第6話


「そのゼラがお前だって?」


 屋根の上で褐色の肌の少女に問いかける。下半身が黒い大蜘蛛の少女、アルケニーに。

 街の中、屋根の上で見たことも無いような魔獣が現れ、俺とアルケニーが屋根の上に立つ建物は、騎士と魔術師が包囲を始めている。

 改めて目の前のアルケニーを見る。

 子供の頃に拾った子タラテクトの面影は何処にも無い。強いて言うなら共通点は、蜘蛛の魔獣であること、右の一番前の足が一本欠けていること。


「ゼラ、なのか?」

「ウン! ウン!」


 上半身だけは綺麗な少女は嬉しそうに頷いている。首を動かすと長い黒髪がサラリと流れる。


「いや、嘘だろう?」

「嘘、ちがーう!」


 アルケニーは左手をブンブン振って否定する。右手は俺の結婚式用の上衣を胸に抱えたままだ。

 ちょっと待て、タラテクトはタラテクトで、アルケニーはアルケニー。蜘蛛型だが、全く別の種類の魔獣だ。あの小さなタラテクトがどうやってこの大きなアルケニーになるっていうんだ?


「ゼラ、がんばったもん!」

「がんばったらタラテクトがアルケニーになるって言うのか? 有り得ないだろ?」

「あるの! ゼラはゼラなの!」

「俺とゼラのことを知ってるのは、他にはいないはず。それでもお前があの、子タラテクトだったというのが信じられん」

「うー! ゼラは、ゼラは、カダール、言うこと守った。人、襲わない。家畜、襲わない」

「それを憶えている、ということは……」

「森、魔物、やっつけて食べた。進化した」

「なんだって? 進化?」

「タラテクト、次、ブラックウィドウ。ゼラ、カダール、守る。ゴブリン、やっつけた」

「俺をゴブリンから守ったあのブラックウィドウも、お前だって言うのか?」

「ゴブリン、やっつけて食べた。進化した。次、ジャイアントウィドウ。ゼラ、カダール、守る。スワンプドラゴン、やっつけた」

「お、おい、あのジャイアントウィドウもお前なのか?」

「ウン! スワンプドラゴン、やっつけて食べた。次、ギガントディザスターウィドウ」

「ギガントディザスターウィドウ? 聞いたことも無いが、名前だけで恐ろしい感じがする。ちょっと待て、お前は俺をずっと守ってくれていたっていうのか?」


 黒髪の少女は誇らしげに胸を張る。


「ウン! カダール、ゼラ、助けたくれた。ゼラ、カダールのもの」

「それじゃ、騎士の訓練で地下迷宮に潜って、スケルトンに囲まれたあのときも?」

「追いかけた、体当たり、どん」

「山賊のアジトに攻めたとき、予想以上の人数で苦戦したが、妙に山賊の動きが鈍かったあのときも?」

「隠れた、糸、飛ばした、シュピッ」

「逃げた悪徳商人を追いかけていたら、そいつらが街道で身動きできずにピクピクしてたのは?」

「鍋に、麻痺毒、ポタリした」


 なんてことだ。俺は知らないところで随分と助けられていたらしい。妙に蜘蛛に縁があるとは思っていたが、姿形は変わっても、あの蜘蛛は全部同じ蜘蛛で、目の前のこいつ、ゼラだったということなのか。


「姿が別種の魔獣に変化する? 進化だと?」

「ウン! 進化!」


 背筋が恐怖で泡立つ。進化する魔獣。それは伝説に残る魔獣統べる王。進化する条件は不明だが、より強い別種の魔獣へと姿形を変え、やがては人の手に負えない強大なものへと至るという。

 何処まで強くなるのか解らない魔獣。それがこの目の前のアルケニーだというのか? あの小さなゼラが、進化する魔獣だったのか?

 目の前の褐色の肌の少女が俺の上衣を抱き締めたまま、


「アルケニー、なれた。言葉、話せる。カダールに、お礼、言う。助けたくれた。ありがとう!」

「い、いや、俺の方こそ、何度も助けてもらったようで」

「こらからも、ゼラ、カダール、守る」

「そ、それは、有り難いが、それで結婚式を邪魔されるのは、困る」

「うー? カダール、あの女、ツガイなる? なんで?」

「なんでと言われても。今、ウィラーイン領には金が必要で、そのためにはこの婚姻が」

「カネ? それがあれば、あの女、いらない?」

「金の問題だけでは無くてだ。いや、もともとはウィラーイン領地の鉱山に住み着いた灰龍のせいなんだが」

「それ、だいじょぶ!」

「何がどう大丈夫なんだ?」


「ゼラ、がんばった! がんばって、灰龍、やっつけた!」

「……は?」

「カダール、ナワバリ、守る。ゼラ、守る」

「……ウィラーイン領は父上が治めるところで、俺のナワバリという訳じゃ、それよりも、灰龍をやっつけた、だって?」

「ウン!」


 灰龍、翼持ち空を飛び、口から炎の吐息を吐く。ドラゴンにはいくつか種類があるが、灰龍はその中でも強大にして凶悪。

 王国の精鋭が集っても討伐できるかどうか。そのため付近の住民を避難させて、灰龍の棲み付いた山を隔離してしまおうとしている。

 存在そのものが災害と同等の生きる天災。その姿を目にしただけで死を覚悟しろ、とも言われるドラゴン。


「……それを、お前が、やっつけたっていうのか?」

「ウン! 灰龍、やっつけて食べた。したら、進化、ギガントディザスターウィドウ、次、アルケニー、なった」

「は、灰龍を殺して食ったら、アルケニーになったって?」

「ウン!」


 黒髪の少女は可愛らしく頷いている。上半身だけは褐色黒髪の美しい少女。下半身は大きな黒い七本足の蜘蛛。

 このアルケニーは、あの灰龍よりも強いらしい。いや待て、聞いたことも無いがそのギガントディザスターウィドウが、灰龍を殺して食べて、アルケニーになったというのならば。

