阿佐ヶ谷ヴァンピール

阿佐ヶ谷ヴァンピール

 閉め切ったカーテンによって外界から隔たれたリビングは、夕暮れ時でも暗闇に閉ざされている。光源といえば、革張りのソファに腰掛ける青年が物憂げに眺めているスマートフォンのブルーライト程度だ。

「……ままならないな」


 ウェーブがかった長い銀髪は空に浮かぶ雲のように美しく、緋色の瞳は視線を合わせた者を魅了させる。アルベスク家の長子が歴代受け継ぐその特徴を、彼——エルヴィン・アルベスク3世も持ち合わせていた。

 すらりと伸びた手足は長く、しなやかさと同時に強靭さを兼ね備えている。しかしながら、今の彼の態度にそのようなしなやかさ、強靭さは存在しない。エルヴィンは大きな溜め息を吐く。


「ご主人様、ご主人様? おはようございます、夕食の準備ができましたよ」

「……あぁ、すぐに向かう」


 テーブルの上には白磁の皿。その上に乗った血の滴るようなレア・ステーキにナイフを入れ、彼はそれをゆっくりと咀嚼する。目を伏せ、浮かない顔で、黙々と。

「今日は、飛騨牛A5ランクのサーロインです。ソースが足りない時はいつでも言ってくださいね!」

 エルヴィンの側で甲斐甲斐しく世話をするのは、彼の使用人兼眷属のクロードだ。見た目こそエルヴィンとそう変わらない青年であるこの従者は、九代続く使用人一家の跡取り息子である。住処を変える数ヶ月前に従者を父親から継いだこの青年は、時折主人を歳の近い兄のように扱う。


「味、お気に召しませんか? あまり食が進んでいないようですが」

「……いや、肉は美味なのだよ。舌触りも滑らかで、絶品だ。ただ、——牛の血じゃなくて人の血が飲みたい」

「……やっぱり無茶ですよね!? 色々と高級な肉試しましたけど、やっぱり人の血に勝るものはないですよね!?」

「最初はいけるかと思ったのだが、無謀なチャレンジだった。悪魔ではないのだから、畜生の血が舌に合うわけがない!」


 テーブルクロスに頬杖をつき、エルヴィンは静かに肩を落とす。吸血鬼である彼にとって、人の血が飲めない事態は死活問題に近いのだ。


「最近は献血が流行した為に、人間も血を抜く事に抵抗感が無くなってきたと思ったのだがな……。ただの絵があんなに問題になるとは。奴らは、些末な問題を騒がなければならないほど暇なのか? ハラスメントだの、消費だの——。全く、俗世は下らないな」

「……お言葉ですが、その俗世に嬉々として参加してる吸血鬼もそうそういませんよ? 屋敷売って阿佐ヶ谷の1LDK借りてるんですから」


 アルベスク家は本来、東欧の小さな村の領主を務めている一族だ。吸血鬼への畏怖と神秘主義によって陽に当たらずに活動できていたのだが、昨今のインターネット集合知により神秘が暴かれつつあった。

 なるべく遠い国に行き、人間とも関わることで血液の補給を続けなければならない。エルヴィンは俗世について少しづつ研究しながら東アジアの島国に辿り着き、そこに移住することを決めたのだ。


「とにかく、血が必要なのだよ。人間の——できれば若い娘のものを。そこで、例のインターネットに頼ることにした」

 エルヴィンはクロードに持っていたスマートフォンを差し出し、ステーキを頬張った。

「……マッチングアプリですか」

「最近の人間はこういったもので嫁やつがいを探すらしいな。私も嫁……とは言わないまでも、〈ちふれ〉くらいは欲しくてな!」

「化粧品ですか?」

「違う。〈血の盟友フレンド〉の略だ。いま考えた……」

「なるほど。ちょっとプロフィール見せてもらっていいですか?」


 クロードは慣れた手つきでスマートフォンを操作し、表示されたプロフィールを黙読する。自信に満ちた顔でその様子を眺めるエルヴィンに、クロードはぽつりと呟く。


「いや、これはダメでしょ。来る人も来ませんよ、こんなの!」


    *    *    *


 不機嫌そうに机に突っ伏すエルヴィンの機嫌を治そうと、クロードは二本目のワインを開封する。グラスに注がれるヴィンテージは豊潤な香りを放ち、不貞腐れる吸血鬼の頭を起こすのに一役買った。彼らが屋敷を手放した理由の一つ、エンゲル係数の高さが発揮された瞬間である。


