第17話 ラスボスの屋敷

 差し回しの駕籠から、よろよろと降り立った軍平を見て、迎えに出た家老の用人が、

「おお、おお、これはこれは宇藤木どの」

 大げさに手を差し伸べて来た。彼が断ると、若党に付き添いを命じた。

「間もなく、三浦殿も参られることでしょう」と、さりげなく佩刀を取り上げたが、そのすました顔がおかしかった。

 ―― 主ほど嘘は上手じゃない。顔に出てますよ。


 そう考えている軍平の顔は、晒しでぐるぐる巻きになっていてよく見えない。それどころか、手足の外に出ている部分はすっかり覆われている。むろん笹子との対決で負った傷はすでに治ってるが、怪我のせいで身動きが不自由であると、これまで出仕を拒んでいた言い訳に合わせただけだ。

 

 屋敷全体にものものしい雰囲気が漂っているのを感じて軍平は微笑した。ここに来るのに先立ち、朝から傀儡どもが鷺に乗って桑田宅と陣屋の両方を偵察してくれていた。その報告によると、弓や昔ながらの鉄砲の埃をはらっているだけでなく、驚いたことに陣屋には洋式鉄砲組まで待機しているという。顔ぶれは頼りない若侍ばかりでも、虎の子のエンフィールド銃を自慢げに抱えているそうだった。

 彼らは前回の上意討ちのために組織された臨時の鉄砲組であり、軍平ら三人が笹子を討てればよし、駄目ならばあらためて争乱の咎でもかぶせ、彼らに討取らせるつもりだったようだ。やけに刀槍にこだわると思ったら、結局は自分たちの優位性を保ちたいがためだったのだ。

 そしてこの連中は、今日の褒賞式?が揉めて家老の家臣たちの手に負えなくなった場合、援軍として家老の下屋敷までやってくるはずだった。


 この手際の良さと妙な回りくどさは、桑田家老ひとりの考えとも思えない。傀儡たちによると、蔵から武器を取り出している若侍たちの会話には「御家老」より、「お奉行」との単語が頻発していたとの報告があった。蔵してある武器の管理責任は兵具奉行にある。

(村本、だったな、たしか) 軍平は、村本惣兵衛という兵具奉行の顔を思い起こそうとしてうまくいかなかった。印象は薄い。

 

 家老の私邸は、外は地味なつくりだった。しかし内側に入ると、うっそうとした木が生い茂ってなかなかの風情である。これは金がかかっている。出所はどこだろう。

 そう考えていると用人が、

「宇藤木様、これへ」と薄暗い客間の一つに入らせた。

「のちほど、主人が参ります。しばしお待ちください」

 茶菓が出た。高価そうな椀に比べ、菓子は大人の拳ほどもある餅菓子で、これは相撲取りでも招いたのならともかく、上客にはとても出さないだろうと思わせる品だった。それに、部屋は寒くて火鉢ひとつない。

