#7 真剣勝負

 わたしと杉谷を収めた教室に、夕闇がかかりはじめる。まだわたしは、窮地を脱してはいない。

 考えろ。別に、杉谷を騙してこの場をやり過ごすわけではない。杉谷の推理が間違っているのだから、打ち破るのはそう難しくない。利はこちらにある。

 檜山はいつ、多目的教室に入った? 自殺の線で考えるなら、犯人の存在は無視していい。ただ檜山が侵入したタイミングだけに絞れば。

「掃除の間には入らなかった。だったら六時間目が終わってから掃除が始まるまでの間に入ったんじゃない?」

「ないわよ、それは。教室で隠れられるところなんて掃除具入れのロッカーくらいだし、そのロッカーは掃除当番が開けるんだから。机の下とかにしても、掃除の際に一回隅へ押しやるんだから、隠れていたら気付くわ」

 じゃあ六時間目の間に、とはならない。さすがに六時間目に檜山が消えていたら教師が気付く。するとわたし視点では、檜山が多目的教室に入ったのはやはり掃除の時間中に限られる。

 消去法。どんなあり得ない可能性でも、残ったものが真実、か。でもなあ、何らかのトリックを講じて廊下のクラスメイトに気付かれず多目的教室に侵入しても……。自殺のためにそこまでする理由が分からなくなる。

 檜山が透明人間だったら、それこそ堂々と教室に入って自殺できるのだけど…………。

「…………………………」

 そこで思い出すのは、クラスでの檜山の存在。そして柳場の記事や本。

 まさか……そんなことがありうるのか? 分からない。わたしの学校経験は僅かに二週間だから。でも条件は揃っている。

 もう一度だ。精査し直せ。見直せ。わたしが杉谷景子なら、見えている景色はどう映る? そして相手取るべきは本当に杉谷だけか?

『お前の見ている世界と俺の見ている世界は違う。お前にとっての勝利や合理性と、俺にとっての勝利や合理性は違う』

 師匠の言葉を思い出す。杉谷とわたしでは、勝利条件が違う。杉谷はこの事件の謎を解決すれば終わりだけど、わたしはそうじゃない。その向こう側に、さらに面倒なのを残している。それに勝率の高い探偵生徒会との勝負を、生徒会潰しの布石に使わないのはもったいない。

「ちょっと、一本だけ電話していい?」

「いいわよ。教室内にはいてもらうけど」

「ありがとう」

 立ち上がって、杉谷から離れる。胸ポケットからスマートフォンと、昨日から入れっぱなしになっていた名刺を取り出す。スマホの使い方がイマイチ分からないが、090で始まる名刺に書かれた番号を入力すればいいのだろう。

 無事発信できたようで、安心して耳に当てる。数コール後、ノイズが掛かったあの男の声が聞こえる。

「もしもし。柳場です」

「昨日ぶりです、柳場さん。黒鵜白羽です」

「ああ、君か! まさか電話をくれるとは思わなかったよ。知らない番号から掛かってきたからびっくりしちゃった」

 こっちの電話番号、向こうに知られるのか。

「友達から借りたスマホから掛けてます。迷惑なのでこの番号には掛けないでくださいね」

「分かった分かった。それで、わざわざ君から掛けてきて、どういう用件だい?」

「取引しましょう」

「取引、それはいったい……?」

 ガサゴソ音がして、カチンと金属がぶつかり合う音が聞こえる。向こうで何をしているのだろうか。

「実はわたし、探偵になろうと思うんですよ。でもうちの学校、探偵生徒会がいるじゃないですか。Dスクール受験の枠をあいつらに取られると試験さえ受けさせてもらえないんです。だからこの際、生徒会を丸々潰そうかなと」

