十六着目 今が最低

 時刻は14時を回ろうとしていた。

 コスプレエリアの終了時間まで残り1時間弱、これくらいの時間になってくると周りの空気も弛緩し始める。

 レイヤーさん達も撮影を切り上げて、知り合いや友達なんかとお喋りをしたり、スマホで自撮りなんかをし始めて和やかな雰囲気になっていた。

 もちろん待機列を作っていたり、囲みになっているレイヤーさんもまだまだいるのだが、最終日の最後の一時間、それで夢の時間もお終い。

 また明日から現実と戦わなくてはならない。

 そんなことを忘れるかのように皆思い思い最後の時間を楽しんでいた。

 黒裂さんは土留には声を掛けずにその場を去って行った。

 土留もなにか言いたげにしていたのだが、黒裂さんの醸し出す雰囲気に躊躇したのか、結局何も言えず仕舞いであった。


「行っちゃったな。黒裂さん」

「はい……。やっぱりここに居る間は、わたしも華音さんの敵ってことなんでしょうか……」


 しょんぼりした様子で呟く土留。

 結局、朝に別れてから一度も、黒裂さんは土留に直接会いにには来てくれなかった。

 あの、地下ロータリーで言われた言葉は、やっぱり土留にとっては厳しいものであったのかもしれない。

 俺は、なんとか土留のことを元気づけてやろうと思った。


「まあ、あの人にとっては土留に限らず。上を目指そうってレイヤーさんは皆そうなんだろうけどさ。七巨頭のくせに初心者も対象って大人気ないよなあの人も。でも、ある意味それは皆を平等に見ているんだと思うぜ。少しでも気を抜いたら、初心者にでさえ足元を掬われかねない、そんな世界なんだと思う」

「先輩に言われなくてもわかっていますよ。そんなこと……」


 土留は杖をギュッと握りしめて、屋上エリアに居るコスプレイヤー達を見渡しながらゆっくりと言う。


「今日一日……ううん、たった数時間ですけど、コスプレをしてみて色んなことがわかりました。炎天下の中、撮影され続けることがこんなに大変なんだって。カメコの人達もレイヤーに声をかけるのは勇気がいるんだな恥ずかしいんだなって。優しい人もいたし、怖い人もいました。そして、皆とても楽しそうでした」

「土留……」

「わたしは、ちゃんとできていたでしょうか? ちゃんと楽しめていたんでしょうか? 自分自身ではそれがよくわかりません」


 何を言っているんだ。おまえは精一杯やっていたぞ土留。

 俺の眼からみてもおまえは十分にコスプレを楽しんで、撮影を楽しんでいたと思う。

 きっとまだ実感が沸かないのは、それだけ一生懸命になっていたからだ。

 このあとじわじわとこの時の感動が、興奮が蘇ってきて、きっとおまえはまた……またコスプレを……。


「さっきあそこに居たのって黒裂華音?」

「あぁ、たぶんそう。なんか実物は大したことなくない?」

「そうそう、誰も声かけてなかったしさぁ。ロリキャラならもえっちがいるし、あの人もういい歳でしょ? 引退すればいいのにね」


 どこからともなく聞こえてきた些細な悪口。

 まあどこの世界にでもこういった陰口や、やっかみなんてのはつきものだ。

 そんなことにいちいち腹を立てていたらキリがないし、なにより本人が居なくなった後に、これ見よがしにそんなことを言う奴らのことなんて相手にする必要はない。

 そう思うのだが、その言葉に過剰に反応したのは土留であった。


「どういう意味ですかっ!」


 凄まじい剣幕で悪口を言っていた二人組に詰め寄る土留。

 黒裂さんのことを馬鹿にされたのがよほど頭にきたのだろう。

 あんなに怒りを露わにするなんて、これまでの土留の印象からは想像もつかなかった。


「はあ? なにあんた?」

「華音さんのどこが大したことないんですか?」

「なにキレてんの? 意味わかんないんだけど。あんた誰よ?」

「わたしは華音さんの弟子です。華音さんのどこが大したことないんですか? なんで引退しなくちゃいけないんですか? あなた達の方がよっぽど大したことないですよね。だったら早く引退したらどうなんですかっ!」


 おいおい土留。なにやってんだ? こんな所でそんな喧嘩を売るような真似は御法度だぞ。


「はあ? 黒裂華音の弟子? なにそれキモ。さっき見てたけどあんた、黒裂華音と全然絡んでなかったじゃん。なにフイてんの?」

「あれじゃないのぉ? 雑誌とかネットとか見てて憧れちゃって自称弟子ですってやつ。まあお似合いなんじゃない、師弟揃ってちんちくりんでさ。もう行こうよ。更衣室混んじゃうからさ」


