第4話 台風の夜

 寒くなったらまた案山子の着替え。頭の片隅にはあったものの、その頃になれば誰かしら思い出すという隙もあって、夏の盛りに冬の憂いが持続することはなく、夏休みに入ると、案山子の存在はまたしても薄れていった。


 やがて夏休みも終わり、秋を迎えた。緑から黄金色へ衣替えを済ませた田んぼは、収穫の時期を迎える。見渡す限り稲穂が広がっていた田んぼも、稲刈りが終わると、口をつぐんだような静けさが包む。それを待っていたかのように台風がやってきた。


 清太郎は雨音で目を覚ました。枕元の時計は午前0時を過ぎていた。台風が上陸すると夜のニュースで流れていた通り、家全体が揺れるような強風が吹きつけている。カーテンをめくっても外は真っ暗で、窓に打ち付ける雨粒しか見えなかった。


 そこへ稲光のように、案山子の残像が清太郎の頭に閃いた。


 案山子は仕舞ってあるだろうか。収穫が終わって片づけたか、台風が来るから片付けたか、それとも、また立ったままだろうか。

 今も出しっぱなしのままかもしれない。そうしたらこの雨に打たれている。この風で飛ばされてしまうかもしれない。


 清太郎はパジャマを脱いで、明日学校へ着て行く予定の洋服に着替えた。部屋を出て階段の下をのぞくと電気は消えている。家族はすでに眠っているようだ。見つかれば怒られるに決まっているから、こっそり音を立てないように階段を下りた。玄関にも雨が打ち付けていた。


 やっぱりやめておこうか。


 でもまた甚兵衛に手ぬぐい姿の案山子が浮かんできた。風の中で一人ぼっちで雨に打たれる姿。傘立てに自分の青い傘が見えたけれど役に立ちそうもない。ドアを開け体一つで飛び出した。


 瞬く間に全身びしょ濡れになった。洋服が体に引っ付いて身動きがとりづらい。雨風は容赦なく顔にかかり、前を向くことさえままならない。ぬかるむ足元にも行く手を阻まれたが、今更後には引けない。暗くて冷たくて痛い台風の夜を清太郎はただひたすらに夢中で走った。



 去年の冬に初めて見た時と同じように、すっかり稲穂が刈り取られ、背の低くなった田んぼで、あの案山子だけ一人立ち尽くしていた。雨に濡れ、風に吹かれて足元は不確かで、今にも吹き飛んでしまいそうだった。


 清太郎は我を忘れて案山子にしがみ付いた。びしょ濡れなのはお互い様。案山子を抱きしめるように抱え、体重をかけて軸を地面にぐっとめり込ませる。それでもなお風は強く、案山子もろとも清太郎を吹き飛ばそうとした。暴風雨の中で案山子を支えるのは小学6年生には容易なことではなかったが、力の限り受け止めた。足元がぬかるんで転びそうになってもう片方の足でぐっとこらえる。


 それでも一向に嵐は弱まりそうにない。絶え間なく強風が吹きつけ、足元も踏ん張りがきかない。目も開けていられない。体は熱を奪われ、指先はかじかんでいた。


 もう駄目だ。


 清太郎の全身から力が抜けていった。


つづく

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