チュートリアル
部屋の広さは八畳。
入って右手にはシングルベッド、左手にはパソコンが置かれた机がある。あとは収納と本棚だけの部屋。
未だ異性の侵入を許さない、難攻不落の城だ。
その城の主である俺は、パソコンの前で唸っている。
さっきから何かを見落としているような気がして、度々考え込んでいるが、まずは救世主を見つけて情報収集、間違いないはずだ……。
そう自分に言い聞かせて、またパソコンの中を見詰める。狭い部屋には【素敵なコウタ】と【タクヤ0721】という、レベルが一の、みすぼらしい格好をしたキャラしか確認出来なかった。
あれから数時間は経過している。
探し人は、もうログアウトしてしまったのかも知れない。
気持ちが
それに思い出した。
レベルあげだ。
期限付きのレベルあげ。
たしか、金曜日までにレベルを五まで上げろと、救世主は言っていたはずだ。
《タクヤ。もういいわ。レベルあげしよ》
《うん。わかった》
《あ、酒場でクエストを受けろとも言ってたな》
《酒場見つけといたよ。案内する》
言われる前にやっておきましたよ。
この流れ。
――大好きだ。
酒場に入ると、やはり誰もいなかった。
店内の丸いテーブルには、数人の中年NPCしか腰掛けていない。
この街には、俺達以外のプレイヤーが、もういないのであろう。救世主のように、新規アカウントに優しい奴ばっかりではないのだ。
暇そうにしている酒場のNPCをクリックして、クエスト情報を閲覧してみる。十件ほどのリストがでてくるが、どれもこれも似たようなものばかりだった。
最後の一行を除いては。
【三等星 吸血鬼アルキオネ討伐】
これはあれかな。静ちゃんの親戚か何かかな?
何気無い顔でリストに混じっているが、他がゾンビの討伐なのに、急に吸血鬼になるのは止めて欲しい。カーソルをはわすだけでも恐ろしいわ。
パス、パス。絶対に受けないぞ。
《タクヤ。冗談でも押すなよ。ふりじゃないからな》
《一番下のやつの事?》
《そうそう!》
《じゃあ、どれにする?》
《一番上だ。一番うえ!》
《ほいきた》
タクヤ君。疲れていた割には、ノリノリじゃないか。俺がまだ、吸血鬼恐怖症から抜け出せないというのに。もうなんか吹っ切れた感じがするよね。
俺は完治するまで、二日はかかりそうだよ。
街の外に出た瞬間、素敵なコウタの腰に【木の棒】が装着された。
シュピーン!
非常に頼りない、枝? みたいな棒。
野犬がいたら、噛みついて持って行ってしまいそうな棒だ。
これが俺の武器。
これが五千ゴールドもするとは……。
タクヤの【棍棒】は、どんな感じだろうか?
《何これ? 歩くの遅くなったんだけど!》
タクヤ0721の下半身はあろうかという、巨大な物体を引きずっている。そんな物を今までどこに隠し持っていたのか。
二人とも救世主に御指南頂いた通りに武器をそろえたんだが、これは無理なんじゃないか?
とても冒険なんてできないでしょ。
街の外は、製作者の手抜きかと思うぐらい、広い広い緑の草原だけだった。風が吹き抜けて行くように、背の低い草が広範囲で揺れている。
街がなければ方向感覚が狂ってしまいそうな、緑の砂漠のようだった。
ゾンビがやって来るとしたら、一体どこから来るのだろうか? こんな見渡しの良い草原に、ゾンビがいたら遠くからでも分かりそうだ。
ん?
目の前にぽつんと落ちている。
食事中の方がいたら申し訳ないが、まるでウンチかと思う茶色い物体がある。
棍棒を引きずっている怪しい人を放っておいて、じっくり観察していると、茶色い物体がみるみる大きくなり始めた。
まさか、ゾンビがウンチだったとは。
いや、ウンチがゾンビだったのか?
とにかく戦わなくては。
出てきたゾンビは、全身が腐っているかのような質感で、草の上を這いずり回っている。
思わず感じた嫌悪感は、台所でゴキブリと二人きりの時と同じだ。
頭の上には表示が出ていて【草原ゾンビ】となっている。名前の下にHPバーがあり、これを
先手必勝!
すかさず、素敵なコウタの一撃が、
ゾンビがカサカサしながら猛抗議してくる。前を見ていないからだと俺は思った。
続けて攻撃する。
ー10と、また表示が出た。
《コウタ! いくよー!》
棍棒を振りかぶったタクヤ0721が、怠慢な速度で迫ってくる。
プルプルする筈がないのに、膝が笑っているように見えるから不思議だ。
相変わらず前を見ていない草原ゾンビは、振り下ろす棍棒の落下地点に、自ら入り込んできて自爆する。
砂煙が収まった後、棍棒をどけると、元のウンチに戻ってしまっていた。とても呆気ない。
おや?
グチャグチャのウンチの中に、輝いているものが見える。これは何だろうか?