 そう言って去って行く二人組を、土留は下唇を噛みじっと睨み続けていた。


「おい。ど、土留?」

「なんでなにも言い返さなかったんですか?」

「いや、あんなの相手にしてもしょうがないだろ」

「しょうがなくなんてないです……。華音さんが貶められていたんですよ? 先輩は腹が立たなかったんですか? 悔しくなかったんですかっ?」

「そりゃ、腹は立ったけどよ。こんな所であんな喧嘩を売るようなやり方、もしスタッフに見つかってたら退場させられてたかもしれないぜ?」

「そんなの……華音さんのことを侮辱されるくらいならそんなの構わないですよっ!」


 なりふり構わず怒鳴り声をあげる土留に、周りの人達も少し気にするも何事もなかったかのようにまた撮影を続ける。

 俺は土留に近づくと肩を掴み両目を見据えて真剣な面持ちで告げた。


「それはダメだ。あんな奴らの為におまえがこれからのレイヤー活動を棒に振るような真似は俺が絶対に許さない。黒裂さんだって怒るに決まってる。あんなくだらない奴らと同じ土俵に立つ必要なんかないって、自分達が立っているステージってのはもっと高みにあるんだって鼻で笑うに決まっている」

「先輩……」


 土留は目に涙を滲ませながら力なく俺に聞いてきた。


「先輩言ってましたよね? ここには同じ趣味を持った仲間しかいないって……誰もそれを笑ったりしない、馬鹿にしたりしないって言ってましたよね……だったらなんであんなこと言うんですか? レイヤーをしている人達はみんな敵同士なんですか?」

「土留……おまえ」


 土留の悲しげな表情を見つめる俺は、デビューをどの様にして終えるかが肝心だという黒裂さんのさっきの言葉が脳裏に浮かぶのだった。


 それから2~3人に撮影されている内に15時を回ろうとしていた。

 土留はずっと浮かない表情のままで最後の撮影を終えると更衣室へ行った。

 その間に俺は、SNSにアップした土留のコスプレ写真を確かめる。

 結果は予想通り……いや、正直ちょっとは期待していた部分もあった。

 我ながらよく取れていると思う。

 写真からは土留が、今日コスプレデビューしたなんて情報はわかりはしないんだから、これを見ればきっと皆いいねを押してくれるんじゃないかと思っていた。

 知らない内に、どんどん広まっていって。ひょっとしていいねや、リツイートが1000越え、下手したら1万越えしてバズるんじゃないか? そんな淡い期待も、現実に打ちのめされる。


 俺が上げた土留の写真についた、いいねはたったの2。


 それが現実だった。


 しばらくすると着替えを終えた土留が戻ってきた。

 スマホを見ていた俺の表情が相当に沈んでいたのだろうか?

 土留は眉を顰めながら尋ねてくる。


「どうですか? まあどうせ、碌な結果ではないんでしょうけど」


 俺がなにも答えることができないでいると、土留は自分のスマホを取り出す。

 しばらく無言のまま画面を操作しているのだがポツリと零した。


「やっぱり……ダメでしたね……」

「ごめん土留、俺が頼りないばっかりに……俺にカメラの腕がもっとあれば……」

「いいんです数馬かずま先輩、気にしないでください。やっぱりわたしには無理だったんですよ。先輩の所為じゃないです」


 土留の言葉に、俺はなんだか胸が無性に痛む。


「も、もしかしたら、俺より全然上手いカメコが、良い写真撮ってアップしてくれているかもしれないし、お前のIDで検索し……」

「もうしましたよ……。特にわたしのコスプレに対する感想もなし、撮影させて頂きありがとうございました。って適当にお礼だけ書いて、レタッチも当然されていない撮って出しの写真ばかりが、有象無象と混じってゴロゴロと出てきましたよ」


 なにもそんなにやさぐれなくてもいいじゃないか。

 最初からなにもかも上手くなんていくわけないんだし。

 なんだか、土留に責められているような気分になってきたぞ。


「まあ、底辺カメコに乗せられてみた結果がこれでしたよ。自分の身の程がよくわかりました。いい勉強になったと思って、これからは大人しく一般参加者の道を貫きます」

「土留……」

「地味な子は、なにをやっても地味なんですね」


 そう言った土留の笑顔はとても痛々しく、俺の心に深く深く突き刺さったまま消えなかった。



 コミケの終わった次の日、黒裂さんに借りていたカートやメイク道具、その他諸々を返しに俺と土留は秋葉原に来ていた。


「いらっしゃい……冷たいお茶でも出すからちょっと……上がって行きなさいよ……うぷ」

「じゃ……じゃあ、お言葉に甘えて」


 もう昼過ぎだと言うのに、起き抜けのようなカスれた声で俺達を出迎えてくれた黒裂さん。

 その姿は見るからに満身創痍、ベビードールランジェリーのままだが最早色気は感じない、顔面蒼白でメイクでも隠し切れない目の下の隈、どうみても完璧な二日酔いのおっさんだった。

