第5話 台風一過

 清太郎が目を覚ますと布団の中にいた。外の嵐は聴こえてくるが、濡れた体も洋服もすっかり乾いていた。

 今しがたのことは全部夢のようにも思えたけれど、そこは自分の部屋ではなかった。誰かが助けてくれたようだ。


 灯りのない薄暗い部屋に目を凝らすと、そこは自分の住む町よりもずっと田舎で見かけるような木造の茅葺き屋根の古民家だった。柱の木はむき出しで、布団の下は板の間。頑丈には見えないが、嵐に耐えていた。


 物音がしてその方を見ると背中が見えた。周りに暖かな環が見えて、火を焚いているのが分かる。清太郎が体を起こすと、気配に気づいたように振り向いた。


「目が覚めたか」


 男だった。大人びてはいるが、歳はさほど変わらないようにも見えた。少年と言うのが相応しい。自分より3つ4つ年上ぐらいだけど、着ているものも髪型も古臭くて高校生には見えなかった。


「寒かったら、こっちへきて火にあたれ」


 男の前に囲炉裏があった。中ではパチパチと火の粉を飛ばして火が焚かれていた。横に座ると火に照らされて男の顔がはっきり見えた。どこかで会ったことがある気がする。どこだろうか。思い出せない。声に聞き覚えはなかったが、安心感を与えてくれる声だった。


「こんな嵐のなか無茶して。危ないところだったんだぞ」

 

 やはりこの人が助けてくれたようだ。あの台風の中だから簡単ではなかったはずだが、礼を言った清太郎に、男は気に留める素振りも見せずに暖を取るよう勧めた。清太郎は囲炉裏に両掌をかざした。


 嵐は過ぎ去ろうとしているようで、外の音がいくらか収まってきた。パチパチと火の粉の音が大きくなって耳に届く。ぼんやりと火を眺めていた清太郎だったが、突然血相を変え、囲炉裏を覗き込んだ。


 その慌て様に男は首をかしげてから、ははははと声をあげて笑った。

「案山子を燃やしてると思ったのか。そんなことするわけがなかろう」

 男は悪戯っぽく人差し指で清太郎のおでこを突いた。

「あれ見ろ」

 男はその指を玄関の方へ向けた。戸の横に甚兵衛に手ぬぐい姿の案山子が立てかけてあった。

「お前が一生懸命護ってくれた案山子だ。ありがとうな」


 礼を言うってことはあの田んぼの持ち主だろうか。清太郎の疑問を組んだように男は口を開いた。

「俺は案山子と仲間っつうか、同士っつか、友達みたいなもんだな。俺の家も農家だから、案山子がおらねばいい米が獲れん。案山子には感謝しておる。いい米が獲れるよう、これからも働いてもらわんといかんからな」

 そういって男は火に薪をくべた。

「夜明けまでに嵐はおさまる。そしたら、お前も案山子もちゃんと元通り帰してやるから。心配せずに今はゆっくり寝とけ」

 男の言葉は子守歌のように優しく、清太郎は布団に戻った。疲れているせいかすぐに眠りに落ちた。



 清太郎はカーテンの隙間から差し込む日差しで目を覚ました。自分の部屋の布団の中、パジャマ姿だった。洋服は枕元に畳まれていた。


―やっぱり夢だったのか―


 リビングに降りると、台所で朝食を作っているお母さんが振り返って「おはよう」といった。

 清太郎はまだ夢と現実の区別がつかずに、返事もせずにぼうっと立ち尽くした。


「まだ寝ぼけてるの?さっさと顔洗ってらっしゃい。おでこに何かついてるわよ」


 洗面鏡をのぞくと、おでこに黒いすすがついていた。


―夢じゃなかったんだ―



 清太郎は枕元の洋服に着替え、ランドセルを背負って家を出た。通学路には台風の爪痕が残っていたが、頭の上には雲一つない真っ青な空が広がっていた。


 教室に入ろうとすると、吉男が飛び出して来た。


「ちょうどいいところに来た。また幹太が変なこといってんだ」


「だから本当だって。清太郎も一緒に観に行こうぜ」


 そう言って教室を駆け出した。清太郎もランドセルを背負ったままついていく。下駄箱で靴に履き替え、校庭に出た。


「ほらな。言ったとおりだろう」


 校庭の隅で子供たちを見守る二宮金次郎の銅像。昨日まで背中いっぱい積まれていた薪が、確かに減っていた。


「どうしたんだろう」

 吉男は不思議そうに首を傾げた。


 つられて銅像の顔を見て、清太郎ははっとした。


―嵐の中、助けてくれた人だ。そういえば、二宮金次郎は農業の発展に貢献した人だって誰かに教わった気がする。それでか。あっ―


 清太郎と同時に、幹太が「あっ」と声を上げた。「今の見たか?」


「今度はどうした?」


「二宮金次郎が笑った!」


おわり

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案山子 すでおに @sudeoni

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