「ささ、ご遠慮なさらず」 

 用人は眼も合わせずに菓子を勧めた。差し出した手が震えていた。あまりの不自然さに可笑しくなった。

 軍平は口中を痛めて食べづらいと、わざと口ごもりながら言った。

「それは、お気の毒な。ただ、その菓子には滋養がございますのでな、傷を早く直す助けになるやもしれませぬ」

 などと、しつこい。

「まことに情けないことながら、傷のせいか腹もまだ落ち着きませぬ」晒を身体中にまきつけた軍平がいうと、説得力があった。

「判り申した」不承不承、用人は出て行った。


 待ちかねたように傀儡たちの声がした。

「よしっ、ちょっくら一回りしてくるぞ」「わしも、わしも」

 どこからともなく湧き出て来る。大勢が小さな頭をそらして、軍平を見上げた。

「おやかたは、見回りにいかんのか」

「ここは敵地だ。うろうろしたら、怪しまれる」

「それなら探ってきてやろう」

「お前たちに働いてもらっても、購うものがないよ」

「これ食っていいか」いくつもの頭が菓子を見ていた。

「ああ。けど何が入っているかわからんぞ」

「そいつは愉快だ」


 傀儡たちが菓子にとりつき、瞬く間に食べ散らかした。

「附子が混ぜてあった。ここらでは手に入りにくかろうに」

「おやかたは、よほど大事な客だな」

「まあな」 

 それにしても、家老宅に入った途端、毒殺をはかるとは一体どういう魂胆か。全てぶち壊すつもりなのだろうか。軍平は、少なからず驚いた。あの家老に、もう余裕なんてないのかもしれない。向こうがそのつもりなら、軍平も態度を改めねばならない。悪口を好きなだけ言って行方しれずになるという初期案の達成は、難しそうだ。おそらく、全部喋り終わる前に殺そうとするだろう。

 考え込む軍平に、張り切っている傀儡たちが声をかけた。

「じゃあな」「茶は戻ったら飲むから,置いておいてくれ」

「それはいい。歩くと咽がかわくだろう」

 お互いに言い合って、あっという間にいなくなった。

 

 チビどもの食い散らかした菓子のかけらを、手に触れないよう懐紙で掃除していると、人の気配がした。

 軍平が咳をひとつすると、

「お、恐れ入りまする」さっきの用人だった。

「主は、少し遅れるとのことで」そういいながら入って来た用人は、菓子がすっかりないのに気がつき、ぎょっとした顔をした。

「お口にあいましたか」

「はい。あまり美味しそうなので、つい。結構な味でした」

「それは、ようございましたな」

 彼は横目で気味悪げに見ながら、部屋を出て行った。しばらくすれば、きっと死んでいるかを確かめに来るに違いない。半眼にして姿勢を正し、屋敷全体の気配を探る。中にかなりの人数がいるらしい。ただ、まだ試行錯誤の最中である彼の妖術では、細かい様子の確認はできなかった。


 ちょっと自分の目で探りにいこうかな、と考え始めたところ、「ひゃあ、おやかた」傀儡の一人が戻って来た。

「おやかたのあばらやとは大違いの凝った屋敷だな、ここは。二度ばかり来たけどまだ迷う。他の奴らは、馬鹿だからまだ迷ってる」

「猫とかに食われるなよ」

「そうだおやかた、三浦がいたぞ。顔に大きな傷のある奴だ。それを言いに戻った」

「えっ、そうか。どこにいた。何をしていた」興奮して聞くと、

「むこーうの別の客間だ。死んどった」


「……そうか」急に三浦に対する気の毒な感情が押し寄せてきた。「せっかく生き残ったのに。ひとこと教えてやればよかったな。うかつだった」

「菓子をつかんで白目を剥いとった。ここの衆は、運びたいけどおやかたに気づかれるのを恐れてるし、皆気味悪がって、触りたがらない」

「よく知らせてくれた。お前はなかなかの忍びだ」

「おだてるな」傀儡は照れてもじもじした。

「菓子、もらってやろうか。附子入りだけど」

「うふふ、おやかたはいいひとだ。でも、三浦の食い残しをもらってきたぞ」

「それは重畳。あ、そうだ。他の部屋はどうだ。伏兵はいるか」

「二人、隣で隠れてる」傀儡はしいーっとでもいうように自分の口に小さな指をあてた。「心の蔵が破れそうなほど鳴ってるな」

 なんだ。もう暗殺班が張り付いているのか。


 別の傀儡がふたり、戻ってきた。

「どうだった」と聞くと嬉しそうに、「狸がおったぞ」と報告した。

「ほう、そりゃ大当たりだ。なにか言ってたか」

「怒ってた。はやく二の矢を放てって言って。あの女になんとか勧めさせろって言ってた。そしたら別の太ったのが、それはなかなかにむつかしゅうござると言ったら、また怒った。狸って仕方ないやつだ。すぐ怒るから、嫌われてる」

「そうか。焦ってるんだろうなあ」

 部下に反論されるとは、彼の失墜が知れ渡り、人心が離れつつあるのかもしれない。


「おーい」別の傀儡たちが三人ばかり駆け戻ってきた。「お前たちの出てったあとにまた狸の気が変わったぞ」

「それはせわしないな」軍平が言うと、

「おやかたが。毒食っても死ななかったってびびってた」

「そりゃわしらが食ったせいだ」

「うん。でも人にわしらは見えないからな。それで狸が、兵部に教わった毒消しかなにかを飲んでおるのだろうって言ってから、ゆうちょうなことはしておれん、企みは気づかれている、そっこく討てって。上等な着物の男が四人、みなうなずいておった」