 たぶん昨日のアフターでまたやらかしたのだろう。この人も懲りないと言うか、学習をしないと言うか。まあこれを成人した時のお酒との付き合い方の反面教師にしようと思う。


 リビングに通されると、俺は台所に行き冷蔵庫の中から麦茶と食器棚からはコップを二つ取り出し注ぐ、黒裂さんには熱い緑茶を淹れてあげた。

 ん? なんかおかしくね? まあいいや。


「んん❤ やっぱり気が利くわね九十九。まあ、あなたはファン見習い候補予備役くらいの扱いにしといてあげるから、戻ってきたかったらいつでも私の元に戻ってきなさい」

「は……はぁ、ありがとうございます」


 よくわからない位置づけだが、まあもう二度と撮影させねえと言われなくてよかったとは思う。


「で、ドドメちゃんはなんでそんな暗い顔をしているのよ?」

「あぁ、実を言うとかくかくしかじかでして」


 俺は昨日黒裂さんが屋上エリアから去ったあとあったことを一通り説明する。

 それを黙って最後まで聞いていた黒裂さんであるが、俺が話終わるとフーっと大きく息を吐いて立ち上がった。


「……うぷ。ちょっと吐きそう……トイレ」


 えぇぇぇぇぇ。真面目な顔をして聞いてたと思ったら気持ち悪かっただけなのぉぉ?

 黒裂さんは口を抑えながらトイレへと走っていった。

 そして暫くすると、ドアの向こうから堕天使の旋律が響き渡ってくるのであった。


「ぁぁぁぁぁぁ、もうムリぃぃぃぃぃ、あなた達今日はもう帰ってぇぇぇぇぇ」

「だ、大丈夫ですか? 帰った後に床とかに吐かないでくださいよ?」

「大丈夫よぉぉぉぉ」


 全然大丈夫そうに見えないんですが、なんで上がってけなんて言ったんだよまったく。


「じゃあ俺達は帰りますからね? ちゃんとベッドで寝てくださいよ?」

「わかってるわよぉ……あ、そうそう、ドドメちゃん」


 俺達がリビングを出て行こうとすると、黒裂さんは土留を呼び止める。


「ありがとね」

「……な、なにがですか?」


 黒裂さんのその言葉に土留は俯いたまま小さな声で返す。


「悪口を言っていた人に怒ったことですか?」

「んー、そんなのどうでもいいわよぉ。そうじゃなくて、私の我儘に最後まで付き合ってくれてありがとうって意味よ」

「華音さんの……我儘? それって……どういう意味ですか?」


 言っている意味がよくわからないのか土留は困惑した表情で黒裂さんを見つめていた。

 俺も同じだ。黒裂さんが我儘なのはいつものことなのだが、土留にそれに付き合ってくれてありがとうとはどういう意味なのか? さっぱりわからない。

 そして黒裂さんはソファーにもたれながら笑顔で土留に告げた。


「そのままの意味よ。だって私、今回のコミケすっごく楽しかったから。だからありがとう。あなたは楽しくなかったの?」

「わたし……は……わた……わかり……ません」


 土留は黒裂さんの質問にそう答えると俯いて黙り込んでしまった。

 その姿を、仕方のない子だと、まるで拗ねる妹に向ける姉のような優しい目で見つめると、黒裂さんは最後に付け加えた。


「ドドメちゃん、競い合うってのはね。決して相手を蹴落とすって意味ではないのよ。本当の敵ってのは、自分と同じ場所で、同じ舞台で切磋琢磨できる相手ってことなの。それはお互いを認め合い尊重し合える好敵手ライバル。私は、あなたがいずれその一人になると信じているわ。だから、そんなつまらない所で腐ってないで、早くこちら側に来なさいな」


 そう言うとソファーの上で、もぞもぞと横になってしまう黒裂さん。

 もー、ベッドに行けって言ったのに。

 俺はタオルケットを持ってきて黒裂さんに掛けてあげるのだが「あーあ、サービスしすぎちゃったかしら……」と呟いているのが聞こえた。


 黒裂さんちを後にすると俺と土留は無言のまま秋葉原の街を並んで歩く。

 平日の昼間なので空いてはいるのだが、まだ夏休みなので学生や、それに観光客なんかも居てそれなりに賑やかであった。

 気が付くと神田明神の前まで来ていた。


「せっかくだし、お参りしてくか?」

「なにがせっかくなのかわかりませんけど、別にいいですよ」


 今や、オニオタ御用達神社と化している神田明神。

 あのスクールアイドル達が特訓をした階段を駆け上がると息も切れ切れ、上り切った所で俺と土留は膝に手を当てて動くことができなかった。


「はぁ、はぁ、もう……せん……ぱい、はぁ、はぁ、なんでわざわざ走ってあがったんですか」

「ぜえっ、ぜえっ、なんか……そんな気分、だったんだよ」


 そして息が整ってきた所で、俺は振り返ると土留に真剣な眼差しで告げる。


「土留……。三日間、俺の我儘に付き合ってくれてありがとう」

「もう、先輩までなんですか? 華音さんの真似ですか?」

「いや、なんかさ。嫌がるおまえに無理やりコスプレさせちまったみたいで、なんか申し訳なくてさ」

「そんな……せんぱい……わたしは……」

「だからっ!」


 土留の言葉を遮るように俺は告げた。



「だから……これでおしまいにしよう」



 蒸し暑い八月の昼下がり。五月蠅いくらいに降り注ぐ蝉しぐれの下、俺は土留にレイヤー活動の終わりを告げた。

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