第51章:来るべき終焉

[1] ドイツ軍の内実

 4月3日、ジューコフはモスクワの中央空港から第1白ロシア正面軍司令部に向かった。同時にコーネフも専用機で出発した。レースが始まった。「最高司令部」の計画では攻撃発起が4月16日、ベルリン占領は4月22日のレーニン誕生日とされていた。最初の問題は第1白ロシア正面軍に立ちはだかる天然の障害―ゼーロウ高地が、この地域全体で最も防御に適した地形だったことである。

 来るべき大攻勢の矢面に立たされるオーデル=ナイセ河沿いの戦線では、地形を最大限に活用したドイツ軍の陣地線が縦深に構築されていた。特にキュストリンからベルリンへと直進する国道1号線の要衝ゼーロウの付近には高地帯が広がっていた。台地状に起伏した地形の稜線からオーデル河に至る平原が一望の下に見渡せる射線を設定できるため、ドイツ軍はこの高地帯を中心に数本の防衛線を形成していた。

 オーデル河流域のドイツ軍部隊を統括していたのは、ヴァイクセル軍集団(ハインリキ上級大将)だった。同軍集団は第3装甲軍(マントイフェル大将)と第9軍(ブッセ大将)から構成されていた。南翼の中央軍集団に所属する第4装甲軍(グレーゼル大将)もベルリンの接近路を防衛していた。

 第3装甲軍は4個軍団(第27・第32・第46・第3SS装甲)と若干の予備兵力で構成されていた。その南翼でゼーロウ高地からオーデル河畔の森林地帯を守る第9軍は北から順に4個軍団(第101・第56装甲・第11SS装甲・第5SS山岳猟兵)が布陣していた。後方には装甲擲弾兵師団「クルマーク」や第18装甲擲弾兵師団、第502SS戦車大隊などの戦略予備が配備されていた。また、ゼーロウ高地に置かれた3個国民砲兵軍団(第404・第406・第408)が眼下に広がる平原に砲口を向けていた。

 だが、ドイツ軍の各師団の兵員数は1945年型編成の定数1万2000人に対して、それぞれ4000~6000人という状況だった。戦車台数も第9軍で512両、第3装甲軍は242両に過ぎなかった。火砲も第9軍では高射砲を含めても700門前後しかなく、弾薬も携行定数を大きく割り込んでいた。

 ナチ指導部は「80万人動員計画」の目標達成を目論んでいた。空軍総司令官ゲーリング国家元帥と海軍総司令官デーニッツ元帥はヒトラーの歓心を得ようとして空軍と海軍の基地部隊から少なくとも3万人の兵力を抽出して、陸上戦闘に投入するつもりだった。ゲーリングはオーデル河の防衛線に配備された2個空挺降下師団を「超人」として描き出した。「私の空挺降下師団を2つとも使って攻撃すべきだ。そうすれば、ロシア軍全体を悪魔のところへ送り込むことが出来る」

 だが、これらの兵員は実質的に何の訓練も受けていなかった。海軍大将を指揮官とする海兵師団が編成されたが、戦術や司令部の業務について助言できる陸軍将校は参謀本部に1人しかいなかった。三軍の兵力増強競争に遅れを取るまいとして、SSは警察大隊を増設した。武装SSの司令部要員を基幹として自動車化旅団1個が編成された。

 ヴァイクセル軍集団司令部は未訓練の人員全員に支給すべき兵器もなければ、使い物にならぬどころかもっと悪い結果になると主張した。ナチ当局も彼らに少数のパンツァー・ファウストを分配し、数名の敵を道連れにするために各自に手榴弾1個を割り当てるしか用意がなかった。同軍集団の作戦参謀アイスマン大佐はこう記した。

「まったくの話、組織的集団自殺命令以外の何物でもなかった」

 最終決戦を目前に控えて、ベルリン前面のドイツ軍はもはや充分な防衛作戦を行える能力を有してはいなかった。麾下の諸師団は混成大隊や訓練生で編成され、Uボート(潜水艦隊)の制服を着た速射砲中隊まで加わっていた。ゼーロウ高地に広がる防御陣地の主力部隊である第9軍の総兵員は実質9万人ほどしかおらず、2個装甲軍(第3・第4)を合わせても、ドイツ軍は兵員数で敵の10分の1という圧倒的な劣勢に立たされていたのである。

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