十七着目 最低なのは誰?
白球が高く舞い上がるとその行方をTVカメラが追いかける。
喜びと嘆きの歓声が同時に湧き上がり、ライトの選手がボールを捕ったグラブを高々と突き上げた。
そこに確かに存在する勝者と敗者。ホームベースの前に横一列に向かい合う球児達。
一方は喜びの笑みを、一方は悔し涙を、お互いベストを尽くし、気力を振り絞り、9回を戦い抜いたことを健闘しあう。
その姿にこれまで応援してきた学校の生徒たち教員、保護者、そしてチームメイトや監督のみならず。この試合を観戦していた観客達も感動の涙を流す。
ここに敗者はいない。皆が皆一生懸命この甲子園大会を戦い抜いた勝者なのだ。
栄冠は君に、全ての君達に輝くのだ!
「んなわけねえだろ……」
俺はリビングで寝ころびアイスを食べながら、夏の全国高校野球選手権大会を見ていた。
勝ち負けが全てじゃないんなら全校優勝にすればいいじゃねえか、なんでわざわざ何か月もかけて全国で予選大会を開いて代表校を決めてから、さらに何週間もかけてトーナメントをする必要があるんだ。
勝者と敗者を決めるためだろう。
対戦相手は敵だ。その敵に勝たなければ次に進むことはできない。
そしてまた敵が現れる。
勝って、勝って……勝って勝って勝って勝って、勝ち続けなければそこで終わってしまうのだから。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
深く溜息を吐くとまだちょっと痛む右頬を擦りながらスマホでSNSを見る。
#コミケコスプレ。で検索をかけると、先日の夏コミの画像がゴロゴロと出てきた。
「やっぱり、七巨頭の写真が多いよなぁ、まあそりゃそうだよな。七人全員揃うなんてありえねえよ。あ、この人の写真リツイート一万超えてる、すげえな」
おれは試しに【ドドミン】と、土留のコスネームで検索をかけてみるのだが、やはり結果は前と同じだ。
この前見た物とほとんど変わらない。結構沢山撮影されていたと思うのだが、写真を上げてくれているカメコはほとんどいないなぁ。
まあこんなもんだろうと、初心者なんだからしょうがないと割り切ってしまえば簡単なのかもしれない。
でも、それを言ってしまったらそこで終わりの様な気がする。
こんなもんだと割り切れるような覚悟で行けるほど、黒裂さんや七巨頭のレイヤー達の居る場所は簡単なものではないんだ。
「だからなんだよ……もう終わりにするって言ったのは俺だろうが……」
仰向けになり枕代わりにしていた座布団を顔に押し当てると、俺はなんだかよくわからない叫び声をあげた。
******
「これでおしまいにしよう」
俺のその言葉に土留は驚き、目を真ん丸に見開いたまま固まってしまっているのだが、正直そんな反応をするとは思っていなかった。
土留のことだから俺の言葉に、「そうですよね~」と笑いながら頷くと思っていた。
だから俺も驚いた。その後の言葉が出てこなかった。
土留の返事を待つのだが、俯いたままでまるで反応がない。
俺はしどろもどろになりながらも、なんとか取り繕おうとする。
「ほ、ほら……。おまえも一回だけだって言ってたじゃんか?」
なにを言っているんだ……。
「だいたい無理があったんだよな。たった二日で準備して有名になろうだなんて、舐めてたよ俺、ほんと」
俺はなにを言っているんだ……。
「ほんとごめん土留! なんか俺の我儘で振り回しちゃって、今度なんか奢るからさ。食いたい物とかあるか?」
俺は……最低だ……。
「な、なんでもいいぞ? 支払のことなら心配するな。まだ……」
「いらないですよそんなのっ!」
俺の言葉を遮って怒鳴る土留。その表情はなんと表現していいのかわからなかった。
怒っているのか、悲しんでいるのか、呆れているのか……。
歯を食いしばり俺のことを睨み付ける土留の瞳からは、大粒の涙がぽろぽろと零れていた。
「どど……」
「もういいです……さようなら……先輩」
そう言って走り去る土留を俺は追うことができなかった。できるわけがなかった。
ただ、遠ざかって行く土留の背中を見つめていることしかできなかった。
しばらくその場で立ち尽くしていたのだが、いつまでもそうしているわけにもいかないのでとりあえず駅へと向かうことにした。
足取りはとても重かった。
無理もない、女の子を泣かせてしまうのなんて初めてだったし。