「それは…………大きく出たね。その協力をしてほしいと?」

「いえ、もう少し簡単なことです。生徒会潰しの布石を柳場さんには打ってほしいんです」

「布石ねえ。それも簡単そうには見えないけど?」

「簡単ですよ。あなたがあなたの仕事をするだけです。今、うちの学校で生徒が一人自殺未遂をしまして、それを探偵生徒会のひとりが殺人だと言い張っているんです」

「ははっ。さしずめ容疑者は君かな?」

 察しの良いことで。しかし、自殺の話を出してから、若干だが柳場の声色が変わったような気がする。希望的観測でなければ、やはりこの人の本業はそっちなのだ。

「そういう感じです」

「でも、僕の仕事は探偵の卵を発見することだ。若い芽を摘むことじゃないんだよ」

「わたしも卵で若い芽ですよ」

「ははっ、冗談を言っちゃいけないなあ。まあそれはともかく、僕の仕事をただすればいいという君の言葉とはずれていないかい? つまり君は、探偵生徒会の不祥事を記事にしてほしいって寸法だろう?」

「はい。ただ、やっぱりこれを記事にすることはあなたの仕事になると思いますよ? それを理解してもらうためには、事件の概要とわたしの推理を聞いてもらった方が早いと思いますが……」

「オーケー。聞くよ」

 わたしは事件の概要、杉谷の推理、そしてわたしの推理と順を追って説明した。どうせ柳場は記者として事件の関係者に首を突っ込むだろうから、実名を隠したりはしなかった。そっちの方がわたしも説明がしやすかったし。

「ふむ……。推理の妥当性はあると思うよ。もしそれが本当なら大したもんだ。探偵生徒会の不祥事……いや、場合によってはDスクールの不祥事と言うこともできる」

「さすがにDスクールにまで話が及ぶとは思いませんでしたよ」

「まあ、高等学科は設立して日が浅い。受験制限に伴って中学生が自殺するなんて問題を予測できなくても仕方がない側面はあるし、結局これは各中学校の問題とするのが筋だろう。でも分かったよ。これは僕が記事にしなければならない案件だということは」

 しなければならない、ね。随分な使命感だ。正義感とも言えるのかもしれない。それを振りかざす自分は相当気持ちがいいのだろうけど、義憤の刃に傷つけられるこっちの身はまるで知らんぷりだ。

 まあいいさ。今は利用させてもらう。

「それで、この取引で僕が得られるメリットはなんだい?」

「この件を取材してあなたが得られるメリットは多々あるでしょう」

「この件を記事にするのはあくまで、君の依頼さ。その際に付随するメリットは、取引によって生じたメリットじゃないし不確定だ。だから僕は確実な報酬を望んでいるんだよ」

 詭弁だ。不確定なはずがない。柳場なら十分この件で一冊本を仕上げることはできるだろう。柳場はわたしをこの取引から降ろそうとしているのだ。わたしは先に事件のことを口走った。だからこいつとしては、わたしと取引をする理由はもうない。取引が反故になったところで、柳場が事件を取材するのを誰も止められないから。

 柳場の、あのにやついた笑いが網膜に張り付くようだった。あいつは今、ほくそえんでいるだろうか。わたしのことを馬鹿な中学生だと思っているのだろうか。

 そっちこそ誘い出されているとも気づかないで!

「いいですよ。あなたの取材を受けましょう」

「ほう?」

「はっきり言わないと駄目ですか? 、四年前の事件についてあなたの取材を受けましょうと言っているんです」

「いいね! その言葉、忘れないでよ。でもいいのかい? あの事件が、君の悪行が公表されれば、君も探偵としての道が危うくなるんだよ?」

「中学生五人の人生丸々潰そうっていうんです。こっちも相応のものを賭けますよ」

「なるほど、分かった」

 電話を切る。よし、すべての準備は整った。

 杉谷の方を見る。彼女は携帯電話を手持無沙汰に弄んでいた。まだ、他の生徒会メンバーから連絡はないのだろう。当然だ。彼女たちの探している証拠とやらは存在しないのだから。

 …………柳場にはああ言ったけど、別にわたしは探偵になろうなどとは思っていない。現時点では。探偵生徒会五人を相手取るつもりもないし、ましてや彼ら彼女らの人生を潰そうなどとも考えてはいない。

 だけど、火の粉を振り払うつもりでふるった羽が、杉谷たちの命の火を吹き消してしまったとしてもそれは仕方がない。先に仕掛けてきたのはそっちなのだから。わたしの羽が届く範囲で、火遊びをしたやつらが悪い。

