[5] 独裁者の決定

 モスクワの「最高司令部」によるベルリン攻略作戦の立案が公式に始まったのは4月1日のことだった。その前日に第1ウクライナ正面軍が上部シレジア作戦を完了し、3日前に第1白ロシア正面軍と第2白ロシア正面軍がポンメルンのドイツ軍掃討作戦を終了していた。

 4月1日、ジューコフとコーネフは前線からクレムリンに呼び出された。スターリンの執務室では参謀総長アントーノフ上級大将と参謀本部から作戦局長シュテメンコ大将が同席した。スターリンはシュテメンコに対してこう言った。

「彼らのためにその電報を読み上げてやりなさい」

 シュテメンコがある電報を読み上げた。その電報は「SCAF-252」と関係ない偽物とされている。その内容は連合国軍がベルリン占領を計画しており、エルベ河畔に接近中である第21軍集団が赤軍に先んじてベルリンに到達しうるというものだった。また、ライプツィヒとドレスデンに向かう米第3軍も方向を転じて南からベルリンを攻撃するであろうと述べていた。ナチ体制が急に崩壊した場合に備えて、空挺師団をベルリンに降下させる計画もあるという。

 スターリンは2人の元帥に圧力をかけようとして、じっと睨みながら言った。

「どちらが先にベルリンを手に入れるかね?我々か、それとも連合軍か」

「我々であります」コーネフは即座に答えた。「連合軍より先に、我々が取るべきです」

 まずアントーノフが全体計画を提示し、続いてジューコフとコーネフもそれぞれの攻勢案を出した。ジューコフ率いる第1白ロシア正面軍はベルリンの真東という好位置にあった。その南翼に位置するコーネフの第1ウクライナ正面軍がベルリンに突入するためには、部隊の再配置が必要だった。そのことをスターリンが指摘すると、コーネフはこう答えた。

「ご心配に及びません、同志スターリン。正面軍は必要な措置を全て講じます」

 ジューコフを出し抜いてベルリン一番乗りをコーネフが望んでいたことは誰の眼にも明らかだった。常日頃からライバル同士を競わせることを好んだスターリンは見るからに満足そうだった。

 アントーノフが立案した攻勢計画に、スターリンは一点だけ変更を加えた。両正面軍の間に設定されていた作戦地域境界線の一部を取り除いたのである。境界線はシュプレー河で消えていた。ここから先は指揮官たちに一任する。つまりこの地点に先に到達した者にベルリンに最初の一撃を与える栄誉を与える。そのことをスターリンは暗にほのめかした。この結果、第1ウクライナ正面軍も南翼からベルリンを攻略することが可能になった。

 ロコソフスキーも翌2日、自身の作戦構想を提示した。徹底的な検討の後、「最高司令部」は軍司令官たちの構想を了承した。スターリンは作戦準備を「可能な限り迅速に、遅くとも4月16日までに」完整すべしとの命令を発した。ベルリン攻略を担当する3個正面軍に残された時間はわずかに2週間あまりしかなかった。調整すべき問題は山積していた。これまで実施した東プロイセン攻勢やヴィスワ=オーデル作戦では兵力の移動だけでも、22日から48日もの時間を要していたのである。

 4月1日の全体会議の後、スターリンはアイゼンハワーに向けた返信を起草した。これはスターリン流の大嘘に満ちていた。連合国軍の計画は赤軍の計画と「完全に一致して」おり、「ベルリンはすでにかつての戦略的重要性を失った」と述べた。ソ連統帥部は二線級の部隊をベルリンに向かわせ、赤軍の主力は南下させる。おそらく連合国軍と五月後半に合流させる所存である。返信の末尾は次のように結ばれていた。

「ただ、この計画はさまざまな環境要因により左右される可能性があるため、若干の代替案を用いるかもしれない」

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