第4話 グッドモーニング

 きらきらと、光が瞼を透かしてクラリスは目を開けた。


 もう朝か、と天井を見ると頭上に桃色のけばけばしい衣装がぶら下がっている。そこに縫い付けられたビーズが、窓からの陽光に反射して光っていた。

 クラリスは、その光から逃れるように寝返りを打つ。すると、ベッド脇にカナリアが立っているのに気付いた。

 彼女は鏡の前で白いクラリスのシャツだけを身につけている。シャツの裾から生足が丸見え、しかもなぜかクラリスの高いヒールの革靴を履いていた。

 鏡の前で、そうしてふらふら立っている。ヒールには慣れていないらしかった。


「……なにしてんの」


 クラリスは気怠そうにベッドから話しかける。

 そうすると、鏡越しにカナリアが微笑んだ。見られちゃった、と頬に朱が差した。


「おはよう、ダーリン」


 くるりと振り返った拍子にバランスを崩して、その場でこける。

 クラリスはそれを無表情で見た。ダーリンとは自分のことらしいが、言及しないことにした。


「あら、やだ。やっぱりだめね。足のサイズは同じなのに」


 カナリアは靴を脱ぐと、ベッドに戻ってきた。


「良い宿ね。神官だって言ったら、服と下着も用意してくれるって」


 じゃあ今は何もつけてないのか、と今更の質問を封じ込め、クラリスはカナリアの顔を見つめる。


「あんた、お金どうしたのよ」

「あなたにつけておきますって」

「はぁ?」


 クラリスは顔をしかめた。


「ごめんなさい。このご恩は私の神殿を見つけた暁には必ずお返しするわ」


 カナリアはそう言って、クラリスの額に口づけた。


「あなたに女神の祝福を。クラリス・ミラー」


 動けなくなったクラリスの頭を撫でて、カナリアは優雅に立ち上がり、シャワールームに向かった。

 クラリスもようやく上半身を起こすと、大きく欠伸をした。ベッドから降りると、窓を開ける。

 珍しく今日は快晴だった。眼下を見ると、町はすでに起き出して、人々の声で溢れている。ここは騎士もおらず治安が決して良いわけではないらしいが、それなりにうまくいっているらしい。


(もしかして、ここも魔人団と取引したのかしらね)


