第2話 魔女VS旅団長デイドルホーン 

「……イッタいじゃないのよ、馬鹿」


 大量の矢の中で呟く声があった。立ち上がったそれの体から、ぷすり、ぷすりと矢が抜けていく。男を貫く矢を握りしめていた『彼女』は、バキリと固いそれをへし折る。

 小柄と見えたその姿は、次第に上に伸び上がる。その肢体は鋼のように鈍く光る。貫いた男よりも大きくなると、乱暴にその体から残った矢を引き抜いた。

 カラン、と床に落ちた矢の乾いた音がやけに大きく響く。


 現われた、漆黒の魔女。がくりと俯くその顔は、銀の髪に隠れている。


 そして、魔女はゆっくりと顔を上げる。魔女の顔はつるりとした鏡。そこに驚愕する兵士たちの顔が映る。

 顔の無い魔女に、皆が息を呑んだ。


「……鏡の魔女ミラー・ミラー……」


 その名を聞いてさざめいたのは、看守だけではない。牢にいた囚人たちも、前に進み出る。鉄格子を握り、噂のみでしか知らなかった幻の女を見下ろす。


 数年前より現われた、魔人団の砦を奇襲する謎の魔女。

 彼女が舞い降りた場所には、無数の魔人の死体が横たわる。不死身である彼女は人間ではないとか――。


「殺せ!」


 兵士は叫ぶ。

 それに答えるかのように、魔女は甲高く咆哮した。鳥の鳴き声のような、獣の断末魔のようなそれ。びりびりと空気が震え、ひっくり返った者もいた。


「臆するな!」


 そう言った看守は、魔女の大きな拳に叩きつぶされる。


「……殺せ! 名を上げろ!」


 兵士は勇気を奮い立たせ、魔女に襲いかかる。だが、兵士に振り下ろされた爪は、容赦なく彼らを切り裂いた。そのあまりの破壊力に、兵士たちは狼狽えた。


「……誰か! デイドルホーンを呼べ!」

「デイドルホーン!」


 助けを求める看守を踏みつぶし、魔女は跳躍する。その足下に何本も矢が突き刺さる。彼女は片膝ついて軽やかに着地する。


 その時、突如として監獄の最果て、鉄の扉が押し開けられた。生臭い風が吹いて、踊るように巨体の怪物が飛び出てくる。

 鏡の魔女の顔は、足音荒く近づく牛の頭部を持つ怪物を映す。灰色の怪物は蛇と混ざり、その首筋や腹に藍色の鱗、その尾は長く蠢いた。

 ――旅団長デイドルホーンは赤く目を爛々と輝かせ、ぶるぶると体を震わせる。その身長は、魔女の三倍はあった。

 デイドルホーンの心臓が、皮膚を透かして溶鉱炉の炎のように明るく光る。

 それこそが、魔女――クラリスが求めるもの。彼女はまっすぐそれを指差す。


 ――今から、それを奪いに行く。


 それに対し、【緑の灯火グリンゲール】の団長の一人であるデイドルホーンは唾液を吐き散らして吠える。その両腕に赤々と燃える鉄棒を握りしめてクラリスに迫る。

 彼女は両の掌から、茨の鞭を取り出す。長いそれを鮮やかに振り回し、デイドルホーンを攻撃する。

 鞭がしなる度、デイドルホーンは傷つき、棘が刺さって痛みに呻いて、乱暴に鉄棒を振り回す。クラリスはそれを華麗に避けて、代わりに牢を破壊された囚人たちが悲鳴を上げる。兵士すら、逃げ惑う。

 クラリスは天井の巨大なシャンデリアに飛び乗り、左手の武器を弩に変えた。続けざまに真下にいる怪物に向けて撃ち込む。ガンガンガンッと金属の弾ける音が響く。

 デイドルホーンは砂煙の中で唸る。鱗が強化され、矢はその体を深くは傷つることができない。デイドルホーンは跳躍し、手を伸ばしてシャンデリアを攻撃し、クラリスは鞭を壁に伸ばして逃げる。


『もっと近づかないとダメだ、クラリス。再生力が上回っている』


 相棒の冷静な声が響く。

 クラリスは、口から硫黄の臭いを漂わせるデイドルホーンを見つめる。熱風がそこから噴き出している。人間なら黒焦げになるようなそれも、鋼のようなこの肉体ならば平気だ。

 自らの鞭を体に絡めて、クラリスは天井から蝙蝠のように逆さにぶら下がり、デイドルホーンの真正面にやって来る。


『鏡よ鏡――そこで笑うのは誰?』


 クラリスの鏡の顔に、デイドルホーンの顔が映し出される。

 彼女に向けて鉄棒を振り下ろそうとしたデイドルホーンだが、そこに映ったものを凝視してぴたりと動きを止めた。


 そこには人間の顔があった。茶色の瞳の、眉が下がった中年の男。それは、怪物の真の姿。


 それを見た瞬間、デイドルホーンは苦しみだす。抑えた両目から、黒い水が溢れだした。

 呻き、悶える怪物に、魔女は弾みを付けて近づく。宙に舞い上がり、弩は変じる。三日月のように細い、銀の鎌へと。彼女はそれを一息に振り下ろす。

 