「人間であるお前の方がこういった機微を理解しやすいのはわかった。一応、どの部分が良くないかを……」

「えっと、全部ダメですね」

「具体的に! 説明してくれないか?」


「……まずはここです。プロフィール画像。女性には、まずこの顔で判断されますから」

 彼が指さしたプロフィール画像は、暗い古城の外観を背景に立つ黒い影だ。よく見れば、それがエルヴィンであることはわかる。

「本人の面積小さすぎません?」

「ダメか?」

「ほぼ絵はがきですよ、観光地とかの。……あと、未だに前の屋敷の写真使うのは未練がましいですよ。売ったこと後悔してます?」

「一軒家があるとアピールになるかと思ったのだが……」

「もうないんですよ。そもそも、今のご時世で実家暮らしにそこまでのアドバンテージはないですね……。ここは普通に写真使う感じでいいと思います。あとで撮りましょうか!」


「次はここです。職業欄。需要は両極に分かれますね。公務員とか大手企業勤務とかの安全物件か、ミュージシャンとかアーティストとかの夢追い人。で、ご主人様は……」

「『貴族』だ。嘘は吐いてないぞ?」

「ここは嘘吐きましょう。この場における貴族はニートとほぼ同義ですからね!? パンチが効きすぎてるんですよ!!」

「安定していて夢があるのに?」

「夢がありすぎるからです。ここは留学生とかが良いかもですね。文化を学びに来た体にすれば話が拗れないで済みますし」


「最後ですね。自己紹介欄。とりあえず、読みます」

『齢126歳( ̄▽ ̄) 美味しいものと新しいものに興味があります! ワインはそれなりに飲んできたので、共に乾杯しましょう(^O^)』

 クロードはその文面を朗々と読み上げると、静かに溜め息を吐いた。

「俗世の研究、頑張ってるんですね。よく研究されてると思います。ただ、研究材料なんか間違えてないですか?」

「顔文字とやらを使えば、若い娘からの反応が良いのだろう? 同じようなターゲットを狙っている人間どもは、このようなプロフィールにしていたぞ」

「そこからのインプットをすぐに止めてください」


 プロフィールの添削を終え、クロードはグラスの水を飲み干した。エルヴィンも新しいプロフィールに満足したようで、嬉々としてサイト内を巡回している。

 自らの同年代に好印象を与えられるよう、最善を尽くした甲斐があった。クロードは満足げに笑う。


「ところで、どういう風な女の人をターゲットにするつもりなんですか?」

「……考えたこともなかった。別に、誰でも良いのではないのか?」

 クロードは黙って首を振った。一番ダメなパターンだ、と。

「ターゲット層はちゃんと定めて、それと相対した時の対策は必須ですよ。特に、最近の娘は特に信じる教義があるわけでもないのに教会への憧れがある。十字架のネックレスとか付けてますからね……」

「そういうものか。では、身嗜みがしっかりしていて、なおかつ吸血鬼への理解が共有されているような……」

「あー、ライトオタク女子ですか? あの手の人たちは吸血鬼への理解が深すぎるんで、下手にカミングアウトしたらめちゃくちゃイジられますよ。たぶん真っ先に鏡に写そうとしますし、流れるプールとか誘われかねませんから」

「偏見じゃないか……?」

「とにかく、そのタイプは避けましょう。相手にするにはご主人様がもうちょっとレベル上げないとダメです。負けます」

「吸血鬼が人間に……?」


 エルヴィンは逡巡の末、ターゲットを『献血が趣味の人』に設定した。それ以外の条件をクロードが何度尋ねても、彼は適当に言葉を濁すのだ。

 いつも超然的な態度を見せる主人の不可解な姿に、クロードは若干の不安を覚える。今まで見せたことがないその態度の正体は、彼がプロフィールにこっそりと追加した何らかの文言だろう。使用人に見せたくない性癖か、秘密にしたい趣味か。

 クロードは自らのスマートフォンでアプリを起動し、主人の隠されたプロフィールを確認しようとした。リビングのソファに腰掛けたことを目視し、息を潜めてプロフィールを開く。数度スクロールすれば、使用人の知らない主人の情報が開示された。


『ニンニクや香りの強い野菜を食べて会うことは、立派なスメル・ハラスメントです。控えてください』


「……ハラスメント、下らなくないんだ」

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阿佐ヶ谷ヴァンピール @fox_0829

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