 ギガントディザスターウィドウは灰龍を殺せる程に強く、そこから更にひとつ上に進化したのが、このアルケニー。

 ということは。


 アルケニー > ギガントディザスターウィドウ

 ギガントディザスターウィドウ > 灰龍

 灰龍 >(越えられない壁)> 人間


 つまり、このアルケニーは人間を遥かに凌駕し、灰龍すらも食い殺す、ただの魔獣を超越した怪物、ということに。底が知れない。

 災害と同等とされる灰龍以上の脅威が、今、街の中に、この屋根の上にいる。目の前にある。これまで感じたことの無い種類の恐怖に身が震える。

 

「カダール! 無事か?!」


 下から声が聞こえる。


「エクアドか? 俺は無事だ!」


 屋根の上から見下ろせば、屋根の下の地面に布団がいくつも重ねられている。その周りは騎士に魔術師にハンターが既に囲んでいる。

 魔術師は呪文を詠唱し、騎士にハンターは弓にクロスボウを構えて何時でも射てる体勢だ。

 槍を持つエクアドが下から叫ぶ。


「カダール! 飛び降りろ!」


 ここは二階建ての煉瓦屋根の上、俺があの布団の山に飛び下りれば下からこのアルケニーに攻撃を開始する、というところか。

 だが、下にいる連中には解らないのだろう。このアルケニーが灰龍を越える魔獣だということが。見た目は不気味な蜘蛛の魔獣、しかし、大きさは灰龍ほどでは無い。サイズだけ見れば討伐可能にも見える。


「カダール! お前がいると矢が射てん! そこから飛べ!」


 灰龍が暴れるとなればこの街は壊滅する。では、それ以上の怪物に手を出して怒らせることになれば?

 ここでこのアルケニーと戦闘になる訳にはいかない。屋根の上から下にいる全員に聞こえるように大声で叫ぶ。


「弓を下ろせ! 魔術の詠唱を止めろ! このアルケニーは、この魔獣は人を襲わない!」


 俺の言うことに下から見上げる全員が、は? と口を開けてポカンとする。振り返ってアルケニー、ゼラに近づいて、


「アルケニー、いや、ゼラ、これまで俺の言ったことを守った、と言っていたな?」

「ウン!」

「人は襲わない、家畜を襲わない、と、それは本当か?」

「あ、ウン……、」

「待て、なんでいきなり目を逸らす? 人を襲ったことがあるのか? 殺したのか?」

「……襲われた、やり返した、三回。でもでも、殺す、無い、食べる、無い」

「それは、ハンターに襲われて、身を守るためにやり返したってことか? それでも殺して無いし、食べて無いってことか?」

「ウン、やり返して、すぐ、逃げた。殺す、無い」

「それなら、防衛の為、仕方無し、だ」

 

 下からエクアドの、父上の声が聞こえる。喚いているが、今はこのゼラ、アルケニーと人間の戦闘は何としても回避しないとならない。焦る頭で考える。

 ゼラは人は襲わないと言い、今のところは大人しくしている。だが、本気で怒らせることになればこの街が壊滅するかもしれない。あの灰龍すらやっつけて食べたと言うのだ。下手をすればウィラーイン領が滅びることにもなりかねない。


 ゼラがここから逃げたとしたらどうなる? いや、ゼラは常に俺の窮地には飛び込んで来ていた。つまりは俺に何かあれば駆けつけることができるほど、近くにいるということ。俺の近くには、いつも灰龍以上の脅威が彷徨いていることになる。

 今、ゼラが逃げてこの場の戦闘は回避できても、ここで逃げたゼラを脅威と感じる者は少なくなる。後でゼラに手を出して怒らせる、ということに繋がりかねない。

 どうする? どうしよう?


「カダール! 何をしている?! そいつはアルケニーとか言ったか?! 人を襲わないってどういうことだ?! カダール!!」


 エクアド、待ってくれ、今、考えているんだ。とにかく、このゼラ、アルケニーの脅威を説明しないと。そのためには、


「ゼラ、頼む、街の人には手を出さないでくれるか?」

「ウン」

「よし、じゃあまた俺を持ち上げてくれ。ゼラが俺を持っていれば、下の皆も攻撃してこないだろう」

「ウン」


 またゼラにヒョイと抱えられる。今度は後ろから俺の脇の下に手を通して。細い腕にどれだけの力が秘められているのか、人形のように背中から抱かれて足がブランと下がる。

 そんな間抜けな体勢のまま、声を張り上げる。


「父上! 俺の話を聞いて下さい!」

 

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