 クラリスは人々の中に紛れる魔人の姿を見つけてそう思う。

 その時、コンコン、とノックの音がした。


「おはようございます、クラリス様」


 入ってきたのは、受付にいた魔女。料理を乗せたワゴンを押してくる。


 たっぷりのパンとサラダ、卵、茹でたてのウインナー。甘酸っぱいヨーグルン(山羊の乳を発酵させた液体)と、黒豆のジャム。


 それを見、クラリスは満足げに笑い、座椅子に座る。

 だが、彼女が一番欲しているのはそれではない。

 卓に置かれた、小さな黒い箱。掌にのる大きさで、開くとそこには雫のような光る水晶があるだけ。

 これは純度の高い魔法石だった。地中に流れる魔力が凝り、結晶となったもの。これ一つ手に入れば三ヶ月は働かずとも暮らしていける。

 それをクラリスはグラスに入れると、シャンパンを注いで溶かして飲む。天井を見る緑の瞳が、一瞬ガラスを填めたように黒く、夜色に染まる。


「おもしろい同行者がいらっしゃいますね、クラリス様」


 クラリスに、魔女が話しかける。瞬きし、その瞳を緑に戻す。


「おもしろいって言うか変よ。変な女よ」

「珍しく、浄化の能力をきちんと備えている。女神ハルディアの祝福を受けた娘です」

「女神ハルディアって実在するの? どこもまともに機能している神殿を見ないわ。今じゃ女神信仰は異端なんでしょ」

「私は女神に会ったことがあります」

「本当? どんなだった?」


 パンに手を伸ばし、小さくちぎってクラリスは問う。


「美しい赤の髪に、青い夜空のような瞳をしています。まるで天使のような方。全ての弱き者たちの守護者」

「人間みたいね」


 そんなことを話していると、イヤーカフがぶるりと震えた。


『おはよう、クラリス。魔女と話しているの?』

「おはよう、鳴星」

『ちょうど良かった。イヤーカフを机に置いて。彼女に伝えたいことがある』


 言われて、クラリスは机にイヤーカフを置く。


「……【宵闇の王】よ」


 魔女は両手を交差させて胸に置き、頭を垂れる。


『昨日、僕のところにルーカスが来た。二の氷を破壊して去って行ったよ。彼の追っ手を始末してくれ』

「おおせのままに」


 よりいっそう深く頭を垂れると、魔女はふわりと立ち上がり、部屋を出て行く。


「あんたって未だによくわからないわ、鳴星」


 サラダに果物酢を掛けながらクラリスは言う。


「とても偉いひとなんでしょ。あなたが専属だから、私も特別待遇なんだわ」

『それは違うよ、クラリス。君の任務がとても重いものだからだ。だから、偉い僕と強い君が手を組むんだ』

「とても重い?」

『これからの世界を左右するほどね』


 シャワーの音が止まる気配がして、クラリスはイヤーカフを耳につける。


『これからは我々二人だけではダメだ。いろんなひとに助けてもらおう』


 そんな手助けいらないのに、と内心クラリスは思う。

 バスローブを羽織ってご機嫌にやってくるのんきな女(カナリア)が、手助けになろうとはとても思えない。


「う、わ、あ、あ、ごごごごはんまともなごはん」


 カナリアはその場で崩れ落ちた。その両目からは涙がぽろぽろと零れる。白人参スティックに手を伸ばし、カナリアは小動物のようにしゃくしゃくと食べ始めた。


「パンもあるわよ」


 カナリアは震える手で黒ごまをまぶしたパンをかじる。


「床に座ってないで、座れば。そこに」


 クラリスは真向かいにある座椅子を示す。

 カナリアは泣きながら、残りのパンを食べた。それを見ながら、クラリスは魔女にお代わりを頼もうと思った。


「ふぅ。満足。それで、あなたの任務は何なの?」


 お腹がいっぱいになったカナリアは、クラリスに突然問う。


「反乱軍の戦士なんでしょ? お手伝いできることなら何でも言ってちょうだい」


 そんなことをクラリスは一言も言っていないが、カナリアは胸の前で祈るように手を組んで真剣だった。クラリスが【商人連】の戦士だとは思ってもいないらしい。そもそも、【商人連】のことなんて知らないかもしれなかった。


「……まぁ、しばらくは目眩ましになってもらうわ。あなたは旅の神官、私は雇われの護衛」

「わかったわ! 秘密の任務なのね。私、あなたを守るわ」

「それは結構よ」


 ほっそりした腕を見、クラリスは笑う。こんなか弱そうな小鳥みたいな女に何ができるというのか、と思いながら彼女が魔人を声で爆破したのをふっと思い出した。


(ものは使い用よね)


 うまく操らなければならない、とクラリスは思う。


「さ、そうと決まったら準備しましょ!」


 カナリアはやおら立ち上がる。彼女は用意されていた緋色のコートに満足気だ。


「なんて目立つ格好するのよ。神官だって主張する気?」

「違うわ。今や多くの生き残った神官が医者として転職しているの。この緋色のコートはその証よ。人々を癒しながら旅をさせて」

「そんなに張り切らなくていいのよ。あんたは黙ってにこにこしてりゃいいんだから」


 クラリスも立ち上がり、自分の革のコートを見る。それは魔女によって全て綺麗に修復され、さらに防御の魔術も強化されていた。

 それを窓の前で確認するクラリスを、ちらりとカナリアは盗み見た。

 その黒い瞳が、一瞬日の光に青く変化した。

 彼女の目は、クラリスの内に燃え上がる炎を正確に捉えていた。神官であるならば、その火が何であるかは一目瞭然。

 巡り巡ってようやく「神官」としての仕事が与えられることに、カナリアは女神に感謝する。


(あなたは今日から私の神殿。あなたの行くところについていくわ)


 カナリアは、目を細めてうっすらと笑った。

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