[3] ハイリゲンバイル包囲網の壊滅

 第3白ロシア正面軍は2月末から3月初旬にかけて、新たな攻勢に向けた準備を急ピッチで進めていた。同正面軍司令官ヴァシレフスキー元帥が発したハイリゲンバイルに包囲されたドイツ軍の殲滅に関する命令は、包囲網を東(ハイリゲンバイル)と南東(ブラウンズベルク)から同時に攻撃することでドイツ軍の兵力を分散させ、バルト海への脱出を阻止しながら各個撃破するという内容であった。

 3月13日、第3白ロシア正面軍は40分間の準備砲撃を行った後で攻撃を開始した。塹壕戦では凄絶な死闘が始まった。霧と長時間の豪雨によって、ソ連軍の航空部隊は全く戦闘に参加できなかった。第四軍は大量の火器を有し、防御拠点を保持するために火砲やロケット砲で間断ない猛射をソ連軍に浴びせ続けた。

 第4軍の頑強な抵抗と悪天候に見舞われたにもかかわらず、第3白ロシア正面軍は主攻撃方面でついに第四軍の防衛線を破った。第3白ロシア正面軍の麾下部隊は頑強な抵抗を乗り越えつつ、最大で3キロ前進した。

 3月14日、第11親衛軍はフリッシュ・ハフの沿岸にあるヴァンギット市を奪取した。ケーニヒスベルク要塞の南西にいた第4軍を完全に包囲することに成功する。第4軍司令部は予備兵力を投じて反撃を繰り返した。戦車と自走砲を随伴した第4軍の歩兵部隊は火砲の強力な支援を受けて、翌15日だけでも40回以上の反撃を敢行した。

 3月17日、第31軍(シャフラノフ中将)と第3軍はハイリゲンバイルに撤退中の6個歩兵師団(第14・第24・第61・第131・第299・第349)に対して追撃を行った。ブラウンズベルクで行動中だった第4軍の一部は第31軍の突破によって包囲されることを恐れ、夜間に北東へ撤退を開始した。

 3月18日、戦場一帯の天候がようやく回復した。航空部隊は攻勢開始から6日目に初めて戦闘に参加した。2個航空軍(第1・第3)は上空から第4軍を強打し、地上部隊の進撃を支援した。

 3月19日、第11親衛軍は第5軍と協同して包囲された第4軍の東部に展開していた兵力を全滅に導いた。時を同じくして第48軍(グーセフ中将)がブラウンズベルクに到達した。第4軍は幅約30キロ、奥行きが最大で10キロほどの狭い戦域に縮小された。

 3月20日、第31軍はハイリゲンバイルに南西から突入した。同市を西から迫る第3軍と協同して3日後に守備隊の抵抗を打ち砕くことに成功した。道路網の要衝であるハイリゲンバイルは第4軍最大の防衛拠点であった。第3白ロシア正面軍はフリッシェス・ハフに殺到した。

 絶体絶命の事態に陥ったことを悟った第4軍司令部は同月24日から、後方部隊や各種特科部隊の生き残り、資材などをフリッシェス・ハフからフリッシェ・ネーリングやピラウ港に向けて脱出させ始めた。脱出行を援護するため、第4軍は驚異的な抵抗で正面13キロ、縦深が最大で5キロの橋頭堡を固守していた。特別に選抜された部隊が残った兵器を急いで爆破して回った。

 3月26日、第4軍の残存部隊はカールホルツ岬付近に追いつめられた。第3白ロシア正面軍は占領地区に残るドイツ軍の零細な集団を掃討していった。第5軍と第28軍はその後の数日間にカールホルツから第4軍を排除した。これにより、第4軍の南西部隊は全滅してしまった。

 ドイツ軍は同月29日までに、8万人を越える戦死者と5万人以上の捕虜を出すという損害を被った。フリッシェス・ハフを渡ろうとした際に多くの兵士が溺死した。第3白ロシア正面軍は戦車および自走砲605両、火砲3500門以上を鹵獲した。東プロイセンで包囲された最も強力な部隊を壊滅させたことにより、ヴァシレフスキーは3個軍(第2親衛軍・第5軍・第50軍)をケーニヒスベルク包囲戦に参加させるためにザムラント半島に移動させた。

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