[4] 瓦解した連合国の戦略

 連合国軍―特にイギリスはベルリンに進撃する意図をスターリンに隠し立てしたことは一度も無かった。1944年10月にチャーチルがモスクワを訪問した際、同行した英陸軍総参謀長ブルック元帥はスターリンに対して、連合国軍がライン地方を包囲した後の進撃路はベルリンに向けられるだろうと告げた。チャーチルも改めてそのことを強調した。オランダのドイツ軍を孤立させてから「着実にベルリンめざして進撃する」のがイギリスの狙いである。スターリンは特に何もコメントしなかった。

 ベルリン攻略の任務は当然、わが軍(第21軍集団)に与えられる。第21軍集団司令官モントゴメリー元帥もそう思い込んでいた。イギリス軍はこの時期、オランダからドイツ北部に急速に進出していた。西部戦線におけるドイツ軍の抵抗は1944年12月のアルデンヌ攻勢(バルジの戦い)と1945年3月にルール工業地帯で包囲されたB軍集団の降伏により、崩壊寸前の状態にあったのである。

 ナチ指導部では、ベルリン攻防戦がこの戦争の山場になることを誰しも疑わなかった。ゲッベルスは常に「ベルリンで共に勝つか、ベルリンで共に死ぬか、ナチ党員にこれ以外の道はありえない」と力説した。無意識のうちにマルクスの言葉に倣い、「ベルリンを制するものはドイツを制する」というのがゲッベルスの口癖でもあった。スターリンはその言葉の続きを知っていた。「そして、ドイツを制するものはヨーロッパを制する」

 ところが、連合国軍最高司令官アイゼンハワー元帥はこの言葉を知らなかった。イギリスの思惑はアイゼンハワーの心変わりによって、無益に帰されようとしていた。1944年9月の時点では、アイゼンハワーはベルリンが最重要目標であり、ベルリンに向けて最短かつ効率的な進撃路を取る考えを明らかにしていた。しかし連合国の間ではともかく東進を続けるという漠然とした了解があるだけであり、アイゼンハワーは広い正面で軍を前進させる戦略を好んだ。

 個人的な悪感情な資質も影響した。以前からモントゴメリーはアイゼンハワーを飾り物にし、自分が野戦指揮官になるべきだという信念を表明していた。モントゴメリーをベルリンへの急進撃を担う指揮官としては不適だと米軍が考えたのにはそれなりに理由も存在した。幕僚の仕事に細かい点まで指摘することで有名だったモントゴメリーは攻撃開始までに他のどの指揮官よりも長い時間をかけるからであった。

 アイゼンハワーはルール地域の掃討を支援するため、第9軍を第12軍集団(ブラッドレー大将)の指揮下に戻し、その後にエアフルト=ライプツィヒ=ドレスデンの線へと東進するという戦略を構想した。つまり連合国軍の進撃は第12軍集団を中核として東進し、ドレスデン付近で西進するソ連軍と合流してドイツを二分するというものだった。これは広正面で攻撃するという戦略と一致するものだった。この構想では第21軍集団はアメリカ軍の北翼を援護するものとされ、ベルリンは地図上の一地点に過ぎなかった。アイゼンハワーがこの戦略を構想した時点で、第21軍集団はいまだベルリンまで480キロの地点にいたが、オーデル河に達していたソ連軍は残り80キロまで迫っていたのである。

 またヒトラーの戦略に関して、当時から根拠に乏しい情報が存在していた。その情報とはドイツ南部のバイエルン地方かオーストリアの山岳地帯に置かれた『国家要塞』にヒトラーやナチの残党が立てこもり、最期の瞬間まで徹底抗戦するという内容だった。この情報を支持していたアイゼンハワーにしてみれば、主攻撃軸をドイツ南部に向けるという戦略は理に適うものだった。

 3月31日、アイゼンハワーは「SCAF-252」という電報を発した。この電報は統合参謀本部長、イギリス軍参謀本部長、スターリンに宛てられていた。結果として、この電報は連合国軍の間に途方もない摩擦を引き起こした。電報に関連する一連の命令では、連合軍の主攻撃軸はドイツ中部と南部に向けて延びていた。アイゼンハワーはスターリンに対して次のように確約していた。

「わが軍にベルリン進出の意図はない」

 この電報にイギリスは慌てふためいた。チャーチルは怒りを露わにした。連合国軍の主攻撃軸をベルリンから方向転換し、あまつさえ最高司令官がその決定を自国に何の相談も無く行ったのである。チャーチルの抗議に対して、統合参謀本部の支持を得たアイゼンハワーは持論を譲らなかった。連合軍の戦略構想を引き裂いたこの電報がスターリンを大いに喜ばせたのは指摘するまでも無い。

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