「そんな便利な薬、あったら御産品所は大躍進だ」軍平はつぶやいた。

「わし、狸の言葉、おぼえてきた」傀儡のひとりが胸をそらし、演説するように様子を再現した。どうやら笹子一派とも話し合い、死んだ親分と軍平とを悪の首魁に仕立てることに決めたらしい。家老は軍平についても、

「笹子との仲の悪さは見せかけ。二人は組んで皆をたばかっていた。そして、お家簒奪を企んでおったが仲間割れを起こした。上意討ちも我らの悪事の噂もすべてきゃつが嘘を広めた結果である。兵部の孫ならそのぐらい考えつくであろ」としゃあしゃあと言ってのけたあと、「皆が力を合わせてここで宇藤木を打ち取り、首を殿に差し出そうぞ」と言ってトキの声をあげかけて、こっちまで聞こえそうなのでやめたそうだった。

「よく覚えて帰ってきたなあ」軍平がほめると、「へへへ」と傀儡が照れた。

「しかし、新しい展開だ」軍平は天井をあおいだ。「おれと笹子を一緒くたにして大悪人にしたてあげるつもりか」

「それで、つるつるの親父に、おまえ連判状をつくれって。おやかたとささごの」

「へえ、そこまで手を汚させるつもりか。ひどいな」

「どうする」

「あまり手荒いことはしたくなかったがなあ」

「でも、三浦は殺されちまったよ」

「ほんとだな。やつら、無事に帰すつもりは、まったくなさそうだな」


 すると一斉に傀儡たちが黙った。そろって襖の向こうを指差した。

「殺し屋たち、そろそろ動き出しそうか」軍平が声を出さずに聞くと、小さな頭が一斉に上下した。

「せわしないなあ」軍平は言った。「もっと余裕がなければ、企みは成功しないぞ」

 飛び跳ねて襖を開けると、襷をかけ槍を持った男が二人いた。彼を見るや、悲鳴のような声を上げて、槍を突き出してきた。

「悲鳴とはなんだ、襲ったのはそっちだ」軍平は転がって穂先を避け、隣の部屋に飛び込んだ。

 あらかじめ心を集中しておくと、迫ってくる相手の動きがゆっくり見える。片膝をついて一人から槍を奪い、あごを打つと失神した。じゃまになった変装用の晒を取り払い、狼狽えて槍を振りまわすばかりのもう一人を尻目に、加速をつけてさらに奥の部屋に飛び込んだ。

 前より狭く、しぶい土壁の部屋だった。女が火鉢を前に座っていた。

 津留は相変わらずむっつり口元を引き結んでいた。


 飛び込んで来たのが軍平と気づくと、大きな眼をさらに大きく見開いた。

「なにを、しておられる」思わず尋ねると、

「はい。お待ちしておりました」と棒読みの返事をよこした。

「だれを、待つと」 

「あなた様を供応せよとのことで」

 その割に、今日の津留は地味な衣装をしていた。亡母の形見かもしれない。

 大声が二人の会話を妨げた。

「津留、そこをのけ。これは奸賊ぞ」眉毛の濃い男が乱入し、軍平に向かって槍を振り上げ鴨居に当てて、取り落とした。

「そのほうの討ち取りが決まった、神妙にせよ」彼は軍平に声をかけたつもりらしかったが、じたばたしたあげく落とした槍を諦め、手挟んでいた脇差をぬこうとした。だがすぐに、