 怪物の甲冑のような肉は切り裂かれ、そこから小さな炎の種がはじけ飛ぶ。それを見事に片手で受け止めて、魔女は軽やかに地面に降り立つ。

 掌で赤々と燃え上がる、それは彼女にとっての宝物。


「――【戦火】……」


 鏡のような顔に、それはすぅと吸い込まれる。その面が、水面のように波紋を作る。

 飲み込んで、クラリスは失っていた力を取り戻す。


「どこだ! デイドルホーンはどうなった!」


 砂煙の中で兵士たちが叫んでいる。

 彼らが来る前に、クラリスは天井のシャンデリアめがけて矢を放ち、鎖を射貫いて断ち切った。それが地面に落ちてガラスが飛び散る前に、彼女は出口に辿り着く。

 扉を押し開き、外へ弾むように飛び出る。

 そこに広がるのは、冬の森。

 中の喧噪が嘘のような、静かな場所。山の中を進む内に、彼女の体は縮み、その姿は元の少女のものへと戻る。

 寒い、とクラリスはロングコートの襟を立てる。

 彼女の眼前には、大人しそうな一角獣がいた。クラリスの姿を見つけると、ぶるりと体を震わせ、大きく首を上下して喜びを表した。


『耳を塞いで!』


 突然、小鳥のような声が響いた。

 振り返り、反射的にクラリスは耳を塞ぐ。

 すぐ背後には先程拷問した男がいたが、彼女の前で吹き飛んだ。文字通り、木っ端微塵に。一瞬視界が真っ黒になり、すぐに銀世界と、派手な桃色が飛び込んできた。


「間に合った……!」


 膝丈のコートを羽織った、黒い巻き毛の女がそこにいた。


『ごめんなさい! 大丈夫だった?』


 異境の民の言葉で話しかけながら、彼女は近づいてくる。クラリスはブッと口から墨のような液体を吐き出した。白い雪の上に、それは黒く染みを作る。


「大丈夫に見えるの?」


 不機嫌に答えると、女は困ったように小首を傾げた。その黒い瞳がきらきらと輝く。


「サンクトランティッド語が通じるのね」

「異境の民じゃないわよ」


 なんだこいつ、とクラリスは女を睨む。


「こんにちは、はじめまして、あなたの名前は?」

「そっちから名乗りなさいよ、桃色女ピン・キー

「私は……そう、ね! カナリア・ピンキーよ! あなたの名前は?」


 明らかな偽名を名乗る女に、クラリスは冷たい眼差しを向ける。面倒くさくなって、返事もせずにさっさと一角獣に近づく。


「あら、可愛いお馬さん!」


 クラリスが辿り着くより先に、女――カナリアは、一角獣のシャネルに頬をすり寄せていた。


「私、神官なのよ。助けてくれた御礼がしたいわ」

「結構よ……神官?」


 踊り子衣装を身につけたカナリアは、その時初めて頬を赤らめた。はだけたままだったコートの前を、ぶら下がっていたベルトで慌てて留める。


「そうなの……神殿が襲われて、売り飛ばされちゃって! 早く新しい神殿を見つけないと」


 そこで、再びの上目遣い。


(……連れて行ってほしいってことね)


 面倒くさい女だ。ずかずかとクラリスの領域に入り込んでくる。


『クラリス、良いよ。連れていきなさい』


 突然、相棒――鳴星ナルセイが話しかけてきて、彼女は驚いた。


「正気なの」

『彼女がそこにいることで、君の任務の成功確率が上がると出た。共に行くんだ、クラリス』


 ウソでしょう、とクラリスはカナリアを見つめた。

 どんな男でも心揺らぐだろう、愛らしい顔立ちのカナリアはクラリスをじっと見つめている。


『クラリス。君のためだ』


 その言葉に、彼女は大きくため息をつく。旅の仲間たる一角獣のシャネルを彼女は横目で見た。その大きな黒い目は、優しく主を見つめ返した。


「……くれば」


 ぼそっと呟く。


「え?」


 クラリスは馬上にカナリアを乗せると、その後ろに飛び乗る。


「あら……あらあら! あなた、王子さまみたいね!」


 クラリスを振り返って、カナリアは微笑んだ。


「あなたの名前を教えてほしいの!」

「……クラリス・ミラー」

「よろしく、クラリス! 今日から友だちね」


 友だち――クラリスは顔を歪めた。変な女だ。


「そうね、……友だちね」


 せいぜい役に立ってよね――と、彼女は心の中で思う。

 そして、二人は雪の煌めく森を出発した。



 孤高の魔女に、初めての同行者ができた。

 その旅が予想以上の珍道中になるとは、この時のクラリスには知る由もなかったのだった。

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