第5話 聖女との旅
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『次の任務はさらに困難なものになる。ようやく、と言ったところか』
「もったいぶるわね、鳴星」
次の町に移る道中、休憩がてらクラリスはカナリアに言われてずっと鍋をかき混ぜていた。トメトス(赤く丸い野菜)とハーブのスープだ。
『ドロモスの収容所を君が襲撃したことで、動きがあった。今度こそ、めあてのものに間違いない。反乱軍も動いている』
「魔人団も、反乱軍も必要なものってこと? ドロモスでは期待したけど、結局【戦火】だったじゃない」
『間違いないよ、クラリス。それに、反乱軍より先に手に入れなければならない。反乱軍では『宝物』を守り切れない。前の守護者たちは全て殺されている。魔人団の総帥にね』
「……スルーダー・ソル……ママの兄貴ね」
クラリスは、低くその名を呟く。彼女の母ソフィア・ソルは、今最もこの国で恐れられている魔人団の総帥スルーダー・ソルの妹だった。だが、もう一人の兄が【商人】と取引し、結果ソフィアはその【商人】に連れ去られ、腹の中にいたクラリスは【商人連】のものになった。
自分の血縁だというその男とは会ったことがない。だが、噂を聞くに家族の情など覚えようがない。旅の合間、魔人団の所業を見てきた。
彼の国に反抗したエカイユ公国は潰され、ノグレー公国は王の首が変わった。アズラクは魔人団を引き入れた王家と異境の民を率いる辺境伯との間で真二つに分かれ、混乱が続く。魔人団の介入を防いだのはカラール公国ぐらいで、彼の国は防壁を強化し、民を守り続けているが、魔人団の包囲網は日に日に強まっている。
魔人団はあちこちに砦を立て、人々を厳しく監視している。その総帥たるスルーダーはアストライアにおり、王の側に侍る。
魔人団の本拠地――軍事施設は、元グラナート公国の跡にあると噂されている。
グラナートはかつて竜の女王の怒りを買い、王族が滅ぼされた。そして竜の炎が国を焼き尽くした後、結界外の【空白地帯】の住人である異境の民によって占拠され、彼らが信仰する竜が降臨し、新たな国を建てた。
だが、産出される魔法石や、竜たちを狙い魔人団によって制圧された。
クラリスは噂でそう聞いているが、実際のところどういう状況だったのかはわからない。無敵の竜が、なぜ魔人たちに制圧されたのか。
『彼の元に、宝物は無傷で返さねば』
「それって、ルーカス?」
『そうだよ。僕に時々会いに来てくれる。彼ぐらいだ』
「私もあなたに会いたいわ」
『僕もだよ。でもそれは今じゃない。君が願いを叶える時だ』
うん、と頷こうとしたクラリスの背後の土手を、何かが叫び声を上げながら通り過ぎていった。
振り返ると、目を剥いた猪が何頭か走っていった。鍋をかき混ぜながらそれを見ていると、その後を追いかけるカナリアが現われた。
「待って、食料!」
そう叫ぶカナリアは立ち止まり、腹に力を入れてすぅと空気を吸い込む動作をした。それに気付いて、咄嗟にクラリスは耳を塞いだ。
――カナリアの発する高音は、猪を直撃した。一匹が泡を吹いて土手を転がり落ちてくる。すぐ側にまで来たそれを、クラリスは片足伸ばして止める。
「ふぅ。豪華な鍋になりそうね」
そう言って短剣片手に近づいてくるカナリアの目は爛々と輝いていた。
(飢えた人間ほど恐ろしいものはないのね)
猪に短剣を振り下ろして息の根を止めるカナリアを、クラリスは薄ぼんやり見つめた。
「あんたって、本当に神官なの?」
「勿論よ」
血塗れでカナリアはキリッと答えた。
「この服、水を弾くわ」
カナリアは赤い雫を服から落とし、捌いた肉を手際よく鍋に放り込んだ。
「それで、あなたの指令はなんて?」
「あんたは知る必要がないわ。次の町に宿がある。そこで待機していればいい。何なら逃げてくれてもいいぐらいよ」
「……危険な任務なのね」
ぽつりとカナリアは言う。
「でも、できることは全力でやらせて。あなたが怪我を負えば、癒やせる。儚くてか弱そうに見えるかもしれないけど、私たちチームよ。頑張りましょ!」
「か弱い……?」
クラリスは、ぐつぐつと煮える猪肉を見つめながら思わず呟いたカナリアにはその疑問は聞こえなかったようだった。