俺はこう見えてフェミニストだ。女性に対しては常に優しく紳士であることをモットーにしている。
まあはっきり言ってその、じぇんとるめえんっぷりを発揮することのできる機会なんて今まで一度たりともなかったけど。
学校の図書委員の貸し出し係りで、土留と話すのは楽しかった。
まあ話すと言っても二言三言言葉を交わすくらいだったが、あいつが読んでいるラノベについて質問をすると、そっけない口調ではあるが説明をしてくれる。そして恥ずかしそうではあるがどこか嬉しそうな横顔を見るのが俺は楽しかった。
貸し出し係なんて、つまらなくてめんどくさいと思っていたけど、俺はいつしか当番が回ってくるのが楽しみなっていたんだ。
そしてコミケで土留と出会ってからの三日間で、俺は彼女の知らなかった表情をいっぱい見た。
驚いたり、怒ったり、不安そうになったり、泣いたり……笑ったり。
あんな笑顔で、あんな風にこいつは笑えるんだと、彼女のことをもっと深くしることができて、それを引き出したのは俺なんだと思うと、なんだかとても嬉しかった。
きっと、土留が俺と一緒に居る時にだけ見せてくれる表情。
土留もきっと、俺の前だからそんな顔をしてくれているんだと思っていた。
あの二日間、土留は俺の我儘に最後まで付き合ってくれて、そのことに俺は感謝もしている。
でも、そんな彼女を俺は泣かせてしまった。
どうすればいいのかわからない。謝ったら許してくれるだろうか? 「もう、先輩は本当にしょうがないですね。キモいです」と言って許してくれるだろうか? でも、どう謝ればいいのかわからない。
そもそも、なにが悪かったのかさえわからないんだ。
ただ、土留が泣いてしまったこと、土留を傷つけてしまったという現実だけがあって。その原因が俺にあるということもわかっているけれど。理由がなんなのかわからない。
そんなことを考え続けて気が付けば夕暮れ時。
俺は回遊魚のように中央通りを、行っては来て行っては来てを繰り返していたようだ。
「はぁぁぁ、なにやってんだろ俺……とりあえず帰ろ、ん?」
スマホが振動している。電話か? 誰だろう?
画面を見ると黒裂さんだった。
なんだろう? なんか忘れてきたっけ? それとも二日酔いが酷すぎてヘルプ電話か? またもんじゃ焼きの片づけをさせられたらやだな。
そんなことを思いながらもとりあえず出てみる。
「はいもしもし? どうしたんですか黒裂さん?」
『こんの糞馬鹿野郎があああああああああああ! 今すぐUDXまで来いやああああっっ!』
えぇぇぇぇぇ……なんでこの人ブチ切れてるのぉぉぉ?
なんで黒裂さんに呼び出されたのか? まあなんとなく見当はつくけど……。
まだ駅に居ると言ったら電話を切ってから5分以内に来いと言われたので、俺は急いでUDXビルの巨大モニターのところまで走った。
エスカレーターを駆け上がるとモニターの真下で仁王立ちの黒裂さんの姿が見えた。
やっぱりあのゴスロリ衣装は目立つな。待ち合わせとかすると便利だよね。合流した後恥ずかしいけど。
黒裂さんは俺に気が付くと、昼間に二日酔いでフラフラだったとは思えない程の猛ダッシュで俺の方へと向かってきた。
しかもめちゃめちゃ良いフォーム。
そして俺の手前2メートルくらいの所まで来ると急に飛び上がり、叫びながら仮面のヒーローも真っ青の飛び蹴りを放つ。
「おらああああああああああっ!」
俺はそれを咄嗟に回避するのだが。
「避けるんじゃねえええええええええ!」
「避けるわああああああああああああ!」
「つべこべうるせええええええええっ!」
黒裂さんは俺の胸ぐらを掴むと太腿の辺りに何度も膝蹴りを入れてくる。
痛い、痛い、地味に痛いからやめてください。
そして俺は首根っこを掴まれて夕暮れの秋葉原を引き摺られて行く。見上げる空には巨大モニターに映る声優の音楽PVが流れているのであった。
「なんで呼び出されたかわかってるわよね?」
ベンチに腰掛ける黒裂さんに見下ろされながら俺はその前で地面に正座している。別に強要されたわけではないが、なんとなく自分からそうしておいた。
腕組みをしたまま睨みつけている黒策の目を真っ直ぐに見ることができなくて、俺は視線を泳がす。
俺が答えるまで黒裂さんは黙っているつもりだ。
いつまでもそうしているわけにもいないので恐る恐る口を開いた。
「な、なんとなく見当はついてます」
