第16話 復活

 意識が薄れ、また戻った。

 気がついた軍平は、溟い海を漂っていると感じていた。

 なんだろう、これは。どこだろう、ここは。

 彼の周りには夜空のように小さな光が散らばっているのだが、今の軍平にはそれが何なのかわからない。手足の感覚がぼんやりとして、思うように動くこともできなかった。

 –––– それとも、ここがあの世というところか。

 

 考えていると、頭の中で力強い声が響いた。

 聞き慣れない響きの言葉だが「よくきた」と言われたのは理解できた。歓迎してもらっているらしい。

 しかし、調子から感情はうかがえないし、男か女かもよく判らない。

「いったい、ここはどこでしょうか」軍平は懸命に聞いた。

「ここは星々のあわいであり、次元のはざま、そしてお前の心のうちでもある。お前はその身と引き換えに不思議に繋がる道と通じた。これは遠くバビロニアよりきたる術、大いなる力を動かし得る技だ。いまはお前の胸の内にある。喜べ」

「しかし、私は死んでしまったのではありませぬか」

「違う。お前は命を与え命を得た。お前は小さき人のまま不思議の支流となった。これによって自らを救え」


 まるで水の染み込んでゆくように頭の中に祖父の伝書の内容が広がり、それぞれの場所へと定着していった。また声が響いた。「望みを叶えるために何をすべきかは、自ずとわかるであろう」

 これまで、さっぱり理解できず、彼を拒否しているとすら感じた伝書中のさまざまな言葉、図、そして概念がなじみ深いものになっていった。書かれていた文字が起き上がり、自分から何を言っているかを具体的に伝えてくれるようだった。すでに彼の中にあった術が、ようやく彼自身と分かち難く結びついたのだった。そして、単なる知識ではなく、彼の気持ちや身体と連動した大きな奔流として軍平を包み、「どこか」とつなげた。

 しかし、肝心の軍平の体が動く気配はないし、現在ただよっているこの場所だって、どこなのかよく分からない。

 –––– せっかく術と折り合いをつけられても、死んでしまったら、仕方ないじゃないか。

 そう思った軍平の周囲を、いつのまにか白いもやがとりまいていた。どこかからさっきとは違う声がする。彼を呼んでいるように思えた。

 誰だろう。あの世からの声だとすると、祖父か父か。いや、女性の声に聞こえるし、祖母だろうか。

 –––– 母上。もしや母上ではありませぬか。

 思いついて軍平は母を呼んでみた。返事はなかった。違うのかもしれない。

 

 急にもやが晴れた。閉ざされていた軍平の視界が急に開けた。

 四周すべての様子が頭の中に映し出されている。まるで、鳥の目を得たようだ。軍平たちの潜んでいた廃屋はすっかり焼けて煙を上げていた。

 薄暗い空からの光を受けて、林の中がよく見えた。ところどころに何か黒いものがあるのは、倒れている小磯たちなのだろう。そして軍平は、自分と笹子が草むらに向かい合っている姿を見ていた。

 彼の身体はいまや地面に横たわって、笹子に見下ろされている。笹子は離れたところから軍平の様子をじっと見ていたが、決心したように抜身の刀を持ったまま近づいてきた。止めを刺そうとしているのかもしれない。軍平はどこか他人事のようにそれを見ていた。

 

「まだ死んではなりませぬ」

 突然、頭を叩かれたように声を感じた。

「生きなさい」

 

 軍平は肉体を感じ、重力を感じた。指が動く。閉じていた目を開いて、ゆっくりと腕から動きはじめた。

 地面に両膝をついた姿勢となり、そしてよろよろと立ちあがった軍平を見て、笹子は目を大きく見開いた。死人が起き上がったのだから、無理はない。

 軍平は片手を差し出した。指の間にあの根付がぶら下がっている。

 絶叫して袈裟切りを仕掛けてくる。軍平が手でその刀を掴んだ。刀は赤く溶けたかと思うと土塊となり風に散らされていった。

 とっさに脇差を抜いた笹子に、あっちに行けとでもいうように軍平は手を振った。爆発したような勢いで風、雨、雹が笹子に打ち当たり、吹き飛ばされて動かなくなった。軍平はしばらく黙って立っていたが、

