第16話 婚約の日

 ソニアがフレデリック王子との婚約を決心してからは、次のジョージの公演を見に行くことは父親のラムジーから禁止されてしまった。劇場の楽屋でジョージと出会ったことを話してしまったあとでは、当然の事と言える。ソニアはもうジョージと合うことはできなくなった。


―――ああ、ジョージ様、楽しかった。私が本当に好きなのはあなたの事だけ。あの時の事はもう二人だけの胸にしまっておかなければならない。


 再び王宮からの使者が来て、ラムジーに書簡を渡した。それには、ソニアを連れて王宮に来て欲しいと書かれていた。日時が指定されている。この日に婚約の話が出るのだろう。いや、この日が婚約の日なのかもしれない。もうどちらにせよ、国王陛下の意思に従うしかない。娘のソニアが、せめて明るい表情で王宮へ上がれるように何かできることはないかラムジーは考えた。


 一方ソニアは、婚約までの日が一日でも遅くならないかと願いながら、一日一日を過ごしていた。自分の頭上は何色になっているのだろうか、と考えるが自分の上にだけは未来を占う色は現れない。今まで不思議に思ったことはなかったが、こんな時に自分の運命が見えればどんなにいいだろうかと、他の人の上にだけ未来を占う色が現れることを恨めしく思った。王子の頭上に会った灰色の雲が消えればいいのだが……


 宮殿へ赴く時間になり、ラムジーとソニアは馬車に乗った。この住み慣れた家ともあと少しでお別れなのだと思うと、一抹の寂しさを覚えた。


「さあ、粗相のないように、そんな悲しい顔をしないで行こう、ソニア! お前の晴れ舞台ではないか」


 晴れ舞台と言われてもちっともぴんと来ないし、美しいシフォンのドレスを身に着けても全く晴れやかな気持ちにならない。


「お父様、分かっております。もう、私はどこへでも参ります」


「全く、地獄へでも行くような形相だな。そんな顔を見たら陛下が驚かれるぞ」


「驚いて破談になってしまえばいいんだけど。でも、そんな無茶はしないからご安心下さい。うまく立ち回って見せますから」


「まあ、心配だったが、何とか婚約までたどり着けそうだ。元気を出すんだ」


 そんなことを言われても元気など出るはずがない。ソニアは父親のラムジーの事が恨めしくなった。


「私は、何とか元気になりました!」


 ラムジーが御者に合図をすると、勢いよく馬車は走り出した。すぐに街のメインストリートへ出て、あっという間に王宮の前へ着いた。ラムジーはここへ来るのは二度目だったので、なんとなく勝手がわかった。門兵に挨拶をして中へ入れてもらい、入ってから再び門兵が出てきて中にいるものに確認している。大きな門が開き、二人は仲へ招き入れられた。そこからは、執事の後に着いて進み、指定された部屋へ入った。大きなテーブルの真ん中に二人だけがちょこんと座らされた。国王陛下と、フレデリック王子の姿はまだ見えなかった。


「しばしここでお待ちください」


 二人は、椅子に浅く腰掛け、じっとしていた。広い部屋の中の大きなテーブルに二人だけが腰かけている。開いているスペースの方がはるかに広い。ソニアは部屋を眺めていた。大きな真っ白い窓からは、美しい庭が見える。庭には噴水や花壇があり、色鮮花やかな花々が咲き乱れていた。部屋の前方には、大きな椅子が真ん中に一つ、横にいくつか並べられている。多分真ん中は王様が座るのだろうと、想像していた。椅子は背もたれが高く、クッションは柔らかそうで、赤や金糸の刺繍が施されている。きょろきょろと部屋の隅々まで眺めていると、大きな扉が開き、数人の男性たちが入ってきた。ソニアたちをここへ案内してきた人物、始めて見る偉そうな身なりをした男性、その後に着いて国王陛下と、フレデリック王子が入ってきた。フレデリック王子の後には、前の人より少し若い男性がついている。その人もお付きの人なのだろう。


 ラムジーとソニアは立ち上がってうつむき加減で前に来るまで待った。そのようにここへ案内した男性に指示されていたからだ。言われた通りに待ち、二人が座り、どうぞおかけくださいと言われてから座った。二番目に入ってきた男性がこの場を仕切るようで、口火を切った。


「本日は、ようこそおいでいただきました。美しいご令嬢においでいただきまして、喜ばしい気持ちです」


 お決まりの挨拶が終わり、本題に入った。しかし、部屋が広いのと、テーブルが大きいので、ソニアたちから前の二人までの距離は十メートルぐらいありそうだ。しかも面と向かって顔を見るわけにもいかず、終始うつむいて言われた通りのことをするだけだ。話は終わり、婚約が相整ったということだった。こんなに簡単に、婚約してしまうのだろうかと、少しだけ顔を上げてフレデリック王子の方を見た瞬間、驚きのあまり声を出しそうになってしまった。彼の頭上には、灰色の雲ではなく、キラキラと輝く星の明かりのようなものが見えたのだ。見えたといっても、ソニアの脳内に見えるだけなのだが。私とはうまくいくということなのだろうか。劇場では灰色だったのに、何だか腑に落ちない。顔を少しだけ上げて、目だけを上に向けちらちらとフレデリック王子の様子をうかがう。王子は劇場のカウンターや馬車に乗っているところを見かけた時と同じように、さらさらとした金髪が額にひらりとかかり、その下から見える瞳は緑色をしている。あの時見たのと同じだ。しかし、微動だにせず一点を見つめている。そう、ソニアの方を熱い視線で見ているのだ。ちらりと見ただけの自分の姿の、どこが印象に残っていたのだろうか、不思議でならない。

 服装は、いつものラフなジャケット姿ではなく、式典などの時に見かけるフリルの付いたシャツに、赤や金糸の刺繍の入った上着を着ている。この日のために特別にあつらえたソニアのシフォンのドレスさえ見劣りする。ああ、これでこの先やって行けるのだろうか。とんでもないことになりそうだ。ソニアは、心配を心の中に封じ込め、じっと体をこわばらせていた。一度だけソニアが声を発する場面があった。この婚約に同意するかどうかといったことを聞かれ、はいと答えた。その後ちらりと王子の様子を見ると、満足そうに微笑んでいた。王子の真意が測りかねる。まさか、自分の予知能力を知っているはずがないので、それが目的ではないだろう。婚約の儀式はいつの間にか終わった。国王陛下が退室し、後にはフレデリック王子だけが残った。


 少しリラックスしたフレデリック王子が、遠く離れたところからソニア親子に言った。


「お父様、劇場へ行くことを禁止しないでください。わたくしもそちらで観劇しておりますので、そこでご令嬢にお会いしとうございます。お約束してください。それと、最後に楽屋でジョージ様に最後のご挨拶をするのをお許しください。彼も名残惜しいと思いますので」


 ラムジーも初めて言葉を発した。


「そんな、他の男性と合うことを、お許しくださるのですか?」


「最後ですので、ぜひそうしてください。わたくしからのお願いでございます」


「そのような寛大なお言葉、一度だけそうさせていただきます」


「では、ソニア様、そのようになさってください。次回の初回公演の時に、お一人で行ってください。約束ですよ」


「はい、わかりました」


 ソニアは内心喜んだが、まだフレデリック王子の真意が測りかねていた。不思議なお方だわ、そう思いながら王宮を後にした。


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