#8 盤外戦

 わたしが集合場所に指定したのは、市立図書館だった。師匠に似て出不精のわたしは学校か図書館くらいしかこういうときに指定できる場所を知らない。学校は探偵生徒会のテリトリーなので避けたいとなれば必然、図書館を指定せざるをえない。どっちみち、借りた本も返さなければならなかったし。

 スクーターのエンジン音が聞こえたとき、既に夕日はその残滓を空に滲ませているだけだった。

「悪いね、遅くなって」

「いえ」

 昨日とあまり変わらないラフな格好をして、柳場竜蔵は来た。首からぶら下げたカメラが、軽快なブレーキ音とともに揺れる。

「市民病院でちょっと聞き込みをしていたんだ。君の言っていた、例の自殺未遂が本当にあったかどうか確認するためにね」

「疑り深いですね。わたしがあの場面で嘘をつく理由はないでしょう」

「それがルポライターの仕事だから。しかし大スキャンダルだね。探偵生徒会のひとりが典型的なイジメに一枚噛んでいたってのは。いやまあ、実際に中心メンバーのひとりだったかは分からないけど、それでも探偵生徒会ともあろう生徒がクラスのイジメを看過していたっていうのは問題だ」

「柳場さんの、元々の専門はそちらでしたよね」

「ああ。だから僕は無視できない。例え探偵の卵、若い芽を摘みかねないとしても、僕自身の矜持でこの事件は取材するよ」

 そうなるだろうとは思っていた。探偵の卵をスクープするという立場なら渋るだろう内容の事件でも、彼本来の専門分野に照らし合わせれば話は別だ。

「それで、取材をもう始めちゃってもいいのかい?」

「その前に、これを」

 わたしは杉谷から奪取してきた機械を目の前に掲げる。

「わたしと杉谷――探偵生徒会のひとりとの会話を録音したものです。とはいえ、わたしは機械に弱いもので。データのコピーは差し上げますから、なんとかしてください」

「それはICレコーダーかな。分かった、コピーを取らせてもらうよ」

 スクーターをスタンドで立たせて、柳場はヘルメットを脱ぐ。スクーターのサドルを開くと中からノートパソコンを取り出した。わたしからレコーダーを受け取って、それを慣れた手つきで接続する。

「これでよしと。レコーダーは返すよ」

 柳場からレコーダーを受け取って、データを確認しようとした。柳場のことなのでついでにこっちのデータを消していそうだと思ったのだ。しかし確認しようにも、操作方法が分からない。

「ははっ。そっちの音声データを別に消しはしないよ」

 もたもたし過ぎて、さすがに柳場に気付かれた。

「オリジナルを君にも持っていてもらった方が、僕には何かと都合がいいからね」

「……そうですか」

「じゃあ、本題といこうか。それとも、場所を変えた方がいいのかな?」

 ぐるりと、柳場は辺りを見渡す。わたしもつられて周囲を見て、自分の背後、図書館の物陰にあるものを発見する。

 白い花だ。それが僅かにちょっと、物陰からはみ出している。自生している花が顔を覗かせているというふうではない。なにせ花は逆さを向いているのだから。誰かが花束を後ろ手に抱えているように見える。

 柳場は気づいただろうか。位置的に、わたしが邪魔になって彼には見えないはずだが……。

「…………本題、ですか」

「そうそう。なにせ四年も君のことをあれこれ追跡したからね。長期間に及ぶ取材が結実したこの瞬間。これがルポライターにとって一番幸福だ」

「……………………」

「もしかして、口約束だから反故にしようとしていないかい。だとしたら無駄だよ」

 柳場はポケットから、銀色の長細い機械を取り出した。わたしが今持っているレコーダーに似ている。電話の向こう側でした金属音の正体はそれか。

「君との会話は録音させてもらっている。言い逃れはさせないさ」

「言い逃れも何も、わたしには何を言われているのかさっぱり」

 冷たい風がわたしと柳場の間を通り抜けた。

「何を言っているんだい? 録音したから聞かせてあげようか? 『木野哀歌は、四年前の事件についてあなたの取材を受けましょう』って、そう言ったのは君なんだから」

「ああ、そのことですか。覚えていますよ。でもそれは、あなたの取材を受けるという確約じゃないですか。黒鵜白羽、つまりそんな確約と一切関わりがない」

 ポカンと、柳場は大口を開けた。社会の資料集に載っているはにわみたいに。

「待つんだ、木野哀歌というのは君の……」

「木野哀歌がわたし? 何を言っているんですか? わたしは黒鵜白羽ですよ? 市役所で戸籍を調べてください。木野哀歌なんて名前の人間はこの世にもういませんから」

 実際のところどうなのかは知らない。少なくとも、戸籍上現在のわたしが黒鵜白羽であるのは間違いない。木野哀歌という名前が戸籍にどう反映されているのか、それは確認していない。