「戌亥衆は、どこにいるのかな」とあたりを見回した。


 

 使いがカネの家に来るのは。覚えている限りで五度目だった。

 傷を理由に復命も祝宴も拒否し通した軍平に、やってくる顔ぶれは毎回違った。

 ただし、全員が桑田家老の息のかかった人物であるのは共通していた。

 最初の高圧的な態度からだんだん泣き落としになったのはなかなか面白かった。先ほどやってきた家老の用人は、江戸の殿様から報償が出ており断ることは許されぬことと、軍平のごとき身分ではありえぬ正式の茶席を設けること、そこには津留も姿を見せることを伝えた。それもかなりの低姿勢だった。

「膝は崩しても構いませぬ。いわば無礼講で」

 ついに断るのが面倒になって、軍平は受けた。

 家老の私邸に呼ぶというだけで、意図は明白だった。それに、殿様の褒賞というのが嘘であるのは、石田からの便りで分かっている。殿様は軍平に、傷が治れば江戸に来るよう勧めておられ、その時に直々に渡したいものがいくつかあるとおっしゃっていたという。

 桑田家老を通して渡す気など、まったくない様子だった。

 ―― 走狗煮られるとはいうものの、あまりに粗雑ではありますまいか。

 と、言いたかった。 

 もっと大きな藩の有能な悪人連中ならば、同じ口封じをするのでも、はるかに垢抜けているのじゃなかろうかと思う。


 上意討ち騒動から、ふた月が経過していた。

 その間、小さな国にはこれまでにないほどの大風が吹き荒れていた。

 笹子との果たし合いの結果(やはり江戸の殿様から上意討ちの了承は得ていなかったらしい)、かろうじて彼を討ち果たした軍平たちにはお褒めの言葉が下り、死んだ小磯の家は子息が無事跡をついだ。このあたりは家老たちの配慮というより、事情を知った石田の奔走のおかげだった。

 ただし正式な上意討ちと認めらなかったために、軍平たちの家禄は据え置かれたままだった。さらに義母にとって残念なことに、例の家柄はいいが顔と性格のまずい男と須恵との縁談は消えた。予想を超えた結末と、近く江戸からの調査が来ると知った目付の熊沢が突然の記憶喪失になったためだ。

 唯一良かったのは、石田が例の旅の商人との縁談を正式に持ち込んできてくれたことだ。当の須恵の意識は完全にそっちに行った。

 相手が江戸でも指折りの豪商なのは間違いなかった。こちらの窮状も先刻承知の上らしく、先ぶれとしてやってきた先方の大番頭は、「なにもご心配なさらず、身ひとつでお越しくださいませ」と言って頭を下げた。ちなみに大番頭は桑田家老と似た年齢と思われたが、はるかに品と貫禄があった。


 おじい様の在世中ならさておき、今の宇藤木家を騙しても向こうに利益はないだろうし、などと考えつつ話を聞くと、どうやら相手は祖父が昔、命を助けた人物の息子のひとりらしい。例の若い商人が探しにきていたのは、祖父の兵部そのひとであったようだった。

 なんでも、商人の子息は旅から戻って以来、すっかり体調を崩し、寝たり起きたりを繰り返していた。ところが、手厚い看護の甲斐もあり、医者からはまずまず身体は戻りつつあると診断があったのに、季節が変わっても子息は毎日あらぬ方角を見つめては、ぼんやりし続けている。

