第27話 パトリックに会う

 家の前まで馬車で送ってもらい、何度か会ううちに顔見知りになった執事を見送った。彼はすっかりソニアが来ることに、笑顔で送ってくれる。

 フレデリック王子から、婚約するかどうか一か月は考える時間をくれると言われていたが、時間は瞬く間に過ぎていく。返事をするまであと一週間に迫っていた。切羽詰まった気持ちで、再びパトリックの働いている医院を訪ねた。昼食を摂った後に外出できたので、病院が昼休みになった頃に会いに行くことにした。外から窓の中を覗いてみるとまだ患者が残っていたので、建物の中へ入り待合室で椅子に腰かけて待っていた。診察室の外でも消毒薬の匂いがしている。最後に一人残った女性患者は、隅の方にちょこんと座っていた。白髪で背中は曲がりゴホゴホと酷く咳をしている。風邪をこじらせているようで、赤い顔をして潤んだような瞳をしている。診察室にも足を引きずり、やっと歩いて入って行った。暫くして、薬の袋を手にして出てきた。その時中を覗き込み、パトリックに合図した。ソニアは彼女のために外へ通じるドアを開けてあげると、礼を言いとぼとぼと去って行った。

再び診察室のドアが開き、パトリックが出てきた。


「また来てくださいましたね。丁度昼休みになりました。さあ、入ってください」


「お邪魔ではありませんか?」


「いいですよ。僕も話をしたかったので。秘書にお茶を持ってこさせましょう」


 近くの机で書き物などの仕事をしていた秘書に命じて、お茶を持ってこさせた。秘書は素早くお茶を入れ、二人の前にティーカップを置き熱いお茶を注ぎ入れポットを置いた。


「ちょっと席を外してくれないか」


 そう言われた秘書は、ドアの外へ消えていった。


「まだ、話したりないことがあるでしょう。今日は、全部聞かせてくれますね?」


 この人はすべてお見通しなのだ。やはり来てよかったと思う。


「絶対に誰にも言わないと約束してくださいますか?」


 パトリックは、ティーカップを取りお茶を一口飲んだ。湯気の向こうに少年のような顔が見えた。ごくりと一口飲み、カップをソーサーに置いてからちょっと考えるポーズをとる。


「もちろん、お約束します」


 ソニアも、カップを手に取り一口飲んだ。手に取って足の上に置くとカップの熱が足に伝わってきて暖かい。顔を上げるとパトリックの真剣な顔の向こうに、薬の瓶が並んでいるのが見えた。青みがかったガラス瓶には、白い粉が入っていて部屋の中には薬品のにおいが漂っている。パトリックが魔法使いのように見える。


「前回お話ししなかった、婚約者とは……フレデリック王子様の事です」


 ソニアは、再びお茶を一口飲みパトリックを見て、次の言葉を待った。瞳が一瞬大きくなったようだった。


「フレデリック……王子でしたか……。それは驚きです」


 予想された反応だ。誰でも王子と婚約したと聞けば驚くだろう。まさか目の前にいる女性が婚約者だとは、すぐには信じられないのだろう。


「あなたが婚約者だからではありません。彼は、女性には興味のない男だと思っていたので驚いたんです……」


「それは、どういうことですか?」


「パーティーでお会いすると、お約束の様に女性に囲まれるのですが、今まで、特定の方に心を動かされる様子はありませんでしたから。出会ってすぐに決めてしまわれたことも……さらに意外です。それだけあなたに心を奪われたからなのでしょうか」


「それはちょっと私にもわかりかねます。一緒にステージに出ようと練習にばかり私を誘いますので。王子様の企みに利用できるからでしょうか?」


「それも、多少……というかかなり大きな理由でしょうねえ。しかし……」


「しかし……何でしょう?」


 パトリックは、紅茶を再びすすり、目を見開いてソニアをじっと見ている。言おうかどうしようか迷っているのだろうか。ソニアもお茶をすする。冷めてきた紅茶をごくりと飲む。深呼吸すると、紅茶の香りと薬品の匂いが混ざり合って体の中を満たしていく。


「……前回は心の赴くままにと言いましたが、言いにくいことですが……本当にいいにくいのですが……婚約を取りやめることは難しいでしょう。いい加減なことを言ったと思わないでください。相手が殿下だとは思わなかったので……」


「……やはり、そうですか。この前は、私の気持ち次第と思ってふわふわした気持ちになったのですが。相手が相手だけに、撤回するなんて……しかも私の方から婚約取りやめだなんて、無理ですよね」


「いやいや、そういう理由ではありません。父と一緒に何年も前から殿下の様子を見ていて、そう思ったんです。彼は、表面優しそうに見えますが、言い出したら最後までとことん貫く人です。だから、無理を承知でステージに出ているのでしょう」


「頑固な方なんですね?」


「まあ、悪く言えばそうとも言えます」


 フレデリック王子を昔から知る人からの助言を聞き、さらにほかに選択の余地がなくなったと確信した。ソニアは、青いガラス瓶の中身をじっと見つめる。この中に心変わりさせる薬はないだろうか。彼なら薬品の知識は豊富なのではないだろうか。


「あのう、パトリック様はお薬にも詳しいと思いますが、相手の心を変えてしまうお薬はないでしょうねえ。そんな薬があれば……」


「使ってみたいですか? それはあなたの本心ではないでしょう。彼が本当にあなた自身を愛しておられるのか、それが知りたいのでは? 今のあなたは、彼に都合よく利用されていると思っているんでしょう?」


「……は、はい。そうだと思います。今、言われてみてそうだったのだとわかりました」


 やはりこの人は人の心が読めるのだ。彼の本心がわかる薬があればいいのだが、そんな都合の良い薬はないだろう。ソニアは、もうこれ以上相談できることはないのだろうと思い、医院を去ることにした。


「これ以上悩んでいても仕方ありません。陛下にはお返事することにします。婚約すると」


 パトリックはじっと下を向いていたが、はっとしたように顔を上げた。


「彼の本心が知りたいのですね。それなら、何かわかる方法を考えましょう。少し時間がかかるかもしれませんが、必ず方法を見つけ出します!」


 どうやって本心を知るのだろうか。話はそこまでだったが、パトリックの瞳の中には強い意志が宿っているように見えた。別れ際に目を閉じた時も彼の上には透明なブルーの美しい空が見えた。

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