少し抵抗があって、なかなか拾えない俺。
なのに、タクヤ0721は、サンドイッチでも掴むように華麗に拾い上げる。そのまま食べてしまいそうな勢いだ。
瞬間、所持金が百ゴールド増えた。
《これが報酬か。タクヤも増えてるよな?》
《増えてる増えてる。やったね!》
よし、次だ! と言いかけて、ふと考える。
《俺達、身を守る装備をまったく着けてないな……》
それもそのはずで、俺達のキャラは、白い肌着と、短パンという出で立ちである。
たまにいる、冬だけど半袖短パンで過ごす小学生に見えない事もない。
殴られたら一撃で殺られてしまいそうだ。
《なあタクヤ、また武器屋に寄ろうか? 救世主が居るかもしれないし》
武器屋に再び寄ってみたものの、救世主はいなかった。最悪、金曜日までに会えればいいと考えていたので、落ち込むこともない。それよりも、もう一つの用事だ。有り金で何が買えるだろうか。
じっくり吟味を始める。
装備制限もクリア出来ている防具が、少ないながらに幾つかあって悩むところだ。
……これだな。特にこれがいい。
【成功者のローブ】
《俺はローブ買うわ》
《え? いいなぁ。僕、お金足りなくて何も買えないんだけど?》
《タクヤは移動が遅いから、足が速くなるブーツとかいいんじゃない?》
タクヤ0721の破壊力は証明済みだ。だけども異常に移動が遅い。まずは、そこを何とかするのがいいだろう。
《オッケー。え~と、移動速度、移動速度っと》
タクヤがブーツを物色している間に、さっそく買ったばかりのローブを装備してみる。
素敵なコウタの見た目が変わるが、違和感が満載であった。
どっちかって言うと、これは白のガウン。
成金がワイン片手にビルから夜景を楽しむ時に着ているやつ。
《た、たしかに成功者だが……》
ゾンビーゾンビーは、中世の世界観なのに、ちょくちょく現代用品が混じって困惑する。木の棒に成金ガウンって……。
例えようがない。
どんなシチュエーションだよ!
買い物に失敗して落ち込んでいると、タクヤ0721の足元に赤いものが見えた。注意深く観察すると、なんと彼はハイヒールを履いている。
《タクヤ。お前もなのか? ブーツを買えと言ったんだ。ハイヒールを買ってどうする》
《あああ……。間違った。もう一つ上だった》
間違ったって……。
武器屋のリストを見てみると、女王のハイヒールという項目がある。お値段は二千ゴールド。
なるほど。全財産で訳の分からんハイヒールを買ってしまったのか。
先が思いやられる。
見るからに靴擦れしそうなハイヒールで草原を闊歩しなきゃいけない。
これ絶対さっきより歩くの遅くなってるわ……。
俺は地面を見詰めている。
目線の先には、ゾンビが化けていそうな茶色い物体がある。タクヤは街の入り口ギリギリの所で待機してもらっていた。
案の定、女王のハイヒールのせいで移動が滅茶苦茶遅くなっている。でも、彼はそれを脱がない。なんで脱がないのかは面倒くさいので聞かない事にした。
そんな事情なので、草原ゾンビが出てきたら、タクヤの所まで誘導する。もし囲まれそうになったら、街の中に逃げ込むつもりだ。
《お! 出てきたぞ出てきたぞ!》
茶色い物体が、みるみる大きくなって草原ゾンビが現れた。
木の棒で、からかうようにゾンビの頭をこづく。
草原ゾンビさんはお怒りになった。
よしよし。さあ、ついてこい!
白いガウンをはためかせて、成金が草原を走った。
《タクヤ準備しとけよ》
《了解!》
棍棒をゆっくりと持ち上げるタクヤまで、全速力で突き進む。
あああ……! だけど遅い。草原ゾンビさんが、全然ついてこない。もうちょっと! こう! 肘をこう! 何してんの! はやくしなさい!
《コウタ囲まれるよ!》
視界のあちこちで、茶色い物体が蠢くのを確認できた。
俺の叱咤激励中に、水をさすとは。
まとめて、地獄に送り返してくれるわ。
最終的に、四匹のゾンビを引き連れて、タクヤ0721の側を駆け抜ける。タクヤの雄叫びが、五月蝿いぐらいに聞こえてきた。
ちょうどうまく、ゾンビが折り重なった所に、勢いにのった一撃がお見舞いされる。
見ていて気持ちの良い、会心の一撃というやつだ。
ゾンビ達はたまらず、もとのウンチに戻っていった。
クエストクリア! という表示が出て俺達は安堵する。まずは第一段階突破といったところか。
時計をみると、夜の九時だった。
まだまだ時間はたっぷりとある。
タクヤは楽しんでいるようだ。
救世主を探す事が第一目標だが、今は全てを忘れて俺と遊ぼう。
でも、明日の朝になれば、出社しなくてはいけない。そうしたら、嫌でも思い出すのだ。
静ちゃんの事を。
吸血鬼のことを。
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