 石田から伝わった軍平側の話と合わせて、ようやく納得いく理由が見つかり、商人夫妻はいたく安堵して、今回の話に飛びついたそうだった。

 そして追いかけるように、祖父の後継である軍平だけに伝えると当の商人から長い手紙がきた。書かれた話も信じがたかった。


 文によると商人と祖父との関わりはこうだ。

 かつて商人は、江戸から国に戻る途中の祖父と、ある大きな廻船に乗り合わせて親しく話をするようになった。商人の生まれは古くから異国との貿易の盛んな国であり、祖父は若き日にその地へ留学した経験があったというのがきっかけだった。また、商人には生まれたばかりの娘がいて、ついその話をしたところ、いつも怖い顔の祖父がひどく楽しそうな表情になって、熱心に聞いたそうだった。おそらく、亡くなった叔母のことを思い出していたのだろう。

 だが、廻船が外海に出たある日、すさまじい嵐に巻き込まれ、船は難破の危機に瀕した。商人は親から継いだ店を立て直したばかり、理想とする商いも実現していないし、なにより自分の家族と雇い人の家族のためにもどうしても死ねないと、海上であたりをはばからずに泣いた。

 すると、甲板で平然と雨風にうたれていた祖父が彼に尋ねた。

「死ぬのは嫌か」

「もちろんでございます」

「ならば、もし命が助かるなら、この後は世のため人のためを一義に商いにはげむと約束するか」

「な、なんでもいたします」

 そんな会話のあと、祖父は荒天に向かって腕を差し上げた。

 すると怪しいことに、目の前で吹き荒れる嵐よりもさらに勢いの激しい別の竜巻がだしぬけにあらわれ、互いにぶつかり合って消滅した。

 そして祖父は、他言無用とだけ商人に言うと姿を消した。彼の連れていたはずの供もいつの間にかおらず、他の客も彼のことを忘れてしまっていた。

 その後、聞いたはずの命の恩人の身の上がどうしても思い出せなかったが、数年前から霧が晴れるようにあの時の細かな記憶が蘇りはじめた。

 そこで諸方への顔つなぎついでに末の息子に探させたところ、すでに祖父は亡くなっていたのだという。

 私どもの息子と、かの宇藤木様の血を引く方との間に起こったことは、奇縁以外のなにものでもないと考える。若い二人の結婚について、なにとぞ御当主にお認めいただきたいと手紙にはあった。


 まあ、使える縁はなんでも使え、と軍平は思った。

 一方、状況を石田から聞いているはずの須恵は、軍平にはなにも言わない。

 尊重されない当主は詳しく教えてもらえなかったが、石田の活躍によって話は内々にだがほぼ固まり、なんと江戸の殿様までお言葉と祝いの酒までくださるらしい。

 世間が狭く、大商人のすごさがピンとこない義母は、それでも娘が武家を離れるのに複雑な表情をしていたようだが、老後の待遇は間違いなく向上すると石田から諭す手紙をもらって黙った。彼によると、商人の家は下級武士なみの質素な生活を心がけてはいても、本来は全国各地に出先を有する大商人だけに、嫁の母に対しては、好きな場所に隠居所をつくってもらえるようだ。

 なにより、気がかりだった須恵がつまらない家のくびきから逃れられるのが、軍平にはありがたかった。

 

 それで、桑田家老である。

 あれだけ権勢を誇った家老だったのに、この二ヶ月の間、彼と旧笹子一党には悪い方へ、悪い方へと目が出続けているようだった。

 最初は石田はじめ若い殿様の側近たちに取り入り、弁明を熱心に行っていたのが、風向きをはっきり自覚したのだろう、次第に家老は落ち目の笹子一党まで引き込み、なにやら協議をはじめた。

 密談では、「起死回生」「大胆不敵」などの単語が飛び交っているらしい。

 これらはすべて、傀儡たちが会合に潜入調査してきてくれた。代償は料亭や家老の家にある食料である。軍平の食べているものよりずっと上等なため、「このごろ働いているわりに太って仕方ないぞ」とのことだった。