神官であるカナリアとの旅は、クラリスにとってとても刺激的なものとなった。
カナリアは真面目な性格だと思っていたが、平然と嘘をついた。途中通った町で桃色の踊り子衣装を「あの可愛い子のものなの……」とクラリスを指さし、まんまと売った時には目を剥いた。意外だねぇ、と店主はクラリスを見ながらにやにや衣装を買い取った。
「あんたのものだって言った方が良かったんじゃない?」
「あなたの方が綺麗だもの。私が身につけていても意外性がないわ。昔からこの見た目のせいでいろいろ誤解されてきたの」
しっかりと頭巾を被って髪を隠し、裾の長い服でしっかり体を隠すカナリアは言う。
医者の護衛ということもあって、クラリスは前より声を掛けられることが減った。神殿が減少したことで、癒しの力を持つ神官たちもまた姿を消した。多くが魔族との争いにかり出されたと言われている。
神官を有り難く思いこそすれ、侮るものなど滅多にいない。
度々祝福を求められ、カナリアはそれに応じていた。町の貴族にも留まるよう求められたが、丁重に断り、町の結界を丁寧に修復して回っていた。
鳴星から指示された町を巡ってはいるが、まだ明確な指示は出ていない。
「ありがとうございます、お医者様」
村人たちが、涙を流しながら彼女の手を握る。彼らはカナリアが神官だと気付いている。微笑むカナリアは聖女のようであった。
元神官なら何人かクラリスも見て来たが、彼女ほど魔力の高いものはいなかった。
(いろいろこいつも謎だわ。こんなに力があるのに、なぜあんな場所にいたのかしら)
カナリアがおっとりしているように見えて、知恵が回ることにクラリスは気付いていた。さらに、彼女が横になったクラリスに毎晩祝福を施していることも。
余計なお世話だ、と思いながらクラリスは毎晩寝たふりをしていたのだった。
「随分北に来たわね、クラリス」
治安がどんどん悪くなっていく中、ぼろぼろの宿でカナリアはそう言って小首を傾げた。
薄暗い部屋の中、外は雨足が強い。ひびの入った窓硝子には雨粒が激しく当たる。冷えたそれにふっと息を吹きかけ、カナリアは意味も無く丸を書いた。
「この町の人たちはとても顔色が悪いわ」
「外に出ないで。防御結界は張っていくけど、癒しを求められても応じないで」
二人で旅を始めて、彼女を一人にするのは始めてだった。この町は防壁もなく、傭兵も魔人団も立ち寄らぬような寂しい場所だった。
「うん……」
「柱にくくりつけられたい? 聖女さま」
短剣のチェックをするクラリスを、何とも言えない顔でカナリアは見つめる。
それに気付かぬふりをして、弩を手に取る。
そうすると、真横に来て手を掲げ、またぶつぶつと祝福の呪文を唱え始めた。
「……無駄よ、聖女さま。私は呪われているの。女神の恩恵なんて効かないのよ」
「ならば、私の祈りを。あなたが無事に私の元に帰ってきますように」
その言葉に、クラリスはフッと笑う。
「結局神頼み?」
「じゃあ約束してくれる? 帰ってきてくれるって」
「そうね。あんたは役に立つわ」
そう言い、クラリスは立ち上がる。
「いってらっしゃい」
それには返事せず、クラリスは扉を閉めた。そして、外から防御結界を張ろうとして、ふと気になってまた扉を開けた。
「食料と水ある?」
「三日分は」
そのままの状態で立っていたカナリアは、一瞬驚いたような顔をした。クラリスが自分を心配してくれたのだと気付くと、彼女はにやりと笑う。
そんなカナリアを無視して、クラリスは扉を閉める。階段を下りがてら、痩せた店主に金貨を渡す。
「ここに誰も入れないで。いいわね? 重要な任務のある高貴な御方よ。姿を見たら殺す」
クラリスの脅しに店主は縮こまり、金貨をぎゅっと握りしめた。
雨の中、クラリスは外に出る。コートのフードを目深に被り、町の最果てまで来ると愛馬のシャネルを呼んだ。森に潜んでいた彼女の一角獣は、暗闇の中でも目映く輝いた。
それに跨がり、彼女は目の前に広がる森に向かう。
「風のように駆けろ、シャネル」
手綱を握りしめ、彼女は囁いた。
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