通り?」
「うん。いつも通り」
だからって……。
わざわざ一緒に通勤しなくてもいいじゃないか。
今日から一人で通勤するね。と言ってしまえば、事情なんて説明する必要もない。
「で、何か話したのか?」
「それがまったく……」
「何にも話してないのか?」
そりゃ疲れるわ。
電車の中も、駅から歩いて来る途中も、一切の言葉を交わさないで来るなんて。まあまあの地獄だな。
これからタクヤは、こんな朝を毎日過ごす事になるのだろうか……。
火曜日。
また正門でタクヤを待つ。
鉄蔵さんが不思議そうに俺を見ているが、そんなのどうだっていい。
俺はタクヤが気になってしょうがないのだ。次々とやって来る職場の先輩達も、同じように俺を見ているが、全部適当に誤魔化した。
やがてやって来る。今日も二人揃ってのご出勤だ。
タクヤの顔色は相変わらずだ。昨日よりも疲労が濃いようにも見える。
これはもう、俺が言わないといけないのだろうか?
タクヤを解放してやってくれって。
「おっはよ~タクヤ。それから静ちゃんも」
「おはよ。コウタ君」
タクヤは返事をしない。
静ちゃんが鉄蔵さんにお辞儀し終わるのを待って、思い切って言ってしまう事にした。
「あの静ちゃん。ちょっとお話いいかな?」
「うん。どうしたのコウタ君」
「いや、それがね……。なんて言うかその……」
見詰められると、金縛りにかけられたように次の言葉が出てこない。口の中の唾液が一瞬で乾いていく感覚がする。
不謹慎な俺は、乾きに喘ぎながらも目の前の女性に対して別な事を考えた。
黒い大きな眼鏡と、長めの前髪のせいで普段は気付かないのだ。すごい美人がいるって。
「今日も良い天気だな~って……」
頑張れ俺。言うんだ。
このままじゃタクヤが救われない。
「あの、コウタ君」
俺がもごもご口を動かしていると、静ちゃんが声をかけてきた。
「何? 静ちゃん」
「タクヤ君の体調が優れないみたいなの。もし良かったら、朝、迎えに来てくれないかな?」
「え? いいよ。大丈夫。瓦町の駅まで迎えにいくよ」
突然の提案に面を食らってしまったが、いつも下車する駅を通り越してニ駅いくだけだ。
三十分程早起きになるが、それぐらい、いいだろう。
「ありがとう。コウタ君。それじゃあね」
静ちゃんは行ってしまった。
まあ、結果オーライなのか? これでタクヤを引き離す事ができた。これ以上心労を重ねたら、痩せ細ってゾンビみたいになりかねない。
ちょっと寂しそうな顔をしていたかな。静ちゃん。
どういうつもりで、タクヤに付きまとっているのかは知らないが、まさか本当にタクヤの事が好きなんてことないよな?
多分、見た目が静ちゃんだから、可哀想なことをしている気分になってしまうだけなんだ。
油断をしたら、喉元がぶり。
この大前提を忘れてはいけない。
水曜日。
わざわざ早起きをしてタクヤを迎えにいった。
瓦町の駅に着いてみると、予想を上回る混雑ぶりだ。
この時間帯、この駅で降りる輩はあまりいないらしく、電車のドアが開いた瞬間に大勢の客が乗り込んでくる。
おい! お前ら! 降りる人が先だろう! お願い降ろして! タクヤが、タクヤがぁ~!
朝から一苦労だ。
みんな通勤に命をかけているな。
タクヤとは向かいのホームの先頭車両付近で待ち合わせている。急いで向かわねば……。あと数分しかない。あ、でもまた人の波が、お願い通して……! タクヤが! タクヤがぁ!
人の流れに逆行しているのが悪いのだ。
公共のルールに従わなくては……。
水は上から下へ。
右側通行の俺は早く左側へ。
そうこうしている内に、やっと波に乗れる事ができた。まったく……。朝からうっすら汗をかいてしまったぞ。
後はタクヤと合流するだけなんだが……。
嗚呼! 嘘だろ!?
「おはよ。コウタ君」
静ちゃん。なんでいるの?