「ぎゃあっ」と、悲鳴をあげた。

 津留が黙ったまま火鉢にかけてあった茶釜を男に投げつけたのだった。


 派手に湯気が上がり、男は顔を手で押さえ、転がるように部屋から消えた。

「あなたがやけどをしますぞ」と、津留の腕力にびっくりした軍平がいうと、「これが正しいと思ったのです」今度の津留は憤然として言った。

「おおい、まってくれ、おやかた。足はやいな」

「ほんにかわったつくりの家じゃ。建て増しすぎて、収拾がつかんのかもな」

 傀儡どもが追いかけてきて、部屋に押し入ろうとした敵に襲いかかった。

「あっちにも三人ばかり戦支度をしておった。でも、どれもへっぴり腰で震えておる。おやかたが雷でも落としてやったら、面白いぞ」

「ここで雷なんか落としたら、こちらの方が迷惑するじゃないか」

 軍平が傀儡たちとやりとりしていると、

「吉之助さま」津留の声がした。最後にそう呼ばれたのは、いつの頃だったか。

「いえ、今は軍平さまですね」

「はい、そうです」振り向いた軍平に津留は、

「この小さな法師どもは、軍平様のお仲間ですか」

「まあ、そういうことになりますか」


「おりょっ」ふたりの会話を漏れ聞いた傀儡たちがそろって驚きの声を挙げた。

「わしらが見えるのか」ざわざわしはじめる。「ええっ、そりゃたいへんじゃ」

「びっくりじゃ」

 傀儡たちにとっては、衝撃の事態らしかった。

 一体の傀儡が津留に近づき、不思議なものを見るように彼女を見上げた。

「おひとつどうぞ」津留が手元にあった干菓子を渡すと、傀儡はその菓子を両手で頭上に差し上げて仲間のところに戻り、

「いただいてしもうたわ」と、言った。

「わしらの好きなもの、わかっておる」また、ざわめきが起こった。

 傀儡たちは討手をその場に放置すると、小さな頭を寄せ合って忙しくやりとりをはじめた。

 仕方なく、軍平は奪ったやりの柄で残った男たち突いたり殴ったりして気絶させた。あまり武芸はできない連中のようで、助かった。そのうち、

「だって、あの佳人はつるつるじゃろ。わし、知ってる」と声がした。

「あっ、そうか。あれがつるつるじゃったか」

「え、こんなにきれいなおひいさまだったか」

 傀儡たちがぞろぞろと列をなして津留の顔が見えるところへと移動し、じっと彼女を見つめた。

 一度に大勢の視線にさらされた津留は、目をしばたたかせた。ここで笑みを浮かべるべきか、考えているようだった。


 まだしばらく言い合っていた傀儡たちだったが、

「いやあ、ほんにいいひとじゃ」そのうちの一体が言うと、

「まさしくべっぴん」「ほんにほんに、いいひとじゃ」

 そのうち「つるつるはいいひとじゃ」の合唱がおこった。

 衆議は一決したらしい。

 そこに、戸を蹴破って新手が二人増えた。今度は刀を握っている。

「おやかた、おやかた、こいつら好きにして構わんか」

「ああ。でも、そのおひいさまはだめだぞ」

「そりゃ当たり前だ。こちらはいいひとのつるつるだ」

「いいひとだ。それにきれいだ」と喋り続ける。

 よほど津留に感銘を受けたらしく、傀儡たちの多くは彼女ばかりを眺めている。仕方ないので軍平が一人を蹴り飛ばし、もう一人にぶつけた。討手は狭い部屋で刀を振る技術は持っていないようだ。

「知っておるか」傀儡の一体が、仲間にこっそり打ち明けるように言った。「おやかたがつるつるのことばかり思うておるのを」

「おお。ずうっと前からなのも知ってるぞ。むりもない。こんなにきれいだからな」

「うん。心の臓がどきどき鳴るからすぐわかる」

「いまだって、ひどい」

 ぷぷぷ、と傀儡たちは笑った。

「やめてくれ……」軍平が懇願するのを、津留はそ知らぬ顔で聞いていた。

 また二人ほど討手が加わったが、仲間がすべてやられているのを知り、キョドキョドしている。

「よし、おやかたとつるつるのために、ひと肌ぬぐとしよう」

「おお。やろうぞ」

 口々にいって、ようやく傀儡たちはわらわらと新手に襲いかかった。

 そっちは連中に任せ、津留に迷惑のかからぬよう軍平は庭に飛び下りた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る