「杉谷、わたしは帰る」

「……何言ってんの?」

 わたしがそう言葉を投げつけると、杉谷は立ち上がる。わたしも彼女に近づいた。ちょうど、杉谷が録音するために取りだした機械に手が届くところまで。この機械が何なのかはよく分からないが、重要なものだということだけは分かる。

「わたし、犯人じゃないから。というかこの件は自殺だよ。さっさとお仲間を引き上げた方がいいんじゃない? 馬鹿やっているところを他の人に見られたいならそれでいいけど」

「まるであなたには真相が分かっているみたいな口振りね」

「分かってる。だから帰るって言ってるんだよ」

「まさか『わたしは犯人じゃない。だから自殺以外あり得ない』なんて言うんじゃないでしょうね」

「とっかかりはそれで正しい」

「は?」

 名探偵皆を集めてさてといい、だっけ? 集めるも何も、相手取るのは杉谷一人で十分なのでわたしは「さて」なんて言わない。心の中でだけ、解決編の幕を開けばそれでいい。

「要するに、檜山が多目的教室に侵入したタイミングが問題ってわけ。普通に考えれば檜山が教室に入ったのは、わたしや片桐先生が進路指導室を出たタイミングしかない。でもわたしは多目的教室の扉が開かれた音をそのとき聞いていないと証言した。檜山がそのタイミングで出入りしたのなら聞こえるはずなのに。ということはわたしが嘘をついている。つまりわたしが犯人。杉谷の推理はそういうことだよね?」

「それ以外の推理があるの?」

「裏を返せば、檜山が侵入したタイミングがそのとき以外ならわたしの嫌疑は晴れる。だって、掃除の途中でわたしは先生に連れられて進路指導室に来たんだから。掃除中は複数のクラスメイト、面談中は先生に監視された状態になる。アリバイが成立する」

「だから! 檜山が侵入したタイミングはあなたが進路指導室を出たときしか考えられないって言ってるの! 他にありえるわけ?」

 ドスンと、杉谷は足を大きく踏み鳴らした。

「六時間目に檜山は消えていない。消えていたら教師が気付くから! その後のHR、掃除の時間はまだ確認が取れてないけどどっちにしても同じよ! 多目的教室を掃除するクラスメイト数人を相手に隠れ切れるほど、教室は隠れられるスペースの多い場所じゃない。非常識なあなたの感覚では分からないでしょうけどね」

「そう、それが問題だったし、それが鍵だった。学校という組織、社会に馴染んでいないわたしだから気付かなかったし、そんなわたしだから気付いた。

 

 教室での彼女が無口なのに対し、部室での彼女は饒舌だった。その落差は人間個人としてはあまりにも不審だ。まるで教室にいる檜山と部室にいる檜山では人が違うかのように。

 確かに人は違ったのだ。ただし違うのは檜山ではなく、その周囲にいる人だ。

「わたしも昨日、本や記事を読むまでイジメってものを知らなかった。でも、知ってしまえばどうってことないよね。檜山は典型的な無視、シカトの被害に遭っていた。だから正確には彼女は喋らなかったんじゃない。喋る相手がいなかった」

 わたしが教室で檜山に話しかけなかったのは単にわたし個人の性格の問題だったけど、たぶん檜山は違う。檜山がわたしに話しかけなかったのは、イジメの対象にわたしを巻き込まないように配慮したからだろう。その配慮のお陰で、今になって檜山の置かれている状況に気付いた。もし檜山の態度が教室と部室で変わっていなかったら、今になってもイジメの存在を認知できなかっただろう。

「ちょ、ちょっと待って! まさかそれって」

「檜山が無視されているなら、話は簡単。彼女はクラスメイトに対してだけ、透明だった。だから何の小細工も必要ない。廊下掃除中のクラスメイト達の横を平然とすり抜けて、多目的教室に入ればいい。さすがに途中で妨害されるとあれだから、廊下掃除のクラスメイトが去ってから自殺に及んだと思うけどね」