 というかこんなの屁理屈だ。口約束だから最初から反故にするつもりだった。録音の可能性を考えてそれっぽい言い訳をでっちあげたにすぎない。後は柳場の出方次第だ。

 呆然としていた柳場は少しして、くくくっと喉の奥から鳴らしたような笑い声を漏らした。

「くくっ。こいつは一本取られた。そうくるか。なるほど手強いね! 探偵生徒会を潰すなんて言うだけのことはある」

 柳場はレコーダーをポケットにしまう。

「いいよ。今回ばかりはその度胸に免じて約束は反故にしよう。どの道、僕には探偵生徒会のスキャンダルという特ダネがある。しばらくこっちの件に掛かりきりになりそうだから、その間、君は見逃すさ」

「ありがとうございます」

「だけど忘れないことだ。大人はそんなに甘くない。今回の件で君が大人に勝てたと思うならそれは筋違いだ」

「ではこちらも言わせていただきましょう。子ども相手だからって常に有利にことを運べるとは思わないでくださいね」

「烏の羽はいくら洗っても黒いままだ。君がいくら名前を変えても、かつて行ったことはチャラにならない。それも忘れないようにね」

「そもそも、羽が黒いと思っているのは一部のお馬鹿さんだけですよ」

「じゃあ君は、自分の羽が白いことを証明するために探偵になるのかい?」

「白鳥は生まれつき白い自分の羽を『わたしは羽が白いんだ』と自慢しますか?」

 わたしの言葉を聞いて、やれやれとばかりに、柳場は肩をすくめた。そしてヘルメットを被ると、スタンドを倒してスクーターに跨った。

「それじゃあまた。次会ったときは、色よい返事を頼むよ」

「白々しいったらありゃしませんね」

 軽快なエンジン音を響かせて、柳場は去っていく。その後ろ姿をしばらく目で追ってから、わたしは息を吐いて空を見上げる。すっかり漆黒に染まった空では、無数の星が瞬いていた。月はでていない、星明りだけの世界が広がっている。

「………………で、師匠、そこで何してたんですか?」

「……ばれてた?」

 わたしの背後、図書館の物陰から師匠が顔を覗かせる。姿こそ視認していないが、花で分かった。師匠が抱えていた白い花は、あのカスミソウだったのだから。

「バレバレです。柳場――あの男にばれていたら面倒でしたよ。何してたんですか?」

「花屋の帰りにお前が男といるのを目撃してな。こんな時間帯に愛娘がひとりで大人の男とあっていたら気になるのは世の父親の性だろう」

 師匠はこっちに歩み寄ってくる。カラコロと、下駄がアスファルトを踏みしめて心地いい音を立てた。

「話、聞こえていましたか?」

「ああ。まさかあんな小うるさい蝿がお前の周りを飛んでいるとは思わなかった。警戒は怠っていないつもりだったんだが」

「別に構いませんよ。蝿はその都度叩き潰せばいいんですから」

「お前、言うようになったな」

 帰るか。師匠のその言葉にわたしは頷いて、二人で並んで歩き出した。

「お前の友達が自殺未遂をやらかしたと聞いたぞ」

「耳に届くのが早いですね」

「搬送されたのが市民病院だったからな。紫から聞いた。既に容体は落ち着いて、今は命の危険もないそうだ。今度見舞いに行かないとな」

「別にいいですよ」

「友達じゃないのか?」

「二週間しか一緒に過ごしていない人を、友達と呼べるかは微妙ですね」

「時間は関係ないさ。お前が友誼ゆうぎを感じるならそいつは友達だ」

 友誼ね。要は友達と思ったら友達ということか。それじゃあ余計に、わたしと檜山が友達だったのか分からない。

「師匠」

「なんだ?」

「帰ったら少し、お話ししましょう」

「進路のことか?」

「いえ、もっと単純で大事なことです」

 どうして師匠はカスミソウを大事にするのか。昔はどういう仕事をしていたのか。今はどうして仕事をしていないのか。元プロ棋士だったのに将棋以外も上手なのは何故か。かつて『黒鵜一家』としてどんな門弟たちと交流を持ったのか。榎本泰然や、探偵生徒会を指導しているという門弟のことを本当に知らないのか。わたしを引き取ってくれたのはどうしてか。わたしにどうなってほしいのか。師匠はこれからどうしたいのか。

 わたしと師匠のどちらかが先に死ぬ。それだけは避けられない。見て見ぬふりはできないことだから。せめてそのときが来る前に、もっとたくさん、師匠と話したいと思った。

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探偵候補生・黒鵜白羽の挑戦 紅藍 @akaai5555

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