第一章 夏の川にて 3

 吾平の腕が小太郎の背中に近づいていく。

 あと少しで届く所だった。

 その時、小太郎の声が響いた。

 「吾平どうしたんだ。」

 吾平の手がぴたりと止まる。心臓が止まるような心地がした。

 小太郎がゆっくりと立ち上がり振り返った。凍った眼差しで吾平を見つめる。

 「おい、どうしたんだ。」

 「どうしたって…。お前こそどうしたんだ…。何で俺がいることが分かったんだ…。」

 吾平は言葉に一瞬詰まらせたが、逆に尋ねることでごまかした。

 「水に映ってるんだよ。後ろからお前がやって来るのが。」

 見ると川の水面に小太郎と吾平の姿が浮かんでいる。

 吾平はこれを見て唇を噛みしめた。

 「でっ、お前は何しに来たんだ。」

 小太郎が睨むようにして言う。吾平は慌てて言い訳をした。

 「俺も魚釣るの手伝おうとしてな…」

 小太郎の視線が吾平の両手に移動するのに気付いた。

 吾平は魚釣りの手伝いと言いつつ何も道具を持っていないことに気が付いた。

 小太郎は疑いの眼差しを向けてくる。

 「いや道具はお前から借りようかと思って…」

 小太郎が一人分の釣り竿と籠しか持っていないというのに苦しい言い訳が出てくる。 

 小太郎は吾平の慌てふためく姿を観察すると竿と籠を急いで手にした。

 「手伝いはいいさ。たくさん釣れたし。今日の夕餉ゆうげは困らないだろう。」

 籠一杯の魚を見せ、そそくさと川岸から駆けて行った。

 「おい、待て。」

 「俺はもう帰る。それより薪割りはどうしたんだ。そっちの方を手伝わないとな。」

 小太郎は振り返り言い返すとそのまま立ち去って行った。


 「弥次郎、今帰って来たぞ。」

 小太郎は村に着くなり弥次郎を見つけ声をかけた。

 「何だ。これっきりしか割れてないのか。」

 後から遅れて吾平がやって来た。弥次郎の後ろには、まだ割れてない薪が積んだままとなっている。

 「そうは言うけど…」

 弥次郎はおどおどしながら言う。その様子を見て小太郎が助け船を出した。

 「お前まで川に来るからだ。弥次郎が一人で、これだけの量の薪割りをすることになったんだぞ。進まなくて当然だろ。」

 「何だ。その言い方は。」

 吾平が歩み寄ると小太郎は無言で離れて行った。その様子が小太郎が吾平と距離を置きながら村に帰ってきたのだと想像させる。小太郎は吾平を無視して、斧とまだ割られていない薪を手にした。

 「弥次郎、俺も手伝う。」

 「悪いな。」

 二人は薪割りを始めた。その様子を見て吾平は二人に加わろうとした。

 「俺も…」

 吾平がそう言いかけ、斧を手にした途端。小太郎は立ち上がった。

 「そうだ。水もくまないといけないんだった。」

 小五郎は吾平に顔を向けた。

 「元々今日の薪割りはお前の仕事だったな。後は頼んだ。」

 それだけ言い残すと井戸の方へ走って行った。

「おい」

 「おーい。来たぞ。」

 吾平が後を追いかけようとした時、後ろから声がかかった。権助だ。

 「小太郎はどうした。あれから、また銭を手に入れたりしてないか?川のお姫様やお札の話を里でしたら皆に大うけしてな。炭焼き長者ってあだ名が付けられたぞ。また面白い話はないか?」

 権助は陽気に尋ねた。その途端、吾平の怒鳴り声が山に響いた。

 「ねえぞ!」



 「吾平は随分と警戒されたもんですね。」

 藤吉は呟いた。

 「そうだとも。あんな行動を見たら命の危険を感じるさ。あの時から吾平を避けるようになったのさ。」

 「吾平はそれからどうしたのですか?殺しはもうあきらめてしまったのでしょうか?」

 藤吉の問いに主人は大きく首を振る。

 「いいや。あきらめの悪い奴だったよ。ほとぼりが冷めてから、また殺しを企てたのさ。次の企ての時はもう秋になっていたな。」


 

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