 そもそも、自殺するつもりの檜山にとって目撃されているかどうかは関係ない。今回はあくまでも、わたしたち見る側の問題でしかなかった。

「そんな馬鹿なことがあるの? 未遂とはいえ自殺しかかってるのよ? 人ひとりの命がどうにかなろうって状況で子どもじゃあるまいし、無視を続けていたって?」

「十四歳は十分子どもだよ。それに、そろそろ面倒だから隠した気になってる演技は止めようか、杉谷景子」

 今回の事件の謎を解くことは、必然彼女のブラックボックスを開くことになる。

「分からない? 廊下掃除のクラスメイトはまだ檜山が自殺しようとしたってことを知らないんだよ。だって杉谷がそれは隠して聞き出したんだから。『掃除中に廊下を通った人はいた?』って、杉谷が聞いたのはそれだけ。もし檜山が自殺未遂したことを知っていればクラスメイトも檜山が通ったことを話したかもしれないけど、彼女たちの中ではまだそこまで深刻な事態になっていない。だから心置きなく無視を続けたんだよ」

「あっ……」

「そして、探偵生徒会という強権的な組織に対してさえその態度を彼女たちは崩さなかった。ということは、杉谷も加担してたんだよね? 檜山の無視に。だからクラスメイトは探偵生徒会の一員とはいえ杉谷に『檜山が通った』なんて本当のことを言えなかった。言ったら次は自分もイジメの対象になるかもしれないって思ったから。イジメをしなかった人もイジメの対象になるってのは、よくあることなんだよね?」

 加担なんて言葉は本当は甘っちょろい。探偵生徒会、正義の体現者を構成員のひとりに持ちながらクラス内でイジメが横行していた。杉谷は見て見ぬふりどころか、首謀者のひとりだった可能性が高い。

 わたしは机の横に引っ掛かっていた鞄を担ぐ。そして、机の上に置かれた機械を取り上げた。

「ちょっと……」

 杉谷が手を伸ばすが、わたしでも避けられるくらいにそれは弱々しかった。

「誠意で示すことだ、杉谷景子。わたしは探偵かくあるべきなんて理論は持っていない。それに人間は間違う生き物だから、清廉潔白な人しか探偵にはなるべきだとも思わない。どんな罪を犯してもそれは過去のもので、今を生きる人とは切り離されるべきだとさえ思う。でも杉谷景子。それは罪を償った人間にしか投げかけられないエールだ。お前は檜山の命を消しかけたし、わたしの羽を焼こうとしたな。まずはそれを誠意で償うことだ」

 なによりお前は、わたしがもっとも嫌うことをした。無実の人間に泥を塗って濡れ衣を着せようとしたな。そのことは、絶対に償ってもらう。

「この録音機はもらっていくよ。探偵生徒会の面々が、今回の件をもみ消さない保障ないからね」

 わたしは呆然と立ち尽くす杉谷を置き去りにして、教室を後にした。廊下を歩いていると、背後から獣の呻き声のような音が聞こえた。

 そのわずらわしい雑音は、勝利に陶酔したわたしの心の羽ばたきがかき消した。ふわりと足元がふらつく感覚。体を包むだるさと反比例する心地よさ。今まで生きてきて、これほど体に気力が満ちたことはなかった。この瞬間だけわたしは、空をも飛べるほどに力が充実している。

 思えば、同年代の誰かに勝つという経験は初めてだ。師匠と戦うときは負けっぱなしで、昨日の初勝利もどこか気分が悪かった。紫先生とも何度かゲームをしたことがあるけど、あの人は勝負事が弱いからわたしは勝って当然。それ以外の相手とも戦ったことがないわけではないが、勝って当然か負けて当然かのどちらかでしかなった。あるいは子ども扱いされて本気を出してもらえなかったり。だから勝つか負けるか分からない勝負というのは今回が初めてだったのだろう。勝負というよりは護身のための闘争だったのにこの陶酔感。もしこれが純粋な対決だったら? 勝ったとき、負けたとき、わたしは何を思う?

 あと四人。いや杉谷が今回ギブアップしなければまだ再戦はある。探偵生徒会を相手取ればもっと面白い戦いになる? それだけじゃない。探偵になればその先にどんな戦いが待っている?

 探偵になるという選択肢も、案外悪くないのかもしれない。ただしこれは、一時の快感に過ぎない。心を落ちつけよう。この快感のためだけに選択肢を決めるのは、あまりいいことではない気がする。

 まずは、もうひとりとの戦いを終わらせよう。

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