「あっそ、だったら話は早いわね。なんでそんなことを言ったのよ?」
「そ、そんなこととは?」
とぼけて見せる俺を睨み付けると黒裂さんは、組んでいた足をほどきその綺麗なおみ足を天高く掲げて俺の頭を踏みつけてきた。
「もう一度聞くわよ。なんでドドメちゃんにあんなことを言ったの?」
やっぱりそのことか。あいつ、黒裂さんに泣きついて、なんか俺の悪口でも言ったのか? めちゃくちゃ怒ってるじゃないかこの人。
「あんなことって……。もうコスプレはこれでおしまいって言ったことですか?」
「そうよ。あの子泣きながら私に電話してきたわ。あんたにもうコスプレはやめろって言われたって」
「別にそんな言い方はしてませんよ」
なんだよそれ? 俺は別にやめろなんて言ってねえ。なんでそんな話になってんだよ。
だいたい最初の約束通りにしただけじゃねえか。今回だけだって言ったのはあいつの方だ。
だからこれでおしまいって言っただけなのに、なんで俺は黒裂さんからこんなご褒美……ちがった。こんな仕打ちを受けなければならないんだ。だんだん腹立ってきたぞ。
「一緒よ。どんな言い方をしたにせよ。あんたにそんなことを言われたら、あの子にとってはやめろと言われたも同然なのよ」
「なんでだよ……なんでそうなるんだよ……。俺はあいつとの最初の約束通り、今回の一回だけでコスプレは終わりにしようって言っただけです。あいつだって、いきなりコスプレをしてくれって頼まれて、三日間俺に振り回されて本当は迷惑だったろうし」
俺は踏みつけられている頭をジリジリと上げながら黒裂さんに反発する。
この人にこんな態度を取ったらもう絶対に許しては貰えないだろうけど。それでもこんな理不尽なキレ方をされるのは我慢ならなかった。
しかし黒裂さんは俺の頭から足を下ろすと、悲しそうな眼をして俺を見下ろしポツリと言う。
「本当にそう思っているの?」
「……」
「黙り込むのは卑怯よ。ちゃんと答えなさい。あんた本当にドドメちゃんが迷惑してたと思ってるの?」
「……思ってますよっ! だってそうじゃないですかっ! あいつはああいう目立つことが嫌いなんですよっ! 自分の好きな事を他人に否定されるのが嫌いなんですよっ! 争うのが嫌なんですよ……だから、こんな……こんな俺みたいな。大した腕もない駆け出しの底辺カメコに懇願されて、しょうがないから今回だけ乗せられてみたのに、豚みたいなおっさんに罵られるわ、わけのわからねえビッチにばかにされるわ。いい迷惑に決まってるじゃないですかっ! こんなことならあいつにコスプレしてくれなんて頼まないほうがよかったですよっ!」
パアンっ!
その瞬間、左頬を張られる俺。黒裂さんは俺の胸ぐらを掴みあげると怒声をあげる。
「もう一度言ってみなさいっ!」
「何度だって言ってやりますよっ! 俺は土留をコスプレに誘ったことを後悔していますっ! あいつにあんな思いをさせるくらいだったら、こんなことしなければよかったんだっ!」
黒裂さんは左拳を振り上げると、俺の右頬を殴り飛ばした。
「い……いってえええええええええっ! さすがに拳はちょっとぉぉぉぉぉぉ」
「いったぁぁぁぁぁぁ。うっさいわねっ! 殴ったこっちだって痛いわよっ!」
左手を擦りながら涙目になる黒裂さん。だったらやらなければいいのに……。
「あんたには失望したわ。もうあんたは破門よ。私の撮影会には金輪際参加させないわ。イベントでも撮らせてあげない。あんたが自分の過ちに気が付いて土下座して謝るまで絶対に許さないんだから……」
後ろを向きそう言う黒裂さんの声は少し震えているように聞こえた。
俺は何も言い返せなかった。
地面に座り込み俯いて不貞腐れていると、黒裂さんはこちらは見ずに問いかけてくる。
「九十九……ドドメちゃんが本当はあんたに何て言って貰いたかったかわかる?」
「……わかりませんよそんなの」
「本当にわからないの?」
「……」
黒裂さんはゆっくりと振り返ると悲しげな笑みを浮かべて俺に言った。
「ドドメちゃんはね。あんたに、コスプレをやめないでって言ってほしかったのよ」
紅く照らされる漆黒の堕天使から告げられた言葉に、俺はただ茫然として夕陽が沈んでゆくのを見つめていた……。
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