タクヤが俺の方を見ながら、微妙な顔付きをしている。
ああ、そうだった。別々に通勤するとは、一言も言ってなかったね。てへ。俺の早とちりだ。
というか、俺も毎日付き合わされるのかな? この生ぬるい地獄に。三十分も早起きさせられて。
晩飯と風呂を終わらせて、パソコンの前に座る。
繊細な俺は、明日の通勤の事を考えると、早くも胃が痛かった。
考えても解決しないことは、考えなくてもいい。
――鉄蔵 鬼の名言集からの引用だが、それが出来たら苦労しないって……。
まあいいや。
とにかくゾンビーゾンビーで救世主に会わなければ。すぐ近くのアストラに、直接聞きたい衝動に駆られるが、それはするなと念押しされている。
あれよあれよという間に、水曜日になってしまった。そろそろ見付けないと、金曜日までに間に合わないぞ。このまま会えないのなら、次の手を考えなくてはいけない。
今日中にレベルを四まで上げて、明日で五になっておく。今までのペースを考えると、かなり頑張らなくてはいけない。眠いとか言ってる場合じゃないな。
効率的にプレイする必要があるだろう。
そろそろスタート地点の街から旅立つ時だ。
タクヤが準備出来たのを確認して、ゾンビーゾンビーにログインする。昨日ログアウトした街の入り口付近からの再開だ。
《救世主がいるか確認して、いなければ道具屋へいこう》
昼間の休憩時間に、打ち合わせした内容を再確認する。
《うん。いよいよ旅立つんだね》
やはりというか、もう慣れてしまった光景だが、武器屋に救世主はいなかった。
よし。ひとまず諦めよう。
救世主が言っていた、レベル五を達成する為に、次のステージに旅立つのだ。
道具屋に寄るのは旅の支度と、あるアイテムを購入するためだ。
【旅人のコンパス】
【世界地図】
この二つを買わないと、次の街まで辿り着けない。
それぞれが一万ゴールドもするので、まとめて買うのは不可能だが、俺がコンパスを、タクヤが世界地図を買って、二人で常に行動すれば問題ないはずだ。
有り金の全てでコンパスを買う。
タクヤ。ここは間違うなよ。お前は世界地図だ。世界地図を買うんだぞ。
以前間違って、ハイヒールを買ってしまった男だ。
もうそんなことは無いと思うが、失敗は命取りだぞ。
《ふ~。買ったよ。世界地図》
タクヤからの通信で、俺は胸を撫で下ろす。
《よしよし。それで? 一番近い街はどこだ?》
《え~と。西かな。ここから西に行けばあるんだけど……》
タクヤの歯切れが悪く、何かに困惑しているようだ。
《なんだ? 何か変な事でも書いてあるのか?》
《それが……。次の街の名前が、かやぶき工場前ってなってる》
《なんだそれ……!》
【かやぶき工場前】というのは、俺達が通う工場の下車する駅の名前だ。
じゃあ今いるスタート地点の街はなんなんだ? また実在する駅の名前なのか?
《電気街になってるね。コウタ……。僕もう、訳がわからないよ》
電気街は、かやぶき工場前の隣の駅だ。
かやぶき工場前で一度乗り換える必要があるのだが、間違いなく隣だ。その位置関係がゲームに反映されているなんて。
しばらく沈黙が続くが、俺は妙に身が引き締まった想いがした。もっと本気で取り組まなくてはいけないのだ。真剣なつもりでいたが、まだまだぬるい。
《タクヤ。落ち着いたら出発するぞ》
《うん。大丈夫だよ。でも一人じゃなくて良かった》
《それはこっちもだよ。一人だと今頃パニクってるわ》
《……コウタごめんね。巻き込んじゃって……》
《はあ? 俺は毎日楽しくて仕方ないけどな!》
俺は本心から、そう言うのだ。
だから、謝らなくていい。
消化するだけだった毎日が、今は一日一日が惜しくてたまらない。
吸血鬼に、無理やり変なゲームをさせられているだけなのに、なんだか楽しくなってきたんだ。
だから、タクヤ。
一緒に乗り切ろう。出きる限り安全な着地点を探して、二人でもがき続けるんだ。
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