 しつこく謀議を続ける桑田家老の態度を怪しむ気持ちは軍平にもあった。

 曲がりなりにも代々の家老職なのだから、嵐が過ぎ去るまでおとなしくするだけで済むのじゃないのかな、とも考えた。騒ぎすぎて自分の喉首をしめるとはこのことではないか。

 しかし、つい先日に妹の縁談の進行報告として石田のよこした手紙を読んでやっと合点がいった。添えられた一文によると、殿様は執政たちの総入れ替えを検討しはじめていた。当然その気配は国元にも届いているはずだ。

 といっても小国なので家老職と奉行職ら計四、五人とその関係者が更迭されるだけのはずである。大国の疑獄事件のように、百人単位の処罰があるわけではない。当人たちにとっては天地が裂けるほどに感じられているのであろうが、自業自得に思えて同情する気は起こらなかった。


 問題は、家老たちに査問の可能性が高まれば、軍平の狙われる危険も一挙に増すことだ。なにせ、彼らの直近の悪事の生き証人である。

 このごろは妖術の扱いにも少しは慣れたし、相手による待ち伏せさえ注意すればそのうち家老一派は力を失い、国政も落ち着くとこに落ち着くだろうと思っていたが、事態はそう簡単には行かないようだった。

 なによりの気がかりは津留である。と、いうより津留の父親であった。祐筆職として文書管理を役目とする彼の父は、悪いことに桑田家老に首根っこを押さえられてしまっていた。おそらく、桑田一派が日常的にやらかしていた公文書偽造に津留の父は深く関わっている。いまさら逃げ出すのは難しいようだ。

 

 監視してくれていた傀儡たちによると、料理のとてもおいしい料亭に津留の父親とおぼしき男が呼び出されて、「狸みたいなやつはにこにこしておるのに、男前は泣きそうになって」いたそうだった。

 さらに、「狸がつるつる言うたびに、せっかくの男前が青い顔になる。おいしいうどんかそばでも食い損ねたのか」と思ったそうだった。

 男前というのは美男で知られた津留の父親で間違い無いだろう。

 そして、陰謀ぐせの治らない狸家老は、具体的な言葉はなく、さまざまな例を匂わせることによって津留の父に協力の継続を強いたらしい。ほのめかしや腹芸には無縁な傀儡たちには意味がわかりかねたようだったが、おそらく軍平の暗殺計画でも立案し、津留を協力させろと説得したのだろう。

 軍平の胸がかっと熱くなった。

「あのな、おやかた」傀儡のひとりが軍平に聞いた。

「つるつるって、ほんとはおんなのひとだろ」

「ああ、よくわかったな」

「じゃあ、つめたいご飯が好きなのか」

「なんだい、それは」

「あの立派なお店の座敷でな、いい香りのお酒を飲んだらやけに男前がおしゃべりになった。家に帰りたくないってさ。それでつるつるは、おっかさんに毎日、『お前のようなのは男なら冷や飯食いという』といわれてもぜんぜん平気なんだと。男前は家にいても落ち着けん、地獄だって泣いたよ」

 黙り込んだ軍平を見て傀儡たちは、「おやかたは暖かいごはんが好きらしい」「つめたいのはわしらが食おう」とささやきあっていた。

「そしたらな」さっきの傀儡がまた言った。「たぬきが『わしがじきじき娘に物の道理をわからせてやってもいいぞ、ぐふふふふ』って。男前また青くなってた」

 これ以上家老たちを放置できないと軍平は思った。津留の身に危険が迫るなんて、自分が死ぬよりも耐えられない。

 妙案は思いつかないが、とにかく最後に首謀者どもの顔の青くなることでもして、おれが死んだことにしてもいい。

 そして津留に挨拶して、消えよう。唯一の気がかり、須恵の縁談については石田がなんとかしてくれるだろう。

 そう腹を決めた彼は、祖父の遺品などさまざまなものを整理して得た金を、カネ一家への礼状と一緒に桶に